西行法師と初秋の月と百日紅
お盆ですね。
今日は旧暦では七月十七日。
十五日に満月が見られなくてガッカリしていたのですが、こちら東京は台風が去って、少し欠けている、さやかな月が顔を見せてくれました。
初秋の月の和歌といえば、
京都市北部にある船岡山は平安時代の墓所。蓮台野は船岡山の西麓で、墓地や火葬場であったと語釈があります。
〈根雨訳〉
次の年の七月十五日の夜。ひときわ月の明るい夜であったが、京の人々は身分の上も下も船岡山や蓮台野に集まって、亡くなった人をそれぞれに弔っている。それを見るにつけても、心にしみじみと思われて、
なんとかして私は今宵の月の明るさをわが身に備えて、冥土にあるという山への道を行く人を、その光で照らしたい。
この後には、このような歌も。
〈根雨訳〉
虫の声を聞いて、
私の今わの際には、野の草を枕に息を引き取ろうとしていたとしても、いま鳴いているような虫の音に親しみながら逝きたいなぁ。
そんな旅立ちならいいなぁと私も思いますね。
歌を詠んで詠んで七十三まで生きた西行法師。平安時代では長寿でしょう。花を散らして散らして咲かせ続ける百日紅みたい。
そう思うようになってから、白い百日紅がより好きになりました。
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