【私小説】人を好きになれない(後編)
「本当にそうだとしたら、君は『異常者』だよ」
山木に言われたことを、私は何度も繰り返し考えていた。
──誰かを好きになれないって、異常なのかな?
改めて思えば、自分は異常だと思う。
普通私と同じ年になれば、異性に興味を持つようになる。
けれども、自分にはそれがない。
人の容姿が美しいか醜いかの感覚は、もちろん私にもある。だけど、人のことを好きになるとかって、単純に見た目だけの問題ではない気がする。
「見た目だけじゃなかったら、何だろう?」
その人の匂い? それとも、性格(なかみ)? とにかく、惹かれるものがあるから、人は人のことを好きになる。
でも、自分は、ごく一般的な中学生と違って、誰も好きになれない。世間一般の人であれば、誰かを想うことが普通なのに。
私はこの14年間、誰かを好きだと感じたことは、一度もない。逆に思われたことも、一度もない。だから、そんなことを言われたって、わからないよ。
よく恋愛ものとかで、
「片思いは辛い」
「あなたをずっと待っていました」
みたいな台詞をよく聞く。誰かを思い続けるのも、愛する誰かを待ち続けるのも辛いのは想像に難くない。それと同じくらいに、誰かのことを好きになれないということが普通ではないと知ってしまったことも辛い。私と同じくらいの年頃の男女なら、当然のように抱いている思いすら抱けない、そしてそれを誰かに話してもわかってもらえないから。
次の日からまた、全日保健室登校に逆戻りした。先月と同じ三浦くんや先生から送られてくるプリントをやるだけの毎日に逆戻りしてしまった。
「また戻ったの。お帰り」
そんな私を、保健室の先生はここに来たばかりのときと変わらない笑顔で迎えてくれた。
久しぶりの保健室は、快適だった。
辛い辛い体育にも出なくていいし、できない授業で当てられて、それについて答えられなくていろいろ言われることもない。
時々体育をサボりに来る多田くんの話し相手をしたり、一人退屈そうにしている保健室の先生の手伝いをしたりして、時間を潰す。
正直、他の友達には迷惑ばかりかけて申し訳ないと思う。けれども、自分が選んだ道である。後悔はしていない。
そんな学校生活が、3月中旬まで続いた。
3月中旬にもなると、空気と陽射しが温かくなり、桜の蕾がふくらみはじめたり、近くの公園の菜の花が満開になったりと、様相が春めいてくる。
「おはよう! 今日もいい天気だね!」
戸を開けて入ってきた私に、保健室の先生は話しかけてきた。
ええ、とうなずいて、私は返す。
「貴方ももう3年生ね。受験、頑張らないと」
「はい」
もう3年か。そう考えると、時間というものはとても早い。
デスクに戻り、書類をまとめた保健室の先生は、
「こんなことを聞くのは悪いけど、どうして、またここに戻ったの?」
と聞いてきた。
「ずっと考えていたんです。なんで人は人を好きになるのかな? って。実は自分──」
考えていたこと、山木に言われたあの言葉、そしてその後頭の中を駆け巡った思考について、私は保健室の先生に話した。
保健室の先生は、頭を抱えたあと、
「それは難しい問いだね。先生もわからないや」
と笑いながら答えた。
「ですよね」
「あ、でも、これだけは言えるんじゃないかな。人は一人では生きていけない。人によって得意なこと、苦手なことは違うし、常に心のどこかが満たされているわけじゃない。だから、どうしても足りないところがあると思うの」
「うん」
「誰かのことを好きになれないことが異常なことかについては、そんなことはないと思う。たまたま佐竹さんが、人のことを好きになれないというだけのことだから。そういう人は、佐竹さんだけではないから、たくさんいると思う。でも、そういう人は少ないし、辛い思いもたくさんすると思う。今回みたいに理解されなかったり、酷いことを言われたりすることだって、何回もあると思う。だから、佐竹さんみたいに傷ついたり、自分のことを誰かに知られないようにしてる。自分がこうなんだって言えただけでも、とてもすごいことだよ」
「そっか……」
自分は数少ない「誰かを好きになれない人」の一人だった。たったそれだけなのに、人の何倍も辛い思いをしなければいけない。世の中がいかに狭量な人が多いかが、よくわかった。
「前みたいに聞かれたときは、どう答えたらいいかな?」
「辛いかもしれないけど、嘘を突き通すしかないわね……」
「そう、なるよね……」
──結局、そうなるのか。
少しでも普通の枠から外れた人間を許さない人間社会で生きていくには、結局そうするしかない。嘘をついて、自分を殺して、誇張して。そして自分の原型が無くなるまで痛め付けて、普通という名の型に押し付けられる。
勉強もできない、スポーツもできない、手先も器用でない、嘘もつけない……。できないことだらけの不良品なうえに、誰かのことも好きになれない自分には、生きていい場所などどこにもない。
※
世を捨てた今でも、私は誰かを好きになったことも、逆に好かれたこともない。聞かれたとき、大体嘘をつくか他の話題に変えるようにしている。
好きな人がいたことがあるか? という問いは、私にとって、どう答えたらいいかわからない究極の質問の一つになっている。
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