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璦憑姫と渦蛇辜 20章「紅い花の島」②


 渡り鳥が空を横切る。航路は北から南へ。ある時忽然と現れた島に、いつしか渡り鳥達は憩うようになった。風の化身のように鳥たちが滑空し、一羽また一羽とガジュマルの樹影の中へ消えていく。
それをタマヨリは丘から見ていた。
子どもの頃の遊び場だったその丘にタマヨリは簡素な小屋を建てて住まいとした。

 その場所は島の真ん中辺りあって、丘といって差し支えないそう高くない岩山である。そこだけ木が生えないものだから、浜から見るとこんもりした森の上に岩のお椀をかぶせたように見える。
丘の頂上からは、島全体と四方の海が見渡せた。
碧水の海、黒々とした森と日差しを照り返す葉の白さ、つつましやかな集落の屋根の茶色、真っ白い砂浜も全てタマヨリの双眸に収められた。
朝と夕には必ず、浜へ降りて梯梧デイゴの木の下に座った。
漁師小屋のあった場所に再び居を構えることはしなかった。良いも悪いも記憶は濃かった。
しかし毎日幹にもたれ海を眺め、潮騒に耳を預けた。波音の数だけ懐かしいもので満たされた。日々はそうやって揺蕩うように流れていった。

 それから山の上を居所にしたのには、もうひとつ訳があった。
いつのころからか『下海げかい』の仇者あだものたちが、島の周囲に現れては海賊たちにちょっかいを出すようになった。
海賊というが、もうすでに彼らはどこぞの島や船を襲うこともないただの島民になっていた。
少しばかり腕に覚えがあり、少しばかり血気盛んで、少しばかり航海に長けた島民たちは多少のことには動じなかった。
それでもタマヨリは常ならぬことが起こらぬように、海を見張り続けていた。


「ウズ、カイ、ハト。まじないを描いてやるぞ」

タマヨリは漁に出る三人を呼び止めて、灰と土と己の血を少しだけ混ぜた塗料を男達に塗った。
紋様は昔、島の漁師達が彫っていた入墨を真似て描いた。
そこへ「待てよおう」と声を上げながら走り寄ってくる子どもがいた。

「おれも連れてってよおう! 」

砂に足を取られながら息を切らせてやって来たのは不知火しらぬいだった。

「おまえ怪我は治ったのか? 」

とウズに聞かれると、

「大丈夫だ。コトウももう治ったと云ってる」

と日に焼けた脚を突き出して見せた。激しく擦ったような痕があるが、脚はピンピンと元気よく跳ね動いた。

「兎を追って崖から落ちるとか、ほんとドジだなぁ」

とハトが腕組みして呆れ顔をした。それにウズは、

「ハトさあ、不知火に兄貴面するのやめたら。対して変わんねえよお前の素行も」

と呆れ口調で云った。

「あら?そう? 」

とハトは何も気にしていない素っ頓狂な顔で答えた。

「おれ、ハト好きだよ。おもしれーから」

「不知火ぃ、ハトから面白いをとったら何も残らねえぞ。ハトは面白いからハトなのよ」

不知火をカイは大真面目に諭してみせた。

「そうなのかあ。それより見てくれこれ」

と不知火は銛を差し出した。

「ええ銛じゃな」とタマヨリ。

「だろ。ろうが教えてくれたんだ。ここの結え方に工夫があって、深く刺さっても先が抜けることはないんだ」

「へえ、見た目はそんなに違いないが、浪はよく考えるものだなぁ。どうなってるんだ」

カイが不知火の手からそれを取ろうとすると、慌てて後ろに隠した。

「だめだめ。カイは何でも解体しちゃうからだめ」

「だってどうなっているか、確かめたいだろう」

「浪に教えてもらったらいいだろう。今日はこれで大物獲って、母ちゃんに食わせてやるんだから」

「ほれ、不知火もこい」

張り切る不知火をタマヨリは手招きし、同じようにまじないの紋様を描いてやった。

「これで滅多なもんは近寄ってこれねえ。じゃが、海の中は海の者の領域じゃ。何かおかしいと思ったら決して近づくな。きれいな珊瑚じゃと思っても、怪しめ。決して欲をかくな。そういう隙をあの人・・・は狙ってくるからの」

タマヨリにいい含められ不知火はうなづいたが、気になったことを口にした。

「あの人って誰のこと? 」

タマヨリは云おうか云うまいか迷った末に、

「おれの母上」

と答えた。不知火は納得いかない顔をしたが、カイ達に促されて舟に向かった。

「気をつけるんじゃぞー! 」

とタマヨリは大きく手を振った。


 それからタマヨリは海岸線沿いに歩いた。
薄い雲が時々日差しを遮る。東から風が吹き、年中暖かなこの島にも季節の変化は訪れることを感じさせた。
その微かな綻びから滲むように、悪しき者は現れる。
海嘯洞窟の近くを岩場づたいに歩いている時、人の呼ぶ声が聞こえた。

「おおーい、タマ! 」

波間から顔を出した礁玉しょうぎょくが大きく手を振っているのに気がつくと、

「なんじゃあー? 」

と応えそのまま海へと飛び込んだ。タマヨリの脚は尾鰭のようにしなり、その動作ひとつで礁玉のいるところまでたどりついた。 

「ちょっとついて来い」

そういうと礁玉は先にたって泳ぎ始めた。
水に潜ったまま体のしなりだけで前進し、時折腕が水を掻いた。ふたりの影は二匹の魚のように海底の白砂の上を流れた。
梯梧の木の浜とはちょうど真裏に位置する辺りまで来ると、礁玉は水から顔を上げた。

「潮にのって流れついたようだ」

「ひどいな………」

そう云ったきりタマヨリは、胸の内が冷えて硬くなるに任せた。
岩と岩の間に年若い娘の躯が6体も打ち上げられていた。
近寄って見れば体から血が抜かれている。そんなことをする者をひとりしか知らない。

「………母上」

タマヨリの母、乙姫は美貌と若さを保つため若い娘の血を浴びた。そうしなければ術が解けて老婆の姿になるのだ。もっとも効果があるのはタマヨリの血であるが、島には何者も拒む結界が張られていた。

「これまでは、変な奴が現われても島には近づけなかった」

と云った礁玉にタマヨリは答えた。

「ああ、ワダツミが張った結界と云うやつだろうな。でも、今、なぜ…………」

「それだよ。磯といえどここはもう島の中だ。見てみな、娘たちの額に印があるだろう」

タマヨリがひとりひとりを確かめるとみな同じように額に赤い印が描かれていた。

「たぶん、結界破りの印だ。島に確実に漂着するように術をかけたんだ」

「ああ、あたしもそうじゃないかと思う」

「…………これを、おれに見せるため…………」

「どこまでも腐った婆あだな」

「…………娘たちはいつまで犠牲になるんじゃ」

「居場所がわかれば、あたしが行って腹を掻っ捌いてやりたいよ」

「いいよ礁姐…………」

「でもさあ、あの女は波座なぐらと亥去火の仇なんだよ。一矢報いたいだろ」

「それは分かるさ。でも……おれの母上のしたことだ、全部」

「まあそれはそうなんだとして、島はここに住んでるやつら皆で守ればいい。何から何まであんたに任せたいわけじゃない。背負うな」

「ああ」

「さあて、どうしようか。浪達を呼んで埋めるか? 」

「ああ、そうしてやってくれ」

タマヨリは娘達に向かい合うと、

「おれが故郷へ戻してやるからな、なんてことないからな」

と語りかけ魂のために歌い始めた。その歌声は優しいいさら波のように海の面を伝い、娘達の魂を絡めとって運んでいった。


 娘達の躯は浜に埋められ、子どもらが摘んできた浜菊が供えられた。
コトウ、イオメ夫婦と子ども、元海賊の男らふたりは集落へ戻って行ったが、そのまま浜に残った礁玉に合わせて浪とタマヨリは残った。

「あたしの脚が海から戻ったら帰るよ」

脚というのはハトのことである。他にも礁玉を背負って歩ける男はいるのだが、ハトはすすんでその役目を買った。

「不知火はずいぶんと張り切って漁に出ましたが、どうだろうか、期待通りにいくかな」

浪が海の方を見やりながら云えば、

「まあ溺れなければいいさ」

と礁玉は軽い調子で答え、

「あいつも泳ぐのが下手なんだ。親父に似たんだろうけどさ」

と続けた。
浪とタマヨリはすぐさま目配せし合った。礁玉が不知火の父親について口にするのは初めてだったのだ。礁玉は自身が口にしたことに気がつかない様子だ。

「しょ、礁姐はさあ、あ、会いたいと思わない?亥去火に」

タマヨリは探り探りといった調子で訊ねてみた。

「ああ?亥去火にかい? 」

「ああ、うん。おれ、出来るよ。亥去火の魂をここに呼ぶこともできるよ。会いたくないの? 」

はははと声を上げて礁玉は笑うと、

「そんなことしてみろ、あたしがメソメソしてるみたいじゃないかい。それに、あいつとは子どもの頃から一緒だったからさ、ようやくあたしのいない場所でのびのびやってりゃいいんだよ。死ぬまであたししか見ていない男だよ、こっちも息が詰まるってもんだよ」

と云った。

「強がりか? 」

風下に立ってタマヨリは浪にだけ聞こえる声で云った。

「存外そうでもないところが、お頭のお頭たる所以ですよ。でも」

「でも? 」

「私は会いたいですけどね、亥去火に。たまにどうしても会いたくなるんですよ、他の誰かではなく彼に」

「なら呼んでやるよ」

「いいんです」

「なぜじゃ? 」

「私もメソメソしてると思われたら嫌ですから。俺がいないとだめだろって云われそうで」

「ああ、云いそうじゃなあ」

「彼や亜呼にもう一度あった時、胸を張っていられるように私は生きていかなければいけないんです」

「………そうじゃな」

「でも会いたいんですけどね」

「どっちじゃ」

ふたりは顔を見合わせてくつくつと笑った。

「でも、分るよ」

「ほう」

「ないないと思ってるうちはなかったものが、ずいぶん近くにあってな、なんじゃそんなに嘆き悲しまんでもよかったのかと今では思う。
兄ぃさはおる・・んじゃ。今は精一杯生きとるだけで、なんかええ気がしてきてな…………、寂しくないわけじゃない、ただ、おれはもう大丈夫」

それを聞いて浪は、この娘はようやく帰りついたのだろうと思った。探し続けた家族のもとへ。




続く



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