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見事な着地と意外な伏線

書評:あだちとも『とうふちゃん』(絵本館)

私は還暦も数年後に迫った、活字中毒のオヤジである。孫はむろん、子供もいない。だから、基本的には「絵本」とは縁がない。興味がないのではなく、読んでいる暇がないのだ。

時間さえあれば、「児童文学」でも「絵本」でも読みたい。自分の預かり知らぬところに傑作があるというのは、いかにも無念である。むろん、どんなジャンルにだって傑作はあるのだが、ある程度はそのジャンルの作品を読まないかぎり、どのあたりにどのような傑作が埋もれているのか見当もつきかねるので、ただでさえ読みたい本が山積みになって山脈を形成しているという現状では、馴れないジャンルにまで手を出すというのは、なかなかの困難事なのである。

本作『とうふちゃん』を読むことにしたのは、ある本のなかで褒められていたからであり、書影も紹介されていたのだろう、絵柄が可愛いのも確認できたからである。もっとも、その「ある本」のことは、すっかり失念した。
ともあれ私は、柄にもなく可愛い作品も好きなのである。

本作を「絵本」として評価するのは、いかにもっともらしくともつまらないので、それはしない。
あくまでも、私という個人の感じたところを書かなくては、そんな文章に意味はないと、小林秀雄も言っているとおりだからだ。

で、どうであったか。

タイトルのとおり、可愛いとうふちゃんが、うっかり転んで型くずれしてしまう。もうこれでは「お嫁に行けないわ」ではなく、希望であった「冷や奴として食べてもらう」どころか、みんなからお誘いを受けていた「おなべの具」になることすらかなわない。私のお先は真っ暗だと泣きじゃくる とうふちゃんだが、意外な「救い」が待っていた。一一そうか、この手があったのか。

こちら(私)は、具材たちを擬人化して読んでいたために思い浮かばなかったのだが、彼らを生かす道は、いろいろとあったのだ。

そのうえで、さらに感心したのは、落ちにつながる「伏線」が、きちんと張られていた点である。
一瞬「なんでここに、これが?」と思ったのだが、なにしろ幼児向けの「絵本」なんだから、そう深く考える必要もないだろうと甘く見て、かるく流していたら、それが伏線だったのである。

つまり、幼児向けの作品だとは言え、ちゃんと作られているのだ。
「意外な真相」に驚かされる、よく出来た推理小説を読まされた時と似たような感心をした。
「こいつぁ、一本取られたね」と思った。

可愛いものが好きなら、幼児はむろん、オジサンオバサンにも、オススメである。

初出:2020年8月14日「Amazonレビュー」

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