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転職と天職。

Miki's Picture of Today: Miki* Ikeda "Federico" (2024)



◇ そして物語が始まった◇


その昔のバブル景気全盛期(*1)。1986年、昭和61年のお話。
私が高校を卒業後の進学先に短期大学(*2)を選んだ理由は、すごく単純。
「早く就職をして、早くお金を稼ぎたい。社会人経験をしてみたい。」
世の中が活気があって明るく、全てのことに対してもポジティブで強気な日本だった。

80年代、当時の女子高生の進学先の主流は、大学が12.3%、短大(短期大学)が21.0 % で合計33.3%。短大に進学する方が、4年生大学よりもトレンドでした。(橘木俊詔氏のコラム「学歴入門 真実と対応策:第8回 学歴社会における女性の教育」大学新聞社より)

当時は、まだ、昭和の時代
女の子は、早く結婚して幸せになるのが当たり前」と言われた呪縛の時代

◇ なりたい職業は◇


高校生時代の私のなりたい職業は「小学校の教師」だった。高校生の時は、バンド活動をしつつ、文芸部で青春時代を謳歌。アレン・ギンズバーグをこよなく愛する部長のTちゃんと、筒井康隆広瀬正などちょっとSF文学に傾倒していた私。その部活の延長線上で、「国語を教え、部活指導をやり、子供に囲まれる日々。好きな道徳の時間で、子供と一緒に好きな映画やテレビを見るのもアリかな?」と思っていた私。

小学校の教師」になるために教育学部のある短大へ進学。(当時でも、うちの短大は男女共学で、クラスに2人の男子がいた。)そして、大学2年目の教育実習で、「学校の先生」という仕事の現実味を知る私がいた。

前もっていっておくが、これは私の所感である。当時の私が感じたことは、学校の先生というのは、〇〇小学校というしがない公共団体の支店の教職員であり、その支店の上司の方針に従い、お客様の大事な子供達教育知識の数値を上げていくのが仕事。(学校=教育の場)また、教職員は、子供達の成長を促しつつ、子供達の情緒教育を培うサポートをする立場であること。

私は5年生に配属され、2ヶ月ぐらいの教育実習を当時したのだと思う。(自分の記憶が薄れていて、わからない)配属先クラスの5年生のクラス担任、私の教育指導担当の先生は、学年主任であったのかもしれないが、30−40代ぐらいの男性。馬顔で背が高くて細長い体型で、とても優しい目をした人だったのを覚えている。名前は覚えてない。ちなみに、自分の教師像に全く自信がなかった私は、あえて自分の実家のある自治体の小学校ではなく、大学の近所の小学校に実習に行くことにした。教育実習先の小学校は、そのエリアでも新興住宅街のある活気のある学校で、一学年が5クラスあった。つまり、5X6=30。30人の人間が同じ職員室にいた。会社で言えば、小学校全体が一つの支店。事務室が事務部。給食室が食堂部。保健室が保健部。そして、教員のいる職員室は大部屋で、教務部。そして、学年が〇〇課に値する。

教育実習を終えて、自分が感じたこと。やっぱり私には荷が重い職業であったこと。子供達の喧騒は良しとしても、あの狭い職員室の重圧に耐えられない。教育担当の先生や他の五年生の先生からも、四方八方に監視の目があるようで、息苦しくなった。そして、勤務時間中は学校内のみ。外部者とのコンタクトもなし。学校というキングダム。当時の自分は、学校という城の大奥に連れてこられた世間を知らない生娘。いくら子供が好きでも、これは無理だ。

結局、大学2年生の夏、教員採用試験は受けなかった。教員試験が実施されたあの日、私は東京都の公務員試験を受けていた。あえて、同じ公務員でも、私は都庁の広報で働きたいと思っていた。このことを、私は両親には伝えてない。あえて、無言を貫いた。

◇ 棚からぼたもち◇


東京都の公務員試験の結果は、あえなく不合格。
では次にと、プランBに移行した。
当時、文芸にハマっていた私は、出版社広告代理店を立て続けに応募し、立て続けに不合格となった。
そう、バブル景気で、丙午翌年世代で、就職活動中の大学生の人数も前年度よりかなり多い
それゆえ、自分より優秀な人達が、私を横目に合格通知を貰っていた。

そんな中、親友Yが、当時の四大証券会社(*3)の内定を貰ってきたことを知った。

「そっか、Yも証券なんだし、私も証券でいいか。一緒に遊べるかな。」

楽観的な私は、某中堅証券会社を応募し、面接に行ったら、何とか内定
職種は、「店頭営業」。店頭営業の女性は、カタカナ用語で「カウンターレディ(CL)」と言っていた。
この名称。きっと当時の証券人事関係者があれこれと試行錯誤して、昭和的セールスの「ベタの新規開拓営業」のお仕事を、かっこよく名付けた職種なのだと思う。(苦笑)

ちなみに、他社も当時の証券業界の女性の店頭営業は「カウンターレディ」だったと思う。トレンディドラマ全盛期ゆえのカタカナ名だったのかと思う。今では、ナイトワーク系(バーとかスナックなどの夜のお仕事)の職種が「カウンターレディ」という一般定義にすりかわっている。きっとその昔、どこかの証券マン達が全国の夜のお店で、「君もうちのカウンターレディにならない?」と女性をスカウトをしていたのかもしれない。そこから、カウンターレディの名が夜に進出した?!ググってもわからない謎だけど、いまさらどうでもいいか。

ちなみに、店頭営業の男性は、「カウンタージェントルマン」とは言わない。ただの「営業の〇〇さん」。何でだろう?(苦笑)

◇ シンデレラを夢見る生活◇


1986年(昭和61年)に改正された「男女雇用機会均等法」(*4)の恩恵を、当時の私はここでしっかり得ている。大卒の同期と短大卒の同期では給与の差が多少あったとは言え、その昔よりも、男子同様女子も営業で成績を出せば、いいボーナスがもらえていた時代。私は新卒就職にあたり、ここでも「広報部」を希望したのだが、ニーズのある「店頭営業部」に配属。入社後、新人研修期間を経て、当時あった渋谷の支店に配属された。

当時のTVドラマのヒットといえば、「ふぞろいの林檎たち」(*5)と「東京ラブストーリー」(*6)。テレビドラマの主人公と自分を照らし合わせて、どこまでこの潤沢な景気と共に20代の青春を謳歌し幸せになれるか、夢描いていたあの日々。誰でもが、カンチとリカ(*7)になったような、人とすれ違いながらも自分の夢を追い求めることができた時代

そして、ラッキーなことに証券会社勤務時代の私は、TVドラマ「半沢直樹」(*8)のように、怒涛のバブル景気を満喫した。言い方を変えれば、勝ち組の生活日本人的サラリーマン非日常の勤務形態サービス残業は当たり前。早朝出社して、駅前でティッシュ配布残業を夜11時過ぎまでして、翌朝7時には出社する日々もあった。

◇ 愛と青春の旅立ち◇


ブラック企業(*9)?
そんな言葉は、当時はなかった。それが全て当たり前、として通用していたのだから。「それが嫌なら会社を辞めろ。」という昭和気質。そんな中、支店の同僚や先輩と仕事後の夕食や飲み会。その他に支店旅行とかの社員としての仕事以外の義務もありながらも、皆んながこなせた時代。全てがバブル景気を中心に回っていた。そう、みんなが正気でなかった日経平均を常に睨みつつ、まさに「狂気の沙汰も金次第」の貴重な時間の現場にいた私だった。

1991年以降のバブル崩壊を予知してではないが、私は3年ほどで、証券業から手を引いた。日々ノルマに追われ、心も体も疲れていた私は、バブル景気の中、ザラ場引けした。マネーゲームより、自分の好きな音楽の仕事にしようと、偶然に見つけた音楽業界の会社へ転職。そこでは、国内営業の統括部署のアシスタントとして本社勤務。ここで、証券の営業セールス力を活かした転職だった。そして、その後、広告代理店転職するのだけど、その話はまたいつか。

◇ 人生ペイバックの方式◇


短大の教育学部だった女子が、金融業界=>音楽業界=>広告業界と転職をしていった。実は、身内である妹から、「教育学部行ったのに、それ使ってないじゃん。金の無駄。」と、冷たくあしらわれたことがある。もちろん、教育学部を無事に卒業したので、教員になる為の必須単位を取っていたから、自動的に「小学校」と「幼稚園」の教員免許を授与された。この意味は、あなたは先生に採用されたら、働ける権利がある権利証みたいなもの。この人は児童心理学や教育学も学び、子どもの教育の基本事項を知っているので、いつでも子ども関連の職種で働けます、いう証明。

しかし、実際には、この教員免許所持で3度救われたことがある。つまり、ちゃんと教育学部の授業料を払っていたが、ペイバックできていた証明の話。

一つ目は、アメリカの大学に留学していた時、学費を稼ごうとアメリカ人ビジネスマン相手に日本語の先生をしていた。日本語の先生の資格ではないが、教員免許という小学校の先生の免許は、「日本語を正しく教えることのできる資格」として、アメリカ人の顧客に証明できた。

二つ目は、アメリカの大学の学費を稼ぐのに、日本に一時帰国した際、教育関係の仕事をすぐにみつけられたこと。この時も教員免許の提出が必須だったので、ここで時短で救われ、短期的に働きまとまったお金が作れた。

三つ目は、アメリカの大学を卒業して、現地アメリカで就職活動に苦戦を強いられていた私。しかし、何とか現地の日本人向けの小学校で短期間であったが働けた。(OPT期間中)もし、教員免許がなかったら、この仕事のオファーはなかったかと思われる。そして、その食い繋ぎで何とかアメリカで過ごせた。この後、次の仕事のオファーを経てアメリカの就労ビザを申請できることになった。この話はまた後ほど。

◇それはあなた次第◇


こんなちゃらんぽらんな性格の私でも、日本アメリカで、何とか正社員として就職をし、転職もできた。

転職=天職。
それは、あなた次第。


常に自分の興味のアンテナを広げて、自分の天職見つけてください。

もし、大学生のあなたがバイトの転職したいのなら、学生ゆえに許せる最強許容範囲なので、色々な業種の仕事をしてみて下さい。
しかし、バイトを始めて数日で辞めるとか、大人気ない行動はなしです。あくまでもバイトのプロとして、仕事を継続させましょう。そして、正社員になるシュミレーションゲーム感覚ホワイト企業を見つける練習をしましょう。
大学生時代沢山のバイトやインターンをして、自分の理想の仕事、仕事先を見つけてみて下さい。3、4年生で業種選択を焦るのを回避する得策です。もし、天職が見つかって、その職場の上司が「このままうちで就職しない?」と声をかけてくれることがあれば、コスパ最強で時短の就職活動になる場合もあります。

もし、社会人のあなたが転職したいのなら、コスパ&あなたの体調を考えましょう。あなたの体が一番大事。仕事はあなたがいなくても、他の人があなたの代わりに仕事してます。そして、短期間での味見就職(短期間就職)はしないでください。履歴書に無駄なシミを作ってしまいます。

もし、体調を崩しているのなら、転職とかを考えずに、会社の福利厚生制度を活用して、休職するのもありです。まあ、離職して、雇用保険(失業手当)をもらってもいいのだけど、会社在籍のブランクをわざわざ履歴書に残すよりは、在籍している方が得な場合もあるかと。もし、まだ会社に在籍をしている場合、気分転換して部署移動希望を出してもいいのだし。

まあ、事情によっては休職できない場合もあるかもしれません。社会人としての責任家族のため日々の生活費を稼ぐための仕事もあるかと思います。それは、大人として責任あるし、私は偉いと思います。

でも、最終的には、「自分の生きがいとなる仕事」を見つけることで、「クオリティー・オブ・ライフ」の達成感マックス(最大値)にできるのは事実。そんな素敵なお仕事が見つかることを、応援してます。まずは、転職したい会社のエゴサーチをして、どこまでその会社がピュアな経営をできているのか、会社の経営状況社員の満足度も確認しつつ、リサーチしてみて下さい。そこから、何か新たな発見があるかもしれませんしね。

◇ 最後に。ここだけの話ですが◇


では、迷宮のラビリンスに迷わぬよう、まずは精進して下さい。
老婆心でうだうだと言いましたが、先人の言葉を心に留めておくのも大事だよ。
って、いう私が先輩の話に耳を塞いでいたかもね。
ここだけの、昔の話ですが。(苦笑)

#転職体験記

( Miki's Keywords of Today )

(*1)バブル景気
あくまで日本だけにおける好景気の通称で内閣府の景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。(wikipedia「バブル景気」より

(*2)短期大学
大学のうち、「深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成する」ことを目的とする、中等教育修了者に対して教育を施す、修業年限(学位を修了するまでに最低限在学する年数)が3年以下の教育機関である。省略して短大(たんだい)と使用される。(wikipedia「短期大学」より

(*3)四大証券会社
昭和時代に日本経済を担った大手証券会社4社のこと。野村證券・大和證券・日興證券・山一證券を指す。山一證券は不正会計が発覚した1997年(平成9年)に自主廃業。(wikipedia「山一證券株式会社」参照

(*4)男女雇用機会均等法
1986年4月、男女雇用機会均等法が施行された。事業主が採用や配置、昇進、定年などに関する措置をするうえで「性別を理由にした差別の禁止」などが定められた。女性の社会進出が進む契機となり、多くの企業で「女性初の総合職」が誕生した。(日経新聞「〈昭和99年 ニッポン反転あのとき〉1986年 男女雇用機会均等法 第1世代が定年、残る格差」(2024年1月5日)記事より

(*5)「ふぞろいの林檎たち」
1983年の5月から7月に放送されたTBS系のテレビドラマ。バブリーな当時の世相を反映した大学生仲間の就職、恋愛、人生の試行錯誤を描いた昭和の名作。脚本/原作は、山田太一。主演は中井貴一。
碓井広義「放送40周年、山田太一脚本『ふぞろいの林檎たち』は、なぜ「名作」と呼ばれるのか」(Yahooニュース 2023/12/26(火))

(*6)「東京ラブストーリー」
(*7)カンチとリカ
1991年1月7日から3月18日に放送されたフジテレビ系のテレビドラマ。バブル世代、永尾完治(カンチ)と赤名リカ(リカ)の大都市東京での愛の駆け引き物語。織田裕二と鈴木保奈美が主演。2020年に別キャストでリメイク。原作は、1988年から小学館『ビッグコミックスピリッツ』で連載されていた柴門ふみによる漫画作品。
(wikipedia「東京ラブストーリー」参照)
*偶然見つけた堺屋 大地氏の「91年版『東京ラブストーリー』全話観直してわかった カンチもリカも実は全員「悪人」」(文春オンライン)っていう記事。観点が面白い。 https://bunshun.jp/articles/-/39310

(*8)「半沢直樹」
池井戸潤の小説「半沢直樹シリーズ」を原作としたTBS系のテレビドラマ。2013年版シリーズ、2020年版シリーズがある。主演は堺雅人。オリジナルは、バブル期に、大手都銀の東京中央銀行(産業中央銀行)に入行した半沢の物語。オリジナルの小説はバブル期だが、テレビドラマの時代設定は、放送時に合わせた現代。銀行、証券、金融庁あるあるが、書かれていて、面白い脚本だった。
(wikipedia「半沢直樹」参照)

(*9)ブラック企業
ブラック企業(ブラックきぎょう)またはブラック会社(ブラックがいしゃ)とは、法的には明確な定義は無いものの、「従業員を違法または劣悪な労働条件で酷使する企業」のこと。ネット由来の言葉である。世間では「ブラック企業」という言葉が安易に用いられいるものの、実態としては過重労働・パワーハラスメント・違法な長時間労働・達成困難なノルマ・賃金未払といった、働く先として避けるべきとされている企業の総称。反対の概念はホワイト企業。
(wikipedia「ブラック企業」参照)


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