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頭と体のサーキュラーエコノミー

※この毎日投稿は、Stand.fmの音声投稿をふりかえりながら、補足や一歩踏み込んだ内容を書いています。

今日は、炎上をゴミの捨て方の問題と仮置きして考えてみると、わかりやすくなったという話をした。

あらゆる表現は、出来事に対する反応として発生した感情を処理する思考の過程で発生した副産物で、この運動の目的は表現ではなく、「スッキリする」こと。

と、定義するとき、頭のゴミにも不燃ゴミと可燃ゴミがあり、不燃ゴミは反応を引き起こした物事を改善する資源として使いやすい、建設的な提案のような「ポジティブ」な表現、

可燃ゴミは場を反応を引き起こした物事への批判や愚痴などの「ネガティブ」な表現とサブ概念も定義しうる、という話をした。

炎上を引き起こすのは、可燃ゴミだ。一旦燃え始めると、周りの人間も燃料としての思考の可燃ゴミを投げ入れて、どんどん燃え広がる。

でも、可燃ゴミを共に燃やし合う行為は、ファイヤーサークルのような限られた安全な場所で行えば、必ずしも問題のある行為ではない。

出来事へのネガティブな反応を開示し合い、「わたしだけじゃなかったんだ」と、互いの心を温め合い、人とつながる焚き火を囲む時間は、人の心を癒し、浄化する。
(それでも、水を入れたバケツは置いておかないと危険かもしれないが)

炎上の問題は、それが安全性が確保された少人数の場ではない、公共の場で行われてしまうことにある。

SNSをキャンプ場だと勘違いし、焚き火をしていたつもりが実は街中で、火が思わぬ場所に燃え移ってしまう。調子に乗って焚き火の火を持ちあるき、森に火を移してしまう。

分かってやっている、「炎上商法」などの、意図的な放火もあるだろうけど、今日の焦点は、表現する人間として、可燃ゴミとしての表現をどう適切に扱うかということだ。

インターネットの世界は、キャンプ場ではない。

だからネガティブな表現は、「これは私の個人的な思い込みかもしれませんが」などと、個人の印象という枠を越えて燃え広がらないように、「ソロキャンサイズの焚き火台」を置いてみたり、

音声で紹介したように、「整理して資源ゴミ化する」ような計らいが必要だと思う。

ちゃんと資源として活用できるかという検証はさておき、「個人的には(←焚き火台)」、こうして、順序立てて説明するような長い文章にするのは、その行為にあたると思って、書いている。

でも、資源ゴミの日が週に一度のように、毎日のゴミ出しを資源ゴミとしてまとめるのって大変だ。資源にするのには量も中途半端だし、時間と手間がかかりすぎる。

わたしにとって、毎日投稿は、頭のゴミ出しであるのと同時に、表現を仕事にする人間として求められる、整理の仕方の練習であるから、もうしばらくは続けるつもりだ。

けれども、そういう目的がないなら、オフラインやクローズドコミュニティで焚き火をする以外に、どんな方法があるだろう?

と考えてみると、コンポストがいいのではないかと思った。

要は、メモ書きにして書き捨てることだ。
個人のメモ書きは、忘れ去られることも多いから、整理された言論のように資源として他の人に使える形にはならないかもしれない。

けれども、無意識化で分解され、結びつき、自分自身を経験的に変容させていく、自分自身を熟させる肥やしになるのではないだろうか。

毎日投稿は、わたしもきっとどこかで卒業する。

仕事と自分の表現がもっと結びつき、現実と理想の軋轢が減り、頭のゴミの量が減れば、自然と必要なくなるからだ。

そうなったら、日々の頭のゴミはコンポストへ。

頭と身体が、相互の変容の動力となる、循環型のライフスタイルへ。

いいねえ。
急ぐことはしないけど、そういう生き方に、一歩ずつ近づいていきたい。

↓なぜ表現をゴミ扱いするのか?可燃ゴミの例などは音声投稿から


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。