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生き延びるために、バナナの絵を枕の下に敷いていた話

俳人の池田澄子氏が、思春期に石川啄木の短歌に感動し「夢で逢えますように」と本を枕の下に入れて眠ったーーというなんとも微笑ましいエピソードがある。
良い初夢を見るために、回文の書かれた七福神の宝船の絵を枕に敷くなどという古いおまじないもあるように、どうやら枕の下には昔から人を惹きつけるなにかがあったのだろう。

ところで、私も枕の下に半強制的にあるものを敷いて寝なければならない状況に陥ったことがある。
幼い私が自分で描いた、拙いバナナの絵である。

小学校低学年ごろだったか、スーパーで母が夕飯のおかずを買いに行っている間に私は子供向け雑誌を立ち読みしていた。
季節は夏で、怪談特集をやっていた。
どこか醒めていたような子供だった私は「マァ、冷やかし程度に読んでおくか」と眺めていた。

それが間違いだった。

本にはこう書かれていた。
「夜中に『サッちゃん』を大声で歌って寝ちゃダメだよ!」
サッちゃんはね~サチコっていうんだほんとはね~♪という童謡である。

「寝てる間にサッちゃんが来て、サッちゃんが大好きなバナナみたいに頭から剥かれて食べられて死んじゃうんだよ!」
ウヒョー、怖いねえ。でも私は家で歌わないから関係ないな……などと思っていた矢先に次の一文が襲い掛かった。

「ちなみに、この話を知った人のところにもサッちゃんが来るよ!」

ちょっと待て。
聞いてねえぞ。

今思えば完全に怪談にありがちなズルい手口なのだが、私はここで完全に怯えてしまった。
知ってしまった。死ぬのか。頭から剥かれて。今夜。

この文には続きがあった。
「サッちゃんに食べられたくなかったら、バナナの絵を枕の下に敷いておくと、サッちゃんの気がそれて助かるよ!」

まじすか。
助かるんすか。

今思うとこれもよくある手口なのだが、幼いながらに「いやいや、ゆうてさすがに嘘っしょ、これは」という気持ちと「バナナの絵を敷かないと死んじゃうヨォ!!」という気持ちがせめぎ合った。ひどい雑誌である。

私は混乱の中で今後の分岐をシミュレーションした。
1.書いてあることは嘘で、バナナの絵も敷かなくてよい
2.母に相談する
3.言われた通りバナナの絵を敷いて、サッちゃんの許しを請う

1を選んだ場合、この情報が確かだったときに今夜死ぬだろう。
2は同じくこの情報が確かだった場合、母にまで被害が及ぶ。明日には頭から剥かれたデカバナナとちっさバナナの母子の遺体が発見されるだろう。
ここは嘘でもいいからリスクを減らすために、3にするべきだ。

母がおかずを買って戻ってきた。
私はこの人と自分の命を守るために、情報を一人で抱え、バナナの絵を枕の下に敷いて寝ると決めた。

帰宅してさっそくメモ帳にバナナの絵を描いた。
幸いなことに同学年の中では絵が上手かったため、どこからどう見てもバナナに見える絵が描けた。
これを敷いて寝れば無事に朝が来る。寝るか。

――翌朝、私は生きていた。絵のおかげだ、と思った。
布団を片付けていた母が絵を発見し「これは何?」と聞いてきたが、「知らない」と言った。
母を守るためだ。

翌日もバナナの絵を枕の下に敷いた。母に訝しがられないよう、今度は8mm角ぐらいの小さい紙に書くことにした。
その次の日も生き延びた。

その次の日も、次の日も絵のおかげで生き延びた。
しかしいつまでやるんだ?でも万が一のことを考えると……という半ば強迫観念に駆られた気持ちでしばらく続けたように思う。

ある日、起きて枕の下を確認すると絵が無かった。
「おかーさん、なんか紙落ちてなかった?」
「知らないよ」
いつも昼間に絵を隠してあるところを確認すると、そこには小さいバナナの絵があった。
敷くのを忘れていたのだ。

しまった!死……生きてる?
よくわからないが、生き延びていた。
正直バナナのルーティンも飽きていたところだったので、その日は絵を敷かずに寝た。

翌朝、生きていた。
「サッちゃん怪談」を読んでから季節は変わり、秋になっていた。
雑誌に騙されたバカバカしい自分を恥じるとともに、何にも囚われず生きることの喜びにじわじわと満たされていった。

――それから何年も経ちいい歳の中年になるまでに、私はうつ状態を何度か経験し、死にたいという気持ちに囚われることが度々あった。
先日も状態が悪く、窓から飛び降りてしまおうかと一瞬頭をよぎったばかりだ。

しかし、「サッちゃん怪談」を読んだときの幼い自分は、半分嘘だと思いながらも死ぬことへのリスクを少しでも減らすために、季節が移ろうまでバナナの絵を枕の下に敷いていたのである。
死んだら終わりだ、という強い意思がそこにはあった。

死ぬのは一瞬かもしれない(し、苦しむかもしれない)が、とにかく死んだら終わりなのである。
だから、私は死にたい気持ちがよぎったらご飯を食べ、時にはわんわん泣いてストレスを発散し、薬を飲んでよく眠り、日頃からストレッチや「グギギ」と言いながらラジオ体操をするなどして、
とにかく”終わり”へのリスクを最小にしようと努めている。

生き延びることへの執着心は、バナナの絵のころから何も変わっていないようだ。


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