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外国語・・・できると・・・なんだか村八分?〜日本の「国際」何なのさ(4)

 20年以上前のことだが、友人の結婚式に出席した時の思い出である。

 友人は大学在学中から大変に英語が堪能で、就職氷河期においても一瞬で内定が出て、いわゆる「グローバル」な大企業にお勤めであった。結婚式に集まったメンバーは、「類は友を呼ぶ」とはこのことか、といった感じであり、私以外は超絶「バリキャリ(死語)」であった。

 新婦の友人だけが同じテーブルに集められる仕組みの結婚式において、私だけが残念な職場にいる自負はあり、母の見栄の産物のようなピンク色の着物を着て行った私は、当時の仕事のストレスから昼から出てくる贅沢なお肉を食べられる食欲もなく、下戸すぎてお酒も飲めず、ご祝儀3万円が高すぎて生活を圧迫。毎日の満員電車での通勤に苦しみ、一切の心の余裕がなく、ピン札を用意するにも四苦八苦。しわしわの札を捩じ込むように百均の封筒に入れ、なんとなく、母の見栄の産物である着物を着せられた「ざしきわらし」のような風体で都内の一等地で行われた結婚式に参加した。

 新婦であった友人の友人たちは、全員、海外在住経験があり(よく知らんけど)学生時代から英語がネイティブ並みに堪能で、就職氷河期下においても、即座に内定が出たであろうメンバーであった。彼女たちは、外資系コンサルティング会社(家族内での旅行先を決める際にもデメリットとメリットをそれぞれ列挙して行き先を決めるらしい!)に勤める女性、海外向けのコンテンツに携わる女性(上司が「冬ソナ」大ヒットの仕掛け人だと言っていた)、映画関連の仕事に勤める女性、などなどが勢揃いしていた。

 私は当時、英語教育に力を入れていた学校に行っていたにもかかわらず授業を寝倒し、謎のイベント運営にばかり注力。就職活動からはぐれ、毎日一人で、ワンルーム和室6畳の部屋でアリーマイラブを何度も見ていたことから英語のリスニング力が向上。人間と接することが苦手な精神状態に追い込まれたもののTOEICのスコアが異様に上がり、「英語と中国語ができまっす!」と面接で言い切ったことで運よく、残念な職場の内定を得た。

 実際に仕事が始まってみると、一体どういう軸で評価されたのか謎のベテランのオバサンやベテランのオッサンが牛耳る、立地以外はとても残念な環境の職場(失礼)で、案の定、英語力があるかもしれないが一般的なことが何もできなかったために、浮きに浮きまくり、村八分にあい鬱々としていた。

 結婚式では、新婦の「友人」という括りで同じバリキャリの女性たちの輪の中に便宜上入っていたが、自分だけ漫画「おぼっちゃまくん」の「びんぼっちゃま」のような立場だと思っていた。前側だけ、エリートのフリをしてスーツっぽいものを着ているが、後ろは、まるっとお尻が出ている感じであった(※比喩。お尻は出てはいない)。

 20代半ばごろの、(当時は自覚はなかったが)人生で最もキラキラしているメンバーが集結する結婚式、であるからして、同じテーブルには新郎のご友人の男性たちが同じくらいの人数、座っていた。彼らは新婦の友人である私たちに、どういう仕事をしているのか、などと聞いてきたので、それぞれ順番に今の仕事の話をしていった。

 「外資系コンサルティング会社」

 「海外との映像コンテンツに携わる会社」
 
 「映画関連の仕事」

 「(立地以外は)残念な職場(私)」

 などなどの話を順番にしていくうちに、同じテーブルに座る男性たちは、なんだかとっても、小さくなっていた。

「・・・す、す、すごいっすね・・・・」
「・・・めっちゃ、頭いいんですね・・・」

俯きがちで、女性たちとは目を合わせず、なんとなく目が泳いでいた。

ざしきわらしである(正確にはざしきわらしではないが)私は、なんとなく周囲のグローバルに活躍する優秀な女性たちの中の、ちょっとした「オチ」のような役割を担うこととなり、その場を和ませることに成功していた(実際はよくわからないが、多分)。

当時はとても驚いた。なぜならば英語ができる学生が多く女性も働こうと言う意識が強い人が多い学校にいたので、そのことはそこまで特別視されることではなかったのだ。ただし就職氷河期ということもあり、大学でかなり真面目に勉強している様子のひとも、女性は特に、なかなか就職が決まらない様子は、よく見聞きしてもいた。自分自身も英語コンプレックスがあり、英語が堪能な人やキャリアが華やかな人々を羨みのこもった目で見つめてはいたが、そう言う人も、当たり前のようにたくさんいたのでそんなに驚かなくはなっていた。英語力については育った環境が違うからぁぁ〜・・という懐かしの名曲「セロリ」のようなものだったのだが、大学を卒業してみると、高キャリア、かつ、英語ができる女性というのは、ほとんどいないことにも気づいた。畏怖の念というか異なりすぎる存在を見る目のような眼差しが、彼女たちに、向けられるのだった。英語ができる女性に対する目線というのは、いつも、こういう感じになるのだ。周囲の人の目が泳ぐのだった。何か異質なものをみるような目になってしまうのだった。

もちろん語学を身につけるためにはそれなりの長期にわたる勉強などは必要なのは間違いなく、海外経験がある女性、となればそれはご家族のお仕事の関係などから、まぁ、エリート的な人生を歩んでいて優秀な可能性は高いのだが・・・。

そんなに「優秀な女性(笑)」たちにドン引かなくても!?

日本の中で女性は常に、若干下の立場にいることをよしとされる。英語を話すこと、自分でキャリアを築いて、それなりの報酬を得ていて、なんとなくはっきりと自分の意見を言うような雰囲気の人は途轍もなくレアな存在であり、「畏怖」の対象となるのだと思った。

 そしてそう言う女性を見る日本人男性の目は何やら見てはいけないものを見たような目、「白目」になるのだった。(例外はあれど)


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