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思春期のスイッチを入れるのは誰?

今日は、子どもたち本人にはあまり見せられない、母親の本音を話します。。。



内容問わず、親の言うことになんだかイラっとして、内容はともかく口を出されること自体が嫌になる。

思春期って、何がきっかけだったんだろう?

子どもが10代に入り、そんな記憶を辿る機会が増えました。

うちの子どもは、口ゲンカはするものの、まだ一人でいるより親と一緒にいる方がいいそうで、放って置かれるより口出しをして欲しいそうなのだけど、

ここ1年くらい前からわたしの方が子どもが自分の仕事の進捗を気にしたり、思わぬタイミングでふれあいを求めてくることに違和感を感じ、「引いてしまう」自分がいることを感じるようになりました。

長女がまだ小さかった頃、すでに高学年になった兄弟を持つ友達のお母さんたちから、上の子がふれあいを求めてきても、下の子のように自然に関われない、という話は何度か聞いていたので、

あ、それがこの感じなのかも?と思ったのでした。

下の子に自然にできることが、上の子にはできない。

それは、兄弟に差をつけたくない、平等に愛する親でありたい、と心がける倫理的な親にとっては罪悪感を感じてしまうこと。

親子といえども人と人、相性もあるのかな、なんて思っていたけど、自分がなってみると、これはそういう類とはまた別の大いなる力学が働いているような気がしてならないのでした。

赤ちゃんのときは、同じトイレの個室で大小問わずしたし、濡れ髪全裸のままオムツを替えたり、そのまま授乳に突入しても、長女に対して恥ずかしさを感じたことはありません。

でも今は、次女でもトイレは一緒に入っても、違和感なく済ませられるのは小さいほうまで。

それ以上は、なんかもう、恥ずかしいのでイヤ、というか出ない

お下品な基準のようだけど、排泄って他人の目があると、自然とできない、アンコントローラブルな生理現象だけに、自分の子をどれだけ自分と違う「一人の人間」として認識しているかを最も的確に表していると言えるでしょう。

成長するほどに大人の行動や言葉の意味を理解し、自分とは違う感覚や世界観を持っていることが明らかになっていく。同じように感じているわけではない、独立した他者としての視線を感じるようになる。

その過程は数値で記録しているわけではないけれど、小さなやりとりの変化から、肉体は自然と「彼女は別の人間」として反応を起こしていく。

そして、その境界線で我が子と自分が他者として充分に分離したとき、抱きしめたいままに子どもを抱きしめたり、求められるままに体を差し出すことができなくなるんじゃないかな、って思ったのです。

思春期は、一般的には子どもの方が、親の束縛や干渉に嫌気がさして距離を置いていくように捉えられています。

でも、家父長的な家族の形が変わり、子どもの声はできる限り聞き、まずは寄り添うことを重ねてきた今の家族の形の場合、子どもは特に親から逃れる必要性を感じず、親の方が先に子どもを自然に受け入れられなくなるパターンも多くあるのではないでしょうか。

少なくとも自分は今、長女から一定のラインより急に接近されると次女のときには感じられない圧迫感のようなものを感じ、パーソナルスペースを確保したくなります。

それはまさに、自分が思春期のときに、親に感じていたものと同じ類のものです。

いわゆる「ノックしないで入るなよ!」って感じの。

もしこの憶測が思い違いでないなら、思春期には激しい反抗期はなくても、一人の人間として子どもと距離を取ることは成長の過程で不可欠で、子どもとの接触に違和感を感じるのは自然の計らいによるサインであって、

これを「罪悪感」を持って受け止める必要はないわけです。

急にふれあいを求められても受け止めきれないときは、後で時間を作るよ、と正直に言っていい。

仕事の話に首を突っ込まれたくないなら、これはあなたの関わる問題ではない、と線を引いていい。

実際はこういうとき、まさに思春期的な反応スイッチが先に押されてしまうので、なかなか上手に立ち回れないし、

優しい声色まで作れないことも(ほぼ毎回)あるし、反射的に「ちょ、やめて!」と言ってしまうこともあるのだけれど。

そうすると、子どもも感情的になって「大人はわかってくれない!」なんてふてくされる。けど、それでいいんだろうとも思う。

それで、母親を嫌になって思春期が始まるなら、それこそが自然の計らいの指し示す道筋なんではないかとすら、思ったりする。

成長はいつも螺旋、通過儀礼には痛みを伴う。パッと見、正しそう、順調そうに見えないフェーズこそ、一番大事だったりするし。

だから、感情的な反応の連鎖で、思春期の導火線に火をつけることも、道を外れているわけではないと、なんとなく感じております。

なんて、都合のいい考え方かもしれないけど、

本当は、違和感を感じているのに、無理して抱きしめたり

本当は話しかけられたくないのに、無理に笑顔を作ったりすることは、

しなくていいし、したくないことだけは、自分の中で固まった。


思春期の子どもは、大人の本性を見抜くもの。

だから、正直である以上に、わたしたちにできることはない

親の言葉が届かなくなった自分の子に、自分らしく、正直に、飾りすぎず生きて欲しいと思うなら、その背中を見せる他、伝えるすべはないし、

嘘で子どもに合わせてました、とあとで見抜かれることは、同じトイレで大きい方をすることより、ずっとずっと恥ずかしいと、思うのです。

それにしても、思春期のいらだちって、ほんと不可抗力なパワーがあるね。

体は中年だけど、久々に思春期メンタルをリアルに体験させてくれて、娘よありがとう!

というわけで、我が家の娘の思春期のスイッチを押す犯人は、母親のわたしです。

まだ本格的にオンにはなっていませんが、完全にスイッチ入っちゃったときは、お友達、諸先輩の皆さま、よろしくお願いいたします。



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自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。