女子大生だったわたしが、ただのゲームオタクに一瞬で惚れた話。
1時間以内に1記事書いてみる挑戦
夏休みはダレる。
パソコンに座っているだけで子供が不機嫌になるので、自分がやらねば思っていることをやろうとすると、子育てをサボっている気になり、
子供に付き合っていると、やらねばならないことから逃げている気になり、
しかしやらねばと思っていることが金を生み出しているわけではないので、どちらも瞬間的にみるとまったく生産性がないから、達成感が得られず、久々にひとり酒に 手を出してしまった。
これはいかん!!
実はさっき10分でさっと投稿する訓練をしようとしてたんだけど、早速失敗したので1時間に伸ばして二度目のチャレンジ。
考えていることを書くと、ゴールがないので失敗するようなので、エピソードをひとつ書いてみることにする。
(多分すぐ終わるから)夫に惚れた理由を話そうと思う。
最近、おっさん愛玩家と自称しているわたくし。
(↑おっさん愛玩家としての活動例)
哀愁や才能の無駄遣いが大好きで、それなりの才能に恵まれて努力も重ねてきたのに、最前線になることはできなくて、斜め45度行っちゃった人をみるとすぐ好きになる。
しかしながら、結婚10年以上、浮気一つしていないのは、単に私が女性として男性を誘う能力に欠けているから、だけではない(はずだと思いたい)。
夫のことは、ジャンクを組み合わせて市販品を再現したり、身長160センチとは思えないスタイルの良さなのにダブダブの服しか着ないという、才能の無駄遣イストとして尊敬しているが、
才能の無駄遣いなら、ネット界隈には掃いて捨てるほどいるわけで、サシで戦わせたら頂点に上り詰めることはできないだろう。
それでも、「夫is至高」を貫けているのは、自分には絶対にできない人間性を見せつけられたエピソードがあるからだ。
わたしがまだうら若きピチピチの女子大生だったころ
それは、まだ二十歳そこそこの大学生の頃、結婚式場のカメラマンの助手をしていたころのこと。あるゲストハウスウェディングの式場で、わたしは彼の撮影の助手に付いていた。
結婚式の後に行われる、屋外での集合写真の撮影。助手だったわたしはストロボの光量を調節したり、親族を並べるのを手伝ったりしていた。
が、コードに足を引っ掛け、ストロボと転倒。
数十人のお客さんの前で大破させた。
客と場の空気が凍りつくなか、彼は全く動じずにニコニコ笑いながら予備のストロボを付け直し(この辺は私は動揺していたのでうろ覚え)撮影を終えた後、
「はーい、これフィルム変えといてねー」
まだ数回しかしていないブローニーフィルム(普通のフィルムよりサイズが大きい巻物状のネガフィルム。はしっこを指で押さえながら扱わないと、ダメにしてしまうため慣れないと怖い)の交換を私に任せたのだ。
「!?!?え!?!?今私ストロボ大破させたけど!?それでこのフィルムダメにしたら、完全にヤヴァイけど!?!?いいの!?いいの!?」
普通、失敗をしたら「コイツに任せたら危険」と、仕事を取り上げられる。
お前はもういい、と干されて、見捨てられる。そう思ってきた私にとってこれは大事件だった。
ただの背の低いゲームオタク(←当時の認識)だと思ってたけど、この人すごい!!
その瞬間、4年後に同じ場所で結婚式を挙げる世界線が決定したのでした。
色褪せないエピソードは、愚痴100個を笑い話にする
最近恋愛やパートナー選びの話で、ビジネスライクな「価値提供できる」とか「相手をいかに喜ばせるか」みたいな話を聞くけど、
その度にこの死ぬまで色褪せないであろう、この胸キュンエピソードを思い出す。
あのとき、わたしは価値を提供できないどころか、彼の価値をはかられるガチの仕事で大失敗をやらかしてめちゃめちゃにし、彼は私を喜ばそうとなんてしなかった。
もし恋愛がセオリーに沿って発生するものなら、わたしは恋になんか落ちなかっただろう。
セオリー通りなら、男は私を慰め、飲みに誘って、言葉にして大丈夫だよって言っただろう。でもその必要はなかったし、あったらきっと台無しにしていた。
わたしにとっては、何かその先を期待したテクニックより、
「大失敗しても態度を変えない」
その振る舞いひとつが、何よりもうれしかった。
エピソードひとつで約20年。
彼はイクメンでもない(そもそも家にいない)し、本人はいなくても汚部屋はあるし、ねぼすけで好きなものしか食べない。
ふだんはLINEも既読スルーのくせに、話したいことがあると、一番忙しい夕方にいきなり電話をしてくる。
休みの日は「今日どうするのー?」と人任せで、子供よりも手がかかる。
多分彼の愚痴なら100個は書きだせるだろう。
だけど、それはきっと相手から見た自分も同じだ。
散々ケンカをしたし、もう終わりだ、と思ったこともある。
でも、そうやってぶつかって泣いて、謝るどころかお互い一歩も譲らなかったくせに、少しずつお互い変わってきた。
基本的に自己中な二人だけど、一緒に居られる時間のコーヒーは、必ず二人分入れる、暗黙のルールもできた。わたしはいつもブラック、夫は真冬もアイスで砂糖はスプーン三杯。
今はむしろ、他人は知らない無数の愚痴を数え上げられること、
それが重ねて着た年月の重みであり、特権だと今は思っている。
私は彼以上に愚痴を数えられる人を知らないし、彼以上に自分の汚点を見せている人はいない。
愚痴という名のノロケ
長くならないだろうということであえて選んだ、夫とのエピソードが意外と長くなってしまって驚いている。
若い日のときめきは、意外と長く生き続けるもの。
愚痴を言いはじめると多分ここからさらに1万文字くらいは書けるけど、それを笑い話にできるだけのパワーがこのエピソードにはあって、
だからわたしは死ぬまでこの人と夫婦だと思う。
もしあなたが、伴侶の愚痴を100個笑いながら話すことができるなら、
それは最高のノロケです。
コメント、ツイッターで、ぜひ今度、聞かせてください。
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自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。