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失う恐怖が教えてくれるもの。

人が今より幸せになることを無意識的に恐れるのって、すごく合理的な身体の反応だなと感じていて。

夢が叶ったり欲しかったものを手に入れたりしたときって(感受性の豊かなかたは特にそうなのかもしれないのですが)、初めのうちの興奮状態のときこそ幸せなものの、冷静さを取り戻してくるにつれて失うことがすごく怖くなってくるんですね。

きっとわたしたちって、潜在的にそのこと(「こうなったら幸せ!」と思うものを手にした後の心の状態)を知っているからこそ、幸せになることにこんなにもブレーキをかけるのかなと思いました。


今までより大きな幸せを手に入れたときの、失うことへの恐怖や それを維持していくことへのプレッシャーって、想像していたよりもずっと大きいんですよね。

幸せなはずなのに、それが見えなくなる程に心に負荷がかかってくる。

たとえばヒット作を生み出したクリエイターのかたや、それこそ宝くじの当たったかたとかの恐怖やプレッシャーのようなものって、想像を絶するものがあると思います。

まあそれは極端な例ですが、やっぱり何かこれまでの自分の枠を超えた規模の望みのものを手にするって、それなりのストレスがかかったりするものです。


でも、失う恐怖が出てきたら、それは自分との絆を深めていく良い機会になるのではないかなと思います。

不安や恐怖ってやっぱりインパクトがあるので、それらに埋もれて見えなくなってしまいがちなのですが、失う恐怖のそばにはいつも必ず「失うのが怖くなるほど愛おしい今」があるのです。


人はいつだって未来を見ようとします。

幸せは今ここに確かに存在しているというのに、それを忘れ すぐに前を見ようとする。

見えるはずもない未来を見ては恐怖を抱く。


少し時間をとって、ゆっくり自分のなかの恐怖と向き合う機会を持てるといいですよね。

恐怖の裏に隠れているのが 今という時間への愛だということに気付けたら、冷たく凍りつきそうな心が 少しずつあたたかくなっていくから。


そして、失うことが怖くなるくらい大切なものがあるという事実や、そこまで何かを大切に思えるご自身を愛しく思っていただけたらいいなと思います。

その感性って、すごく素敵な宝物だから。


人間の本能として、恐怖が湧き上がってくるのは止められないものです。感性の鋭いかたは特にそれを全身でキャッチしてしまうので、ときに耐えがたいこともあるでしょう。

娯楽とか依存とか他人によって一時的にそれを紛らわせても、恐怖から完全に逃げきることは出来ません。それどころか向き合わずに逃げているとどんどん増大して悪夢のように追いかけてきます。

なのでやっぱり大切になってくるのは、自分自身でその恐怖に飛び込んでいくこと。深く深くご自身と対話が出来たら、そこには愛しかなかったということがわかってくるはずだから。


今日もお付き合いありがとうございました。

何か参考になりましたら幸いです(﹡ˆˆ﹡)


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