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【歌詞解釈エッセイ】TOKIO『花唄』と自分のペースでゆっくり生きること

 ジャニーズアイドルの曲を昔はよく聴いていた。特に嵐とSMAPの曲は聴いていたものだ。

 だが、TOKIOの曲もよく聴いている。

 中学1年の終わりに、日テレでやっていた『泣くな、はらちゃん。』というドラマを見ていた。漫画の主人公はらちゃんが現実世界に飛び出て、作者(はらちゃんから見れば『神様』)である越前さんに恋をする話だ。現実世界に飛び出たはらちゃんが、見慣れないものに好奇心を抱く。それによって起きるドタバタ劇がおもしろくて好きだった。最近見直してみた。その感想としては、よくある展開だなと思った。異なる世界や時代、星から来た主人公が、その世界で珍妙な行動を取るのはお約束だからだ。主人公の性格が純粋であればあるほど。

 そのドラマの主題歌が『リリック』という曲だった。『リリック』を聴いて、

(TOKIOいいね!)

 と思った。以来よく聴いている感じだ。

 今回紹介するのは『リリック』ではなく、その後に出会った『花唄』という曲。『24時間テレビ』のマラソン完走前や『鉄腕DASH』辺りで流れているので、知ってる人も多いだろう。

『花唄』は「伝える」ということがテーマだと私は考えている。

 前半では、不器用でどうしようもない自分が歌われている。君に伝えたいことがある。けれども、不器用な性格のせいで、傷つけてしまうんじゃないか。そんな不安が歌われている。1番のサビに出てくる「汚れゆく青空」というのは、不安が立ち込めている中でも伝えよう、という心の暗喩なのかもしれない。

 後半は自分の無力さが歌われている。結局伝えられなかったのだろうか。あるいは、伝えようとしても、伝わらなかったのだろう。常識だとか、正義だとか、そういった大きな壁に阻まれてしまって。

 けれども、落ち込みを気にかけた仲間が、僕に声をかけて、何があったのか話を聞く。そして、

「お前のペースで伝えて行けばいいんじゃないか? 無口でもいいからさ。俺も少しは力貸すよ」

 と言ったのだろう。

 そして主人公の僕は、今度は勇気を持って再び、君に伝えに行く。そんなところだろうか。


僕らがいる 意味は奪えない
そのままでも これからを ここからでも
そして歩き出す 迷ってもいいさ
果てしなき道のど真ん中で 明日を信じる

TOKIO『花唄』

 初めてこの歌を聴いたとき、上に挙げた部分に感動した。同時に、こんな風に生きていけたらな、という思いも芽生えてきた。

 私には、人よりもできないことが多い。

 話すにしても上手く人に伝えられないし、モノを覚えるのもかなり遅い。本当に何もできないのだ。

 それゆえに人間からは怒られてばかりいる。怒られてばかりいるので、何かをしようとか、頑張ろうという気さえも失せる。

 だが、『花唄』を聴いてからは、

「もう、それでもいいかな。私は私のペースで生きていけばいいんだ」

 と思えるようになってきた。

 確かに、心ない人間はたくさんいる。世界のほとんどはそんな人間だと私は思っている。

 生きていくのが嫌になってくる俗世。そんな俗世にも、私のことを好いてくれる物好きが、わずかながらでもいる。そんな物好きな人間たちのためにも、少しでも生きて行こうかなと思えたのだ。

 どうしようもない私を好いてくれる人たちに感謝しつつ、進んでいきたいなと思っている。一日一歩という超スローペースでいい。暗くて不器用なコミュ障な私には、人間と同じ生き方はもう無理なのだから。

 そんなことを考えながら、今日も無明長夜の中にある道なき道を、傷だらけになりながら進んでゆく。

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