母のルーツを辿り、私の人生を観る
母と父は東京都中央区の茅場町にある、とある証券会社で出会った。
2人とも地元は偶然にも茨城で、偶然が重なり幼稚園まで一緒だった。母は父のひとつ上の学年だった。
そんな2人が茅場町で出会って、結婚して、茨城に戻って、産まれたのが私。
母と今日、茅場町をデートして母が私くらいの年齢だった頃に思いを馳せたので、そんな備忘録。
星明かりの田舎から、ビルの街東京へ
母の地元は茨城の中でも群を抜いて田舎で、今となっては高齢者が住民の多くを占めている街です。
母は地元の短大を出た後に、バブル真っ盛りの中証券会社に入社をしました。
お昼休みにわざわざ上司がタクシーを捕まえて焼肉に連れてってくれたとか、同期とデパートで買い物をしただとか、新宿二丁目に行きつけのゲイバーがあったとか、本当に煌びやかなエピソードを小さい頃から聞かせてくれました。
その翌年、バブルが丁度弾けた年に父が同じ会社に入社したそうで。
父は身長180cmで小顔のうえ細身な体躯だったので(いまは立派なビール腹だけども)、就活学生や新入社員向けのパンフレットに、「新入社員山田くん(仮名)の1日」として掲載されたそう。非常にウケる。
「ママは4階のトレーディング部で、パパは1階の営業部だったんだよ」
今となってはリニューアルされて新しくなったビルのロビーに、そのビルのかつての姿の写真が飾られていて、母が指をさして教えてくれました。
ビルの階とか、覚えてるもんなんですね。もう20年以上も前のことなのに。
今となっては父の誕生日ですら普通に忘れて父を拗ねさせる母が意外とそういうことを覚えてて、不思議な気持ちになりました。
普段は「パパは全然おしゃれじゃない」「ムカつく」とか「どっか行け!」みたいな悪口しか言わないのに、付き合ってた頃に買ってもらったTiffanyのネックレスを今でも付けてたりとか、中々意地らしい女だなと思う。
めちゃくちゃ憶測だけど母たぶん恋多き女だったと思うし、わがままさと天然さとマイペース具合が中々に男心を掻き乱してたと思う。
そんな母は結婚を機に東京から茨城に帰ったわけだけど、東京が大好きみたい。
好きというより、今でさえも憧れの気持ちが強い。
母が好きなのは新宿伊勢丹、コレド室町、日本橋高島屋。たぶん昔行った思い出とか懐かしさも交ってる。
「ママ、日本橋に住みたい!」と本気で住みたそうに言うので「日本橋は住むようなとこじゃないよ」って笑いながら言ってもあんまり聞いてる感じしない。絶対スーパー少なくて大変だろうに。
日本橋じゃないにしても、母がもし結婚しても東京にいたらきっともっと毎日がきらきらだったのかな、とか思う。
綺麗なものとか綺麗な人、おいしそう、なんかおしゃれ、そんなものに対する感度が高い人だと思う。でもだからこそ、もしずっと東京にいたら疲れちゃってたかな。
そんな母の一人娘
正直そんな派手な人生は送ってないつもりだったけど、思い返せばまあまあな輝いたり傷ついたりを経験してきたんだなって思います。
というより、今年の春新社会人になり、「新卒」というくくりで横並びにさせられて気付かされた。
コロナ禍の学生時代、私の主なコミュニティは学校ではなかったので、久しぶりに同年代と横並びに並ばされた。そして非常に戸惑った。
あ、私って普通に生きてたら出来ないような経験をたくさんしてきたんだ!って気づいて、秘密にして周りに擬態した。
カメラマンさんとの撮影経験はひとつひとつが特別。わたしを作品に閉じ込めてくれる、尊い瞬間。
noteもたくさん書いた。
モデルでも、文章でも、表現することは私の生きる道を豊かにしてくれた。
普通の大学生の倍はお酒も飲んだし、貸切の六本木のクラブにも行ったし、お金もたくさん稼いだしたくさん使った。渋谷のキャッチに顔を覚えられた。インスタに載ってるオシャレな店にもたくさん行った。男にも女にも恋をした。持ってる化粧品はいつの間にか全部デパコスになっていた。タトゥーもデザインをオーダーして内腿に入れた。
非日常が日常だった。
高校までずっと茨城で育った私は、東京の大学に進学して「東京」を貪った。
そして社会人になって住まいを東京に移し、東京の利便性に慣れていく。
東京の物価にも慣れていく。
地図を見ないでもダンジョンな駅や街を歩けるようになっていく。
自分の周りに遠いんだか近いんだか分からない人が増えていくのにも慣れていく。
だけどやっぱり、東京への「憧れ」はなくならないままだと思う。
腕にぎっしりタトゥーが入っている人をみるとやっぱり心がときめく。OL辞めようかなと軽率に思う。
間接照明の雰囲気がいい店には相変わらずときめく。ひとりでも軽率にお店入ってお酒頼んじゃう。
天井の高いホテルラウンジでの食事にも心がときめく。こういうとこでサプライズとかされちゃったりしたいな、とか軽率に考える。
どれだけ東京にいても、もし将来東京に飽きても、きっと東京が好きなんだろうなと思います。
帰属意識とか地元愛とかびっくりするくらい無い軽薄な女だけど。
だけど母みたいに、私も東京に特別な思いを抱き続けるんだろうなと思う、夏の私のお話でした。
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