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なんだか、わるいことがしたくって

深夜2時にもうちょっとでなるという頃。ゴソゴソとお菓子をたべた。お腹は空いていなかった。こころがお菓子を求めてた。正確には、「自分の意思で決められる自由さ」を。

昔っからそう。ぎゅうっと押し入れられると辻褄合わせが必要になる。いい子にしてなさい、は反動が来る。無理できない。
中高の学校は環境要素的な「ぎゅう」っと味が強くて、疲れ切っていた。心底本当に疲れ切っていた。鬱だったのだと思う。過食してないと生きていくことができなかったあの頃。私は疲れ切っていて「頼る」のエネルギーまで切れていた。傷だらけの笑顔で取り繕って、ずっと泣いていた。死にたい、がいつも裏で身を潜めていた。自分を傷つけ蝕む頑張り、危険だ。
あぁ、まだ傷は柔で、思い出そうとするとぎぃっと頭が重くなる締め付けられる胸が苦しくなる。そっと閉じる。いつか埃かぶる頃、熟成されて趣ある香りを放っています様に。

けれど、おこころをぎゅうと型に押し込めて行動したからこそのキラリもある。種類が違うのだ。未来の自分にありがとう、と感謝される「頑張り」。「前向きな頑張り」の後の深みは美味しい。今日は頑張った。本当に頑張った。

ただ、バランスが繊細すぎて、帳尻合わせに奔走する。
だから、過食は「食べたい」じゃなくて「自由さを泳ぎ周りたい」の表れで。わるいことしてる、自分の道をいっている、その自由さに惹かれるの。信号をちゃんと出してくれているからキャッチしてちゃんと愛でないとね。頑張ってくれてありがとう、過去の自分。ぎゅうはぐ。

こころがお菓子を求めてた。真っ直ぐで整頓されて世界とのズレをお菓子に換えて。

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