わたしはあなたでできている。
私という人間は、ある側面から見ると私以外の人のエネルギーの集合体なのかもしれないな。
などということを思います。
私という人間は、人の言葉や価値観やエネルギーのかけらを集めながら形づくられている。
生まれ持った気質や体質とあわせて、どんなものを集めているのかという部分が自分の輪郭を描いているのだよな、なんて思うのです。
今までに、「あの人とはなんのために出会ったのだろう」と考え込んでしまうような縁がいくつもありました。
考えたところで答えは出ないけれど、出会った意味などそもそもないのかもしれないけれど、それでも今まで出会って影響を受けてきた人たちのかけらが私の一部になっていることだけは確か。
意味なんてわからなくても、その事実だけでもうじゅうぶんなんじゃないかなって思いました。
神様か誰かが気まぐれで起こす出会いという奇跡。
わたしとあなたは完全にひとつになることは出来ないけれど、あなたのかけらがわたしの一部になる。わたしのかけらもあなたの、そして誰かの一部になる。
そんな奇跡の連続が、一人の人間をその人たらしめる。
人は一人では生きられないと言いますが、それは私たちがお互いの一部分を共有し合って生きているからなのかもしれません。
だから自分という人間はひとりだけど、ひとりで生きてるわけじゃない。
私が今の私をそこそこ気に入っているのは、自分という人間が、過去「すてきだな」と思った人たちの思想や言葉やエネルギーで構成されたものだから。
逆に自分のことが嫌いなときって、特別好きじゃない人の思想や言葉やエネルギーで自分が構成されているとき。
「エネルギーや価値観の食あたり」を起こしている状態が、「自分のことが嫌い」というサインで表れるのかもしれませんね。
「いやだな」と思うエネルギーを身体から抜いて、「すき」のかけらを集めて自分を満たす。
シンプルなことだけど、本音と建前、喜びと義務のはざまで生きる現代人にとってそれはとても贅沢で難しいことなのかもしれません。
これを「悪である」と定義する人もいるでしょう。
それでも自分を「すき」で満たすことを諦めたくないし諦めないでほしいなっておもいます。
今まで人生かけて出会ってきた すきな人たちのかけらを集めて仕上がった最高傑作が、今の自分なんだと思えるように。
おしまい。
***
なんか思ったこと。
雑貨屋さんやってます。こちらもよろしくです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?