脳内物質セロトニンと瞑想の関係
これまでは「脳内物質セロトニンが低下すると、動物実験では攻撃性が高まることが示され、人間においてはセロトニンレベルが高い人ではポジティブな思考パターンが多い」ということから、セロトニンが俗に”幸せホルモン”と呼ばれる理由がわかってきました。そして前回はセロトニンを増やすための食事や生活習慣について解説しました。今回は瞑想が「幸せホルモン:脳内物質セロトニン」にどのような影響を及ぼすのか、を示す研究を紹介したいと思います。
今回紹介するのは「“禅”瞑想初心者による前頭前皮質・セロトニンシステムの活性化と脳波・精神状態の改善の関連性(*1)」というタイトルの研究で2011年にInternational Journal of Psychophysiologyという学術誌に掲載された論文です。筆頭著者はYu氏という外国人研究者ですが、責任著者は有田秀穂先生(*2)という、医師であり脳科学者として著名な研究者です。特にセロトニンに関しては国内で多数の著書も執筆しており既にご存知の方も多いかもしれません。
この研究実験で被験者となったのは精神的疾患や呼吸器疾患を持たない15人の健康な右利きの成人(男性14人、女性1人、平均年齢38±16歳)で、被験者らはいずれも瞑想の経験が無い初心者でした。被験者らは呼吸時に下腹部(丹田:Tan-den)に意識を向けながらできるだけ長く腹筋を使って呼吸するように(3〜4呼吸/分)指導されましたが、指導を厳守しようと緊張せずに、リラックスして呼吸するようにアドバイスされています。用いられた瞑想法は何かに意識を向けて行う“フォーカスアテンション(FA)瞑想”というもので、被験者自身の呼吸波形をオシロスコープで見て意識しながら行う、“丹田呼吸によるFA瞑想”として実践されました。
脳波は国際的な計測法(10-20法)により計測され、脳波はα波(8〜13Hz)/β波(13〜30Hz)/θ波(4〜8Hz)の各成分についてパワースペクトル分析が行われました。脳血流量の指標として、脳血管の酸素化ヘモグロビン/脱酸素化ヘモグロビン/総ヘモグロビン量が近赤外線分光法(NIRS)の計測プローブを頭部に装着することによって測定されました。また、脳血流計測部位は脳MRI撮像により位置の照合が行われました。過去の研究ではフォーカスアテンション(FA)瞑想の際には前頭前皮質(PFC=Pre-Frontal Cortex、図1:紫部分、*3)が活性化されることが判っているためNIRSプローブは前頭部に装着して計測されました。
瞑想の実験では、最初に被験者は数分間の練習セッションを行い、自身の腹部の筋電図をオシロスコープで観察しながら呼吸することに慣れる時間が与えられました。そしてまず基準となるベースラインの呼吸・脳波・NIRS計測が行われました。そこで2分間の休憩の後に引き続き呼吸・脳波・NIRS計測しながら“丹田呼吸によるFA瞑想”が20分間行われました。
被験者の精神的状態を評価するためにPOMS(気分状態のプロファイルの国際基準:*4)が用いられ、丹田呼吸瞑想の前と終了5分後に評価が行われました。POMSはサブグループ化され「緊張・不安」「抑うつ・落胆」「怒り・敵意」「活力」「倦怠感」「混乱」の6つのカテゴリに分けて評価されました。
瞑想状態前後の血中セロトニン濃度を計測するために丹田呼吸瞑想の前、終了5分後、終了30分後のタイミングで末梢静脈血液が採取されました。
ここで、Wikipediaや様々な参考書には“セロトニン(5-HT)は血液脳関門(血液と脳の間に存在するバリア)を通過しない”と記述されている(*5)ため、鋭い読者は“脳内セロトニンの評価で末梢静脈血を用いるのは適切なの?”という疑問もあるかもしれません。
この疑問に対しては著者らの検証実験が報告されています(*6)。この実験では「哺乳動物を用いて、消化管など脳以外からのセロトニンが影響を及ぼさない状況下において脳内セロトニンを増加させたところ、末梢全血中のセロトニン濃度も相関して増加した」という結果が得られています。この現象については拡散によって血液脳関門を通過するというよりも、セロトニントランスポーターを介して、増加した脳内セロトニンが末梢血中に放出されると考えられています。つまり、“末梢全血中のセロトニンを測定することは脳内セロトニン量の指標になる”という点においては科学的エビデンスに基づいていると思われます。
結果としてまず、脳内のPFC(前頭前皮質)領域における酸素化/脱酸素化/総ヘモグロビン量のグラフは図2Aのようになりました。図2A上段のPFC前部のグラフを見ると瞑想開始から急激に上昇し始め、その後時間が経つにつれて右肩上がりに上昇し、瞑想終了時(22分)をピークにまた下降しています。これに対してPFC後部(下段グラフ)では、瞑想開始後から増加はしますがその後上昇は止まり、瞑想終了時〜終了後までほぼ横這いの曲線が続きます。PFC前部と後部での酸素化ヘモグロビンレベルを棒グラフにしたのが図2Bに示されています。これを見ると統計学的有意(p<0.001)にPFC後部よりもPFC前部で酸素化ヘモグロビン量が上昇していることが示されています。このことから、このFA瞑想においては前頭前皮質の特に前方で脳の活動が活発になっていることがわかります。
次に、瞑想開始後の脳波の変化を見ていきます(図3)。
これを見ると、通常の日常意識(β波)の成分は瞑想開始とともに緩やかに低下しているのが分かります。また、物事に集中したり勉強している状態で優位とされるα波の成分は瞑想とともに増加しています。この変化に関しては時系列の各時点において統計学的に有意な変化が見られているようです。
興味深いことに、α波の成分が増加するに従ってθ(シータ)波の成分が低下していることがわかります。一般的に瞑想熟練者になるとθ波が優位になると言われていますが、おそらくこの実験の被験者が全て瞑想初心者であったことと、フォーカスアテンション瞑想の手法が“何かに意識をフォーカスする”(今回の場合は丹田呼吸と呼吸波形)ことであるため、このような結果になった可能性があります。別の研究ではPFC前部は“注意制御”に深く関わっているという研究報告もあり、この瞑想方法にも関連している結果と考えられます。“瞑想熟練者による閉眼での自由瞑想”の場合はまた異なる部位が活性していたかもしれません。
そして、最も興味深い血中セロトニンレベルですが、瞑想前の状態に対して20分瞑想の5分後の状態ではセロトニンが約7%も増加していました(図4A)。この間、被験者は栄養を摂取したり睡眠もしていないので、このセロトニンの増加は瞑想による直接的な効果と言えるでしょう。さらにセロトニンレベルの上昇は瞑想から30分後も持続しています。瞑想後5分の時点と30分後の時点はいずれも瞑想前の状態と比較して統計学的に有意(p<0.01)に上昇しているという実験結果が得られています。
また、瞑想中の脳波におけるα波のパワースペクトルと血中セロトニンの増加量をグラフにしたところ、正の相関関係があることが示されました(図4B:R=0.60, p=0.019)。このグラフから、“瞑想によって脳波におけるα波の成分が優位であるほど、血中のセロトニン増加量が多かった”ということが言えそうです。
図5は気分の状態をPOMS(*4)によって評価したものを瞑想前と瞑想後で比較したグラフです。こちらを見ると「緊張・不安」「抑うつ」「怒り・敵意」「倦怠感」「混乱」といったネガティブな感情はいずれも瞑想後に緩和されてスコアが低くなっていることがわかります。特に「緊張・不安」「抑うつ」「怒り・敵意」「混乱」の4項目においては統計学的に有意な減少(改善)が示されました(p<0.05〜p<0.001)。
これらの結果をまとめると、
・被験者は瞑想初心者で丹田呼吸を意識した20分の瞑想が行われた
・前頭前皮質(PFC)の前部で酸素化ヘモグロビン量、脳血流量が顕著に増加した
・瞑想中はα波の増強、θ波の減弱、β波の減弱、が観察された
・瞑想により脳内セロトニン由来と思われる血中セロトニン量が増加した
・瞑想によって緊張・不安・抑うつ・怒り・敵意・混乱などといった負の感情が減少した
ということが科学的に立証されたと言えます。
特に、一般的な考えは“瞑想は単に気分を沈め心を落ち着かせるもの”と考えられがちなのですが、“瞑想によって実際に脳内物質も増加する”ということが解明されたことが大きいと思われます。物質的な側面から見ても“瞑想は健康にも良いもの”と言えると思います。
個人的には瞑想の達人やθ波瞑想がどのような効果をもたらすのか、という部分にも興味がありますのでまた科学的な検証論文があれば紹介していきたいと思います。
(著者:野宮琢磨)
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