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都合のいい言葉を並べて

あと何日も経たないうちに大学の卒業式がある。

私の大学生活の主に関わりがあったコミュニティは大学外にありました。
最初の1年はもちろん大学の友だちや部活が主なコミュニティだったけれど。
2年生の進級を前にコロナを迎えた私は、そこから先は学外の人達とずっと過していました。

悪くいうなら、街中で歩いていたら「この人なにやってる人なんだろう」と思うような人。
良く言うなら、実年齢を超える雰囲気をまとっている人。
そんな生活をしてきたからか、大学の友だちのインスタのストーリーや近況がまるで外国のことのように感じます。
卒業旅行、部活後のご飯、免許合宿、就職活動。

人と違う所がいいと私のことを褒めてた人に、普通じゃないよとけなされたこともある。
みんな都合のいい部分だけ関わって、自分に都合が悪いと敵に回す。

私が得た普通じゃない経験を、そのコミュニティ外の人に話したことが思えば1回もなかった。
noteにも1度も具体的な言葉を使って表現したことは無いんです。
私も都合のいい部分だけを世間と交友関係に公開しているだけ。

いいなあ羨ましい、大学生活をまっとうに、部活ないしサークルのコミュニティをメインで過ごして世間の大多数になることに疑問を持たず就活をできる価値観。素直さ。
小さな社会の中で、仕掛けられていることに気が付かず生きていけたら、どれだけ心穏やかなんだろう。
こうやってないものねだりをしてしまうのは、なおしたい癖のひとつです。

戦争のない時代の日本に生まれて、大きな病気もしてなくて、ご飯も食べれて蛇口を捻れば水が出る。時給2000円という破格の報酬の仕事だってしてる。
世の中悲しい事情がたくさん溢れている中では、十分幸せ者なはずなのに、なんで人間ってこんなに強欲なんだろう。
1人になりたいとか、誰かいないと寂しいとか、これをやりたいとか、やりたくないとか。
そんな望みが叶わないと酷く自分が不幸な人間に思える。
自分の不幸も幸せも、みんな都合のいいように解釈している気がします。私だってそう。
人間みんな自分が世界でいちばん不遇のヒロインでありたいのかもしれない。

自分の人生も他人のことも、みんな自分に都合のいい言葉で描写する。

私のもうあと数日しか残されていない学生という期間を、なんと表現しよう。

何度もひとりで声を殺して布団の中で涙を流した。拭われない涙はじっとりと頬を辿って耳にたどり着く。
私の4年間の変化を見てきた大人の女性に「まだ子供だったのに、すっかり女性になったのね」と言われた時、嬉しい気持ちとスレてしまった恥ずかしさに襲われました。

都合のいい言葉で表現するのには勿体ない貴さと、無かったことにしてしまいたい憎らしさを持つ日々のお話でした。


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