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ペルソナも肩書きも。

文章を書くときはペルソナ(架空の読者像のようなもの)を設定して、その人に刺さるように書くといいと言われます。

アカウントをつくるときは、何をしている人なのかひと目でわかるように肩書きを設定するとプロフィールを見てもらいやすくなる(フォローされやすくなる)と言われます。


しかし、誠に残念ながら 私はそういうのが出来ないらしいんですよね。

戦略的にいこうと思うと、急にやる気が減退していきます。

ここまで出来ないということは、自分には必要がないということなんだなとおもっています。



最近続けざまに「人の為と書いて偽り」という言葉を見る機会がありました。

これは極論かもしれませんが、文章を書いたり自分のアカウントを営むにあたり他人目線ばかりを追求すると、そしてそこに自分の意志が不在になってしまうとそれは「偽り」の言葉なり存在になるのではないかな、とおもいます。


偽りって長くは続けられないんですよね。


偽りってアレですよ。ペルソナとか肩書きの設定そのものが自分を偽る行為だとか言いたいわけではないです。全然ないです。

むしろそっちでいける人は本当にスゴいとおもってます。



そういうことではなくて。

本当は人目を気にせず本音の言葉を書きたくて発信を始めた人が、いつの間にか他者満足を追うことのほうに自分自身をのっとられてしまい、

一番大事な自分の気持ちを置いていってしまったときに、それが「自分を偽る」ということになるのだと思います。



人の思考を分析したり 頭でしっかり考えて、他者のニーズに寄り添って自分の文章やコンテンツを仕上げていくということがナチュラルに得意な人もいます。

はんたいに、そういうのが悲しいほどにできない私という永遠の末っ子人間もいます。

人のために…!って気合い入れるとすぐ疲れて寝ちゃう。そして飽きる。


こういう人はもう徹底的に自己の満足を追って、溢れ出たものを人様がたまたま拾って喜んでくれたらいいや、みたいなほうが生きやすかったりします。


世の中にはたくさんの優秀なお兄さんお姉さん(年齢でなくタイプとかキャラの話)がいて、そういう人たちが他者満足を追っている姿を見ると「自分もそうならなきゃやばい」と焦ってしまったりもするかもしれないのですが、

しっかり者に囲まれた甘えん坊さんの末っ子キャラが お兄さんお姉さんたちに負けないように頑張ろうみたいな、そもそもの自分のキャラに合わない努力は、続けてると苦しくなっちゃうとおもうんですよね。


話がそれましたが。


だから、出来もしないのに無理に人のニーズに合わせようとしたり、人様にわかりやすいような肩書きという看板を設置したりということは私は放棄しています。


唯一名前の横に「HSP」という言葉をくっつけていますが、これは毎日なんとなく身につけていると嬉しくなるようなスキンジュエリーのようなものですね。そうです自己満です。

一応ほんのりフェロモン効果(似てるひとに来てもらいやすい)とか、接触事故防止の効果(混ぜるな危険同士が混ざるのを防止する)もあったりなかったりかもですが。


そんなかんじで、ここはペルソナも肩書きも私自身でしかないという一人劇場。

ほぼ自分の満足のためにしか書けないからこそ、共鳴してくださるかたに高純度の親近感やシンパシーや一体感を覚えられるのだとおもいます。

それって素っ裸な自分を表現している人の特権だとおもってます。

こんな気持ちで読んでくれたかたを想えるのって、控えめに言ってめちゃくちゃ幸せなことだよね。


というわけで、今日もそんな一人劇場にお越しいただきありがとうございました。


おしまい。



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雑貨屋さんやってます。あそびにきてきて。


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