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さわるもの 皆傷つける 女子の自負〜その美学、そして美意識 ”おこだわり”、本気(マジ)でどうでも良いのだよ…

 生きる上でのストレスの9割はこの「こだわり」のポイントがずれていることによって生まれる攻撃、非対称性による怨嗟ではないかと思っている。特に、自分の美意識、センス、に一切の疑いを持たないタイプの女性が、こだわらない人を攻撃する暴力性はマジでキツい。うっかり仕事で高い評価をされてしまっている女性の自負はマジでキツい。仕事をしていなくて、主婦、家族を支える、女性の自負もマジでキツい。勘弁してほしい。女性本人は実は何もしていない分、とてつもなく厄介である(あ、料理を作ったりして、支えているんだろうけど…)。
 大した影響力も持ち合わせぬ拙noteではあるが、自分が書いているものって「フェミ」的なもの、だと思う人もいるのかもしれんが、私は「フェミ」論壇がちょっと苦手だ。「フェミ」界を牽引してる人たちはやっぱりちょっと気の毒というか、厄介な役回りを背負わされているからで、痛々しくないフェミニスト、というのはどうあがいても日本では存在し得ない。ローラみたいな人が言ってくれないと何も始まらない…。それも極端かもしれないけど。
フェミ界は、鬱屈としてきた化石燃料のように地層にずっとあり続けてきた怨念のような、女性同士の怖さが発露されるようなそんな恐ろしい場であるというイメージがある。そしてフェミ側の「We(私たち)」側に勝手にいると思われても、怖いというか、細かい差異を認めてくれない怖さが怖いのである。まだ参加したこともないし、なんの招待状も来ていないが、「仮想フェミ論壇」に既に怯えている。誰にも会いたくなくて震えている。

「1982年生まれキム・ジヨン」はとても面白かったし、あのような作品が「フェミニズム」と言われるのはよくわかるんだけど…。

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