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【歴史エッセイ】名家のあれこれ①─真偽不明な言い伝え─ 再投稿

 最近ツイッターで月命日のことを話した。

 うちでは、毎月一回新しい故人の命日になると、菩提寺のお坊さんがやってきてお経を上げていく。30分くらいお経やら陀羅尼(サンスクリット語の長い呪文)やらを読み、その後はお茶を飲んでうちの人と雑談をしていくというのが定番となっている。

 このことをつぶやいたら、フォロワーさんから、

「月命日供養とは名家の行事ですね」

 とリプライを送られた。

(月命日が名家の行事?)

 私はふと頭を傾げた。うちでは個人の

 そう思った私は、本当にそうなのかリプライを返した。

「はい。最近は新しい故人の月命日はおろか、一周忌ですら行わないところも増えてますからね」

 フォロワーさんはそう答えた。

「最近は新しい故人の月命日はおろか、一周忌ですら行わないところも増えてますからね」

 フォロワーさんの返答に私は時代を感じた。血縁地縁が希薄になっている平成・令和の世らしい話だ。それと同時に、名家とは一体どのような存在なのかと考えてしまった。

 このようなことがあったので、名家と言われた私の育った家の怪しい話やそれについての仮説について、ここで書いていこうと思う。


   ※


 どういうわけか、うちには墓が二つある。寺と家の近くに。

 寺の方は普通の墓がある。対して、家の近くの墓は、田んぼのど真ん中にお地蔵さまが祀られているだけだ。

 お盆のお墓参りのとき、必ずこの家の近くにある墓地のお参りもする。そのため、うちの墓参りは、家の近くの墓地と寺の墓地にお参りをするのが恒例行事となっている。

 二つ墓地があることについて、何かいわれがあるのだろうが、よくわかっていない。元々は何かしら意味があったのだが、時を経るごとに墓が二つあることの意味が失伝し、ただ「墓地」ということだけが言い伝えられたのだろう。時間の経過とともに本来の意味が失われ、言い伝えだけが残る。伝承なんかでよくある話だ。

 ただ、家の近くの墓地については面白い話が伝わっている。家の近くの墓地に祀られている遺体を寺の墓に埋めるとかで、一度その墓を掘り起こしたことがあったそうだ。

 掘り起こした結果、遺骨や故人の形代とされていそうなものは何一つ出てこなかった。

 土の中にいる微生物によって、遺体や形代が分解されたという科学的な説明をされればそれまでであろう。だが、そうでなかったのだとしたら、ただ「墓地」ということだけが言い伝えられたこと、墓石の下には何も埋まっていなかったことには、何かしら関係があるのだろう。そう私は考えている。

 詳しいことは、今になっても何もわからない。


 言い伝えでこんな話も思い出した。

 昔近くに住んでいる古い分家の人と話をしたことがあった。そこで古い分家の人から、

「うちは下野の宇都宮家からお姫様をもらっているんだ」

 という言い伝えを聞いた。

「そ、そうですか……」

 このときのインパクトは、計り知れないものがあった。まさか、私が鎌倉御家人や戦国武将と親戚である可能性があったとは。

 真偽不明の伝承に関して、古い分家の人は、

「本当のことはどうかわからないよ。でも、昔から名字も家紋もあったみたいだから、武士の血を引いてるのは間違いないだろうね」

 と笑いながら答えていた。

 この真偽不明の伝承について、少し考えたことがあった。伝承といえども、100%ウソとは言い切れない。必ずどこかにもとになる話があって、時代を下るごとに改ざんされたり消えたりしている。その結果真偽不明な話になって今に伝えられているからだ。

 考えた結果、よくわからない、で終わった。

 その言い伝えは分家だけのものである可能性もあるし、家格を上げるために創作した話である可能性も十分あり得る。何より証拠が無いから検討のしようがない。

 ただ、わかったのは、うちはそれなりの家格があった、ということだろう。鎌倉以来の名族からお姫様をめとることができるほどの。


 このように、名家と呼ばれる家には、謎や真偽がよくわからない伝承がたくさんある。そしてその伝承は、根拠とする史料が無い。なので、仮に本当だったとしても、それが「本当だ」と立証するのは、タイムマシンでもできない限り難しい。


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佐竹健
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