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【歴史小説】第28話 崇徳帝の譲位 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 1141年。年号は保延から「永治」と改元された。

 当時の皇族や貴族たちは、大型台風や地震といった災害や戦乱があるたびに年号を変えていた。年号を変えることで、何かが改まると考えていたらしい。

 白河北殿。

 崇徳帝は雪が降り積もる庭を、物憂そうな表情で眺めている。

「寒いところに一人でいらっしゃりますと、風邪を引きますよ」

 皇后の藤原聖子が、部屋に入って暖まることをすすめる。

「きれいだな」

 崇徳院は空を見上げながらつぶやいた。

 鼠色の空からは、桜の花びらが散るように雪は積もる。

「きれいですね」

「雪の降るさまを見るのも良いが、聖子の言う通り、風邪をひいては困るから、中で暖まろう」

「はい」

 崇徳帝と聖子は、部屋の中へ入ろうとしたとき、忠正がやってきた。

 忠正は、鳥羽院が御所に来ている旨を告げた。

「のんびり暖まっている暇も無さそうだ。聖子、部屋で暖まっていなさい。私は父上と話さなければいけないことがあるから」

 崇徳帝はそう言い残し、氷のように冷え切った廊下を歩いて、鳥羽院の待つ部屋へと向かう。


   2


 寝殿。

 鳥羽院は寒さで真っ赤になった手を、崇徳帝の従者が用意してくれた火鉢に当て、温めている。

 一通り温まった後、鳥羽院は微笑んで、

「顕仁よ、そなたは物事がわかる年になったであろう。それゆえに余は、政治(まつりごと)から退こうと考えておるのだ」

 突然の引退宣言を口にした。

「ほう」

「そこで、そなたに上皇の位をゆずってやろうと思ってな」

「はい。ですが、父上、私には皇子がいません。どのようにして、院政を執り行えば?」

 院政をするには、天皇となるべき皇子がいる。崇徳帝の曾祖父白河院には早逝した堀河帝、父の鳥羽院には、義理の息子である崇徳帝といった具合に。

 だが、崇徳帝には皇位を継がせるべきはずの皇子がいない。そのため、崇徳帝が院政を行うには、他の皇族から男系男子を養子として取り、その皇子を皇太子としなければならない。

「その心配は無用だ。この前産まれた、体仁(なりひと)(後の近衛帝)をくれてやる」

「本当ですか?」

 崇徳帝は目を輝かせながら、鳥羽院の提案に食い入る。

「もちろん。この父を信じなさい」

 頼もしげな表情を浮かべながら、鳥羽院は言った。だが、頼もしさの反面、視線が不安定だ。

「ありがとうございます」

 崇徳帝は頭を下げた。


   3


 1週間後。鳥羽院から譲位の宣命が下された。

 その宣命には、

「体仁親王を皇太弟とす」

 と書かれていた。これは院政が不可能であるということを意味している。

「なぜ、なぜ、皇太弟なのだ……」

 崇徳院はショックを受けた。養子として、体仁をくれてやる、と言っていたのに。

 鳥羽院は嘲りの笑みを浮かべ、このようなことを吐き出した。

「自分で考えてみろ、余はあのとき、『皇太子にしてやる』とは一言も言っていなかったぞ」

 崇徳帝は大声で、

「おのれ父上! あのときは、体仁を養子につけてやると申していたはずなのに……」

 涙を流しながら叫んだ。あのとき、「体仁をくれてやる」という発言に期待した自分が、とても憎らしい。このことに気づいていれば、自分に皇子がいれば、こんなことにはならなかったのに。

 鳥羽院は泣き崩れている崇徳帝を一瞥して、他人事のような顔をして立ち去る。

「院、どうして顕仁にキツくあたるのです?」

 皇太后の美福門院は聞いた。

「それはな、顕仁(あいつ)が私の白河院(そふ)と待賢門院が密通して産んだ子だからだ。あいつが生きていては、余の御代、余の皇統が未来永劫続くことはない」

「だからといって、そこまでしなくてもいいじゃないですか。たとえ私と白河院の間に産まれた子であっても、顕仁はあなたと璋子の間で育った、大切な息子でしょう?」

 美福門院は鳥羽院の白い直衣の袖をつかみ、強い口調で言った。

「黙れ! これ以上あいつのことは話すな!」

 鳥羽院は声を荒げ、内裏を出る。


 父鳥羽院が目の前を去ったとき崇徳帝は一首の和歌を詠んだ。

せをはやみ 岩にせかるる 滝川の
わかれても末に 逢はんとぞ思ふ

 このとき崇徳院が詠んだ歌は、後世に百人一首にも選ばれているものだ。一般的な解釈では、今は離れ離れでも、いつかはまた一つになるという恋の歌として捉えられているが、この歌には「別の意味」が込められているとの説もある。


   4


 賀茂斎院の薄暗い開かずの間では、天台座主と高野山大阿闍梨の式神、伊勢斎王の式神、そして頼政が集まっていた。

「帝が院となられた。これで、第一の争いの布石が一つ整ったな」

 高野山大阿闍梨の式神は、子どもの姿に似合わぬ老人の声で先日起きた一件について口を開いた。

「その新たな験が、3つの子どもが立太子することだったな。次は『傀儡の帝』の誕生。そう『未来記』には書かれておったな」

「左様。第一の争いで、新院や後に生まれる皇子以外の不要な者共に消えてもらう必要がある。第二の争いで白き龍に消えてもらうか」

 高野山大阿闍梨の式神は、禿頭(かむろあたま)の女児の姿をした斎王の式神の方を向いて、

「斎王殿下、弥勒菩薩がこの世に生まれるのはいつか?」

 と聞いた。

 女児の姿をした伊勢斎王の式神は、落ち着いた30代くらいの女性の声で答える。

「弥勒菩薩の条件を全て満たす者は、あと19年後に生まれます。が、一つを持ち合わせた者であれば、既にこの世に降誕しております。占いによれば、今は坂東にいるそうです」

「そうか。それからの道筋は、修羅になるぞ、頼政」

 天台座主の式神は下座に座っていた頼政の方を向いて言った。

 険しい表情でしばらくの間何かを考えたあと、頼政は重々しい口調で、

「覚悟はできています……」

 とだけ答えていた。


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