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追い風の街、向かい風の島

スマホで書くよ。

今日は午前いっぱいデスクワークに勤しんだあと、友人が営むテイラーを訪問した。アポなしで、シャッターが半開きになっていたけど、しゃがみこむとガラス戸の向こうに姿を見かけたので手を振る。誰?誰?となって、あー!というリアクションをいただいた。4年半ぶりの再会で、しばらく昔話や近況を語らった。

「(友人たちは)みんな連絡なしでやってくる」と話していたけど、ホーチミンにいた頃から近くを通ると立ち寄っていたお店。みなさん、その習慣で来てしまうのだろう。思えば、ここに行けば会えるという人がいることは幸せなことだと思う。

売り上げ優先だと、うまくいったらシステム化して店舗を増やして…ということが王道かもしれないけど、丁寧に責任を持って仕事をしたいから、立ち上げてから8年間ずっとそこにいて仕事をしている友人(と勝手に想像している)。そのあたりはとくに自分には苦手なことな気がして、尊敬する。日本人が店頭に立ち続けている、飲食店を除いて、そんなお店はホーチミンにきっと少ない。

そのあと、すぐ近所にこれまたホーチミンで世話になった友人が経営するカフェがあったので、ぼちぼち行く。スーツケースを引っ提げていて、どこからかは聞いていないが、ちょうどホーチミンに戻ったタイミングだったとのこと。テイラーの友人もこれから国外旅行で空港へ向かうとのことだったので、なんだかどこもギリギリ間がよい。なんて呑気なことを言ったけど、突然の訪問にも関わらず、ご対応いただき感謝しかありません。

それぞれが最初から経営者としてホーチミンに来たわけではないけれど、働きながら、いろんな経験や発見を経て今社長業を営んでいる。もちろん人知れない悲喜こもごもはあろうだけれど、その姿が輝いて見えてしょうがない。考えてしまう。

ちょうど、そんな友人は今週の「グッと地球便」に出るそうなのでぜひぜひご覧ください。ベトナムでチョコレートをつくっている方です。ちなみに冒頭の写真はそこで飲んだとってもおいしいチョコレートドリンク。事業自体は、カフェもあるけど、カカオの栽培とチョコレートの製造かな。

夜は、かつての上司を含め4人でタイバンルンの居酒屋へ。先日日本人男性30代が刺されて亡くなったというエリアだったが、数多くの日本食店とお姉ちゃんたちで活気に湧いていて、そんな事件などさもなかったかのような「日常」にあった。

ホーチミンに移住後の2か月間くらいはこのあたりに住んでいて、ベトナム特有(だと思っている)の古米を炊いたような香りをかぎながら、徒歩3分のオフィスに向かっていた。その頃は、垂れ下がった乳をぶら下げた老犬がヨタヨタ歩く、アジアな路地裏という感じで、今、その姿から想像できないような店並びと看板のネオンの洪水ぶり。

コロナ禍の頃はいざ知らず、なんだかこのホーチミンという街はずっとずーっと上を向いていて、人間でいうとまだまだ二十歳のからだに向かっている途中のような、老いや衰えというものを感じさせる瞬間がずっと来ていないという感じ。街の先輩方から話を聞いてきた感じ、1986年の市場経済導入から、ずっとそんな調子なのではないか。

ここにいると勝手に街が能動的に変わってくれるので、自分も変わらなければいけないというか、変わることに対してなんの抵抗も感じなくなる。

片や、先進国であった日本の、さらに島しょ部という田舎は、ずっと前から落ち込み続けていて、老いも衰えも感じている。でも、人も街も国もひとしくそうした瞬間は訪れるもの。そうでないように見えたとしたら、見えないところでだれかが知恵を絞って工夫をこらしている結果だ。そんな場所に世界の最先端が詰まっているとも言える。

島も、街が変わるといえば変わるけど、消滅に向かっていく中での変化なわけで、むしろどうやって現状を留めるか(そのためにいかに前向きな変化を生み出すか)ということに意識が向く。

友人たちから口々に、「あのままホーチミンにいるものだと思っていた」と言われる。改めて、どうして離れたのか正直よく分からない。島に渡った理由は数えられる。高齢の祖母がいて、水嶋家とのつながりが消えそうだった。ベトナムからの実習生がたくさんいて、失踪の話を聞いていた。ベトナムでの友人の友人が移住していて、島の暮らしを魅力的に思えた。住みたいなぁと思い始めたタイミングで、仕事をもらった。

でも、ホーチミンを離れたことに理由はない。

しいて言えば、コロナがなければまたすぐに一時的とはいえ戻り、4年半も離れることはなかっただろう。コロナのせいにして思考停止したくはないけど、やっぱり無視できない要因ではあった。

しかし、この歳になって沖永良部島も故郷になった。そもそもこの島なくして自分の身体も存在していない。外国人…異なる文化的背景を持つ人がみな幸せにという考えは間違いなく、ベトナムにいた勝手な自分のエゴから始まったけど、故郷を失わないためにも今大切なことだと思っている。

男一匹40歳。人生100年だとするとあと60年。80年でもあと40年。身体がまだ動きそうな60年でもあと20年。さっきの再会でも、この先をどう過ごすか、先を見て仕込みをしておくことが大切だという話になったが、改めて、追い風の街と、向かい風の島、それぞれの場所に身を置くことは諦めたくないなと思った。旅をして種子を運ぶ「風の人」、土地に根ざして植物を育む「土の人」、という言葉がいっとき流行ったが、中間の「水の人」もよく聞いた。たぶん、あれでいう水の人が理想なんだろう。たまたま名前に水も島も入ってる。

ただ、それぞれでやることをまるっきり変えては、身が持たない。続かない。こここそ、創意工夫と、インターネットの出番だという気はする。

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