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『他者の靴を履く』のは、どうでしょう?
ブレイディみかこ 『他者の靴を履く』(文藝春秋、2021年)
今回は、この本を中心に記事を書きます。
その前に連続しているので新たに記事にしませんでしたが、
こちらも読みました。
![](https://assets.st-note.com/img/1673531184658-tkYEmGQ5Fu.jpg?width=800)
2冊目の本も、11章で多様性を含むイギリスでの暮らしが描かれており、
非常に考えさせられました。
今回書く本『他者の靴を履く』は、
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』1、2を書いた作家が
以下のように紹介している。
もっと深くエンパシーを掘り下げて自分なりに思考した文章を書くことは、
たった4ページでその言葉の「さわり」だけを書いてしまった著者がやっておくべき仕事ではないかと感じるようになった。
そうして出来上がったのが本書である。だから、これは『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本とも言える。
また、ある意味では、あの本の著者が「母ちゃん」としてではなく、
「わたし」という一人の人間として(ときには一人の女性として)
「他者の靴を履くこと」を思索する旅に出た「大人の続編」と言っていいかもしれない。
11章から構造された本書は、
第1章において「共感(エンパシー)」の意味や、
その使われ方が丁寧に説明されている。
経済、マーガレット・サッチャーの思想から現代のコロナ禍、
哲学的な捉え方、現代社会において。
ざっくり章立てから取り上げると上記のような状況下で
エンパシーを考えているのである。
日本人は、もしかしたら他の国よりも共感能力に長けているかもしれない。
しかし、重要であろうか。
共感とは自身が経験したことのないことや、思想を理解することである。
想像をすることが出来ても、安易に「分かるよ。」とは言えないものだ。
だが、そこで他者とは分かりあえないと決め込むのも早い。
常に考え続けなくてはいけない課題である。
便利な時代になったが、その代わり物事は複雑だ。
多様性と生き方について、考えさせられました。
自分では変えられないことを、周りの環境が故に強いられたら
どれほど苦痛なものか。
それを誰かが「分かるよ。」なんていうのであれば、
腹が立つかもしれない。
言葉で解決出来ているうちはまだ平和なものである。
互いを認め、尊敬し、いろんな人が生きやすい環境となるように願う。
しかし、一体それは何だ?
解決すべき問題は1つではない。
それこそ多種多様である。
ならば、環境も多種多様あるのではないか。
生きていれば、悲しいことも嬉しいこともある。
それは1人でないからだ。
しかし、1人でないことは様々な思想を持った者と同じ地上で生きていくと
いうことでもある。
現代社会におけるエンパシー、多様性について考えさえられるので
おすすめです。
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