教科書に載っているけど本当は恐ろしい900年前の暴露系
古文講師です。いつも心がけているのは、若い人に「古文、意外とおもしろいかも」と思ってもらうことです。ゆえに、いろいろな古文エピソードを紹介しますが、高確率で興味を持ってもらえるのが、
「大鏡」の一番危ない話。
「大鏡」は900年ほど前の平安時代後期に成立したとされる歴史物語です。いくつかの話が高校の教科書に載っていますが、実に恐ろしい、闇の深~い暴露本です。
描かれているのは藤原氏全盛の時代。藤原氏は不比等の4人の子が南家、北家、式家、京家に分かれましたが、最終的に栄えたのは北家。その頂点が道長ですよね。
権力を握るということは帝のようになることでもありますから、当然、歴代の帝の逸話も語られます。
「騙されて出家しちゃった天皇がいるんだけど、知ってる?」
と若い人に聞くと、「天皇が騙されて出家? やばくないすか、それ」と、かなりの人が驚きます。
寛和二年(986)、即位してわずか二年の花山天皇が突然出家されました。19歳の若さで。
帝には、寵愛している、一つ年下の美しい女御(あとに出てくる道兼のいとこ)がいました。しかし、子を宿したまま体調を崩し、亡くなります。
悲しみにくれる帝。そこにつけこんだのが右大臣・藤原兼家です。「蜻蛉日記」で、作者の藤原道綱母から「今夜も来てくれない」「また浮気してる」「もう私、出家したい」といつもぼやかれているエリート貴族ですね。
この時の帝の蔵人(秘書)は兼家の三男・道兼。嘆かれている帝に出家をすすめます。「私も一緒に出家して、おそばにお仕えしますから」と言って。
帝は、世間に疎いお坊ちゃまという感じだったのでしょうか? 寛和二年六月二十二日の夜、道兼に導かれて内裏をあとにしてしまいます。
旧暦ですから二十二日は明け方の空に月があります。有明の月。この月光が明るいため、帝は「こんなに丸見えだと、どうもねぇ」と、ここにきて出家をためらいます。
数え年だから、今なら高校三年生くらい。日本を代表する大会社の御曹司で、若社長に就任して、まだ二年弱。なのに、身重の妻の死から立ち直れず、経営から身を引いて、寺におこもりになろうとしている。会社乗っ取りを画策しているベテラン社員たちにそそのかされて……そんな図式ですかね。
帝は、あたりを皓々と照らす月を見て、「本当にいいのか?」と、当然の不安を抱かれたのでしょう。
藤原氏側は、翻意されたら一大事。兼家は一日も早く懐仁親王を即位させたいのです。兼家の女・詮子(後に東三条院と称す)と円融天皇との間に生まれた親王です。
村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇
花山天皇は冷泉天皇の第一皇子です。
その後、月に雲がかかり、あたりが翳ります。帝は、亡き女御の手紙を捨てずに持っていて、何度も読み直していたことを思い出し、取りに戻られます。あせる道兼。
「どうしてそんなに未練がましくいらっしゃるのですか? この機会をのがされたら、また出家の妨げになることが起こりますよ」と、うそ泣きまでして、帝をお連れ出しになりました。
皇位のしるしである神璽・宝剣は、すでに懐仁親王の方へ移してしまっています。花山天皇に引き返されたら、大騒動必至です。
押し通すしかない!
道兼は帝を寺へと導きました。帝は剃髪して……出家してしまわれました。
見届けた道兼。「父の右大臣(兼家)に自分の俗世での最後の姿を見せに行ってまいります」と、寺から出て行ってしまいます。
帝はようやく「騙された」と悟られ、お泣きになったそうです。が、時すでに遅し。
懐仁親王が7歳で即位。一条天皇です。
7歳ですから、外祖父の右大臣・兼家が摂政となって、権力を握ります。
兼家亡き後は、息子同士で政権争い。弟の道長が勝利します。
藤原北家隆盛の内幕をいろいろ暴露している「大鏡」。
当時YouTubeがあったら、すごかったろーな~……などと妄想しながら、私は「大鏡」を愉しんでいます。
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