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【私小説】保健室での1日②─後編─

 教室と保健室を行き来する日々がしばらくの間続いた。

 小正月に入った次の週は2限、正月気分が完全に抜けきる1月下旬の初めには3限まで出られるようになった。

「佐竹くん、お疲れ様。授業はどうだった?」

 保健室の先生は、いつもの来客である私に少しうれしそうに聞いた。

「まあまあかな」

「全部出れそう?」

「うーん……」

 正直出づらい。人は案外他人のことを気にしていないとわかっていても。それ以外にもいくつか理由があるのだけど。

「まあ、ゆっくりやっていけばいいよ。ただし、友達が来ても談話室代わりに使わないでね」

「はいはい」

 通学カバンを机の上に置いた私は、教科書を出し、持ってきたプリントの穴埋めをする作業をしようとした。

 正直このやり取りが好きだった。ここが学校という殺伐とした場所であるということを忘れられて。

 いつものように登校するようになると、去年の年末から続いているこのやり取りができなくなる。そう考えると、切なくなってくる。

 条件付き保健室登校を1月の終わりまで続けている理由は、こんな私のちょっとしたわがままも入っている。


 週に一回、スクールカウンセラーの先生と面談をすることになっている。

 1回目の面談ではいつもの様子とか、家でどんなことをしているか、友達はいるかといった些細なことを聞かれた。

 聞かれた問いに、私はありのまま答えた。

 うなずきながら、私の話をカウンセラーさんは深堀していく。こんな感じで終わった。


「佐竹くん、どうして旅に出ようなんてしたの?」

 2回目の面談のとき、とうとうこのことを聞かれた。

「えっと、それは……」

 旅に出た理由について、私は素直に答えた。やりたいことを死ぬ前にやりたかったから、進路に不安があったから、と。警察の取り調べのときとは違って、情緒不安定ではなかったから、しっかりと答えられた。

「やりたいこと、か」

「はい。将来の夢が私には無いから、5年後のことなんて全然わからないんです。それに、私には得意なことが何一つ無くて、人生に絶望したから、そうしたんです」

「そうなんだ。それでも、少しでも何か得意なこととか、興味のある職業あるでしょ?」

 カウンセラーさんの受け答えに私は首を横に振り、

「私は本当に何もできないんです。通知表も1と2ばかりだし、運動もできないし、手先は不器用だし。おまけに何かを覚えるのにも、人の倍以上時間がかかるんですよ。何をやってもダメだから、世間の人たちは、私のことを必要としないと思います。仮に何かの職に就けたとしても、怒られるためのサンドバッグや有能な人間の引き立て役しか使い道が無いと思うんです」

 と答えた。語っていると将来のことがあまりに不安になって、涙が出てきた。

「ちょっと、落ち着いて!」

 突然私が泣き出したので、驚いたカウンセラーさんは、側にあったティッシュを私に渡した。

 ティッシュで涙を拭きながら私は、

「せめてこんなのでも持てる夢が、『やりたいことをやること』なんですよ。将来の夢が職業じゃなくて、『やりたいこと』であることの、何がいけないのですか? やりたいことをやりたいと言ったり、実際にやったりすると、なんで狂人みたいに扱われなければいけないんですか。私にはさっぱりわかりません。もう、嫌になりました」

 思いの丈を思いっきりぶつけた。ここでカウンセラーさんに話した言葉は、全て心の奥底で思っていた嘘偽りのないことだ。

「……」

 カウンセラーさんは、悲しそうな表情で私の方を見ている。

 しばらく沈黙が続いたあと、カウンセラーさんは、

「それでいいよ。佐竹くんは佐竹くんのままでいい。けれども、やりたいことをやるということは、信念を持って何かをするということ。中にはそんな生き方がうらやましくて誰かに嫌味を言われたり、佐竹くんのやりたいことと衝突したりすることはたくさんある。やりたいことをやるということは、こうした人間たちと戦うことでもあるの。それを、わかってくれるかしら?」

「はい……」

 現実を突きつけられた。やりたいことをやれば、それを良く思わない人間が敵として立ちはだかる。げんにやりたいことやったら、あの母親が立ちはだかってきた。でも、喜びもあった。嘘だとわかっていても、私の話や思いをしっかり聞いてくれたから。


「ただいま」

 家に帰ってきた。通学カバンを置いて、手を洗おうとする。

 夕食の準備をしていた母親は、

「おかえり。まだ全部の授業出席してないの?」

 と淡々とした声で聞いた。

「.…..」

 母親の問いに、私は何も答えなかった。言われるまでもなく、答えは、全部の授業出席していない。半日しか出席していないのだ。

 圧のかかった声で、母親は問いかける。

「あなたこれからどうするの? もう今年の春からは中3なのよ」

 そんなこと、言われることもなくわかっている。

「いつもそうやってせかしてるけど、私は私なりに頑張ってるの。母さんにはわからないでしょうけど」

「母さんだって、いつも頑張ってるの! なのに、いっつもあなたに引っ張られてばかり。恥ずかしいったらありゃしない」

「もう将来のことなんてどうでもいい。どうせ私が何かの職に就こうとしたら、あなたが『これにしなさい』って、勝手に決めるんでしょう。そんなの御免だ。もうお前なんか死ねばいいのに」

 思っていることを言った。

 母親は鬼の形相で、

「お前が死ねばいいのに。この『失敗作』が!!」

 持っていた包丁を目の前に突き出して、激昂した。

 何も言えなかった。

「失敗作」

 これは真実だからだ。

 勉強ができない。運動ができない。芸術の才がない。人と話すのが苦手。そして何より、どんなに頑張っても人並みにできない。そして今は、一部の授業しか出ていない。

 文武両道で聖人君子な孝行者の完璧な息子を求める母親から見れば、失敗作にしか見えないというのは、私もよくわかっている。けれども、私は誰よりも足りない頭を持ちながらも頑張っているのだ。人間並みに近づくために。でも、空回りばかりで、怒られてばかりいるから、頑張ろうという思いが、少しずつ削られていく。

 怒りが爆発した私は、先ほど下ろしたカバンをあいつに向かって投げつけた。

「親に、親に向かって何をするの!?」

 先ほどよりも甲高い声で、あいつは叫んだ。

「知るかよ」

 心の中で私はそうつぶやき、外へ出た。

 正直な話をしよう。

 もう学校にも行きたくないし、勉強もしたくない。わがままかもしれないが、これが私の本音だ。

 できないことをやって、人並みにできたためしがない。ただわかるのは、

「私が誰よりも劣っている」

 という劣等感。

 それを晒され、周りからは散々に罵倒される。

「教室は間違ってもいい場所」

 というのは、超がつくほとの劣等生である私からしてみれば、欺瞞でしかない。

「誰よりも苦手なことが多くて、それを誰かに笑われたりからかわれたりするのが嫌で学校に行きたくない」

 それをわかってくれる親なら、私は不登校の籠り人にでもなっていただろう。いや、それ以前に性格もねじ曲がらず、しっかり学校の全ての授業に出席できているか。けれども、あいつは、

「文武両道で聖人君子な孝行者の完璧な息子」

 を求めている。だから、言うだけ無駄だ。

 それゆえに、仕方なく学校に来ている。

「本当は学校なんか行きたくないけど、仕方なく行っている。流浪の旅に出た一件からさらにいろいろあって限界が来た。けれども、あいつがうるさいから行くフリをして、少し授業に出て、残りは保健室にいる」

 これが、私が保健室登校を続けるもう一つの理由。

 寒い中、私は外へ出た。


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