Kagura古都鎌倉奇譚【壱ノ怪】星月ノ井、千年の刻待ち人(3)
(前回のあらすじ)
今年5年目の教職の佐竹神楽(25)は待ちに待った冬休みに入り帰宅を急いだが、途中手伝いをしたおばあさんから石のネックレスを貰ってからというもの、妙な夢を見続け、更に彼女が帰るといった鎌倉に関する出来事が呪いのように毎日起こり、参っていた所に心霊現象のようなものまで遭遇してしまった。身を助けてくれた猫さえ首輪の住所が「鎌倉市坂ノ下」…。
意を決して神頼みも兼ねて神楽は古都、鎌倉の地へ行った。
3:かぐら、古都鎌倉に酔う
分かっていた。
鎌倉というところが観光地で、
とてもいい所で、
そして正月はありえないほど混むってことは。
ついのんびりと朝飯なんかを食べてしまって、
しかもそれがまた安くて旨いもんだから…。
テレビを見てる時に猫が鳴いて、
しまった!!と急いで会計をして道路に出たら既に結構な人出で、
人ゴミが苦手な自分にしたら最悪な展開となってしまった。
駅前にある「あさくさ」という食事処は、定食が神だった。
大きな焼き魚はいい焼き加減で、塩味もこれまたいい塩梅だ。
炊き立てのご飯に、家庭的な味噌汁なのだが、この味噌汁も具沢山で旨味もあって、一口飲めばほんわかと体が温まる。
おやじさんも気さくでいい人だ。
観光地というものはどうしても足元を見られて、しかも似たような店がゴロゴロしており、どうにも表通りは好きになれないと思っていたのだが…。
自分が知らないだけで発掘すれば色々あるのかもしれない。
そう思うと少々ワクワクするものがある。
しかしだ。
今はそんな場合ではない。
長谷まで江ノ電で行って、徒歩で坂ノ下を歩こう。
鎌倉駅前で江ノ電乗り場が少し歩くと思い出し、高架下を通って江ノ電乗り場へ来た。
ちょっとした坂を上っていると腸詰屋からソーセージのいい香りがしてきて、猫が騒ぎ出してしまった。
視線が痛い。
人力車のお兄ちゃんにまで「猫!」「ねこちゃん!!」と素敵な笑顔を貰ってしまい…。居たたまれない。
「お兄さん、乗ってかない?1人と1匹と、俺で旅をしよう!」
そんな逞しい日に焼けた体で、爽やかにそんなこと言われてもと思う。どうせ猫と一緒にいたいのだろう。
「いや、俺観光じゃなくて猫を届けに来ただけなんで…」
この間から言い訳が言ったことないようなセリフばかりで自分で言っててもおかしく聞こえてしまう。
「お兄さん…。分かった…!」
何が分かったのか。
彼は自分に指を指して言う。
「クロネコヤマトのお兄さんなんでしょ!いつもお世話になってますよー!」
あ、この人おBAKAだわ。
自分のシラケ具合に気が付いた同僚らしき人が間に入ってくれた上に、人力車に乗りたいと言って来た女の子グループのお陰で助かり、何とかやっと江ノ電に乗れた。
しかし、猫は腹が減っているらしくずっと車内で「ニャォ、ニャオ…」と、鳴き始め、周りの人にじっと猫と自分を見られた。遠くから子供がずっと「ねこちゃんがいる!ねこちゃんがいる!」と騒がれ、
ー穴があったら入りたい!!!!
体温がどんどん上がっていき、長谷に着くころには汗だくだった。
観光地には目もくれず、坂ノ下の住所を辿っていく。
下町感もあって、とても落ち着いた雰囲気だ。
普通のアパートなどももちろんあるが、良い家も沢山あって
中でも立派な和風の家に魅かれるものがある。
…そう、前の女性の好みの話になったが、自分は
「好みが渋い」「じじい」「昭和」
などと仲間内からからかわれていた。
時代物が好きだし、建造物も今のプレハブみたいな家ではなく、
欲を言うなら木と畳の昔ながらの構造の家が建てられたら良いと思っているほどだ。
長谷の大通りを外れるとこんな景色になっているのか…。
観光客のようにキョロキョロと、他人の家なのに見てしまって申し訳ないが…。大変好ましく、つい目が追ってしまう。
立派な玄関に松の木
木や、竹の塀
少し出っ張った木のベランダ。あそこななんて江戸ぐらいの海辺の家で、
たおやかな女性が着物を着こなして、身を乗り出しながら外でも眺めてそうな雰囲気ではないか。
そんな家でのんびりと、自分が愛する女性と暮らせたら…。
2人で同じ景色を見ながら、美しいものを美しいと感じ合い、何かにつけて感動し合い、誰かを思いやりながら穏やかに過ごす。
ー最高か。
「お前まだそんなじいさんみたいなこと言ってんのかよ!そんな女いるわけないだろ!」
和希ぶっ飛ばす。
かなり前に言われた言葉を、勝手に頭の中で再生したというのに理不尽のようだが、急に旧友に殺意が湧いた。そういえば実際の出来事で彼を殴り飛ばそうと思っていたのを思い出した。この冬休み期間に実行したいものだが、あちらがデートを口実に会ってはくれないだろう。
そう思うと余計に腹が立ってくる。
ーもういい。どうせ俺はモッサリドタキャン野郎だ。
グーグルのナビで目的の住所に辿り着いたが…。
白い石の階段を上がると、鉄の扉があり、その奥に2階建てのまるでペンションのような邸宅が…。
…実は、初対面の人間にあまり良く思われたことが無い。
眼付が悪い
信頼できない顔をしている
いつもエロいこと考えてそう
影薄い
特徴のない顔
などなど、酷いことを(特に女性に…)言われ続けており、男にもやれ女顔だ、オタクだと…。自分のいい所は無いのか、と本気で落ち込んだ。
どうりで和希と違って仲良くなるという社会的スキル”社交性”が上手く行かないわけだ。と、最近になって気が付いた。
自分の笑いは胡散臭い
らしい。
ならば、真面目にするしかないというのに…。
この髪形!!
いや、猫を返しに来ただけなのだ。
何もやましいこともないし、長く話すわけでもない。
教職員のような気持ちでいればいいのだ。
そうすればレッテルが顔を作ってくれる。
指は迷わずインターホンを押した。
ーはい
どうせ、おばさんかおじさんが出て来ると思ったのだが声の感じが若い気がする。若干戸惑いを覚えたが、学生だと思って気を取り直し、猫の経緯を話した。
すると、大慌てで階段を降りる音がして勢いよく女性が飛び出してきた。
正直、
同じ年ぐらいの、とんでもなく可愛い子だった。
「コメタ!!」
何故コメ?
しかしどうでもいいのである。近くに来た彼女は、すらりとした四肢に、ショートカット。美しい鎖骨に、シルバーの小さな飾りのついたネックレスをしていた。
顔つきはアイドルのような顔をしている。
なんと形容していいか分からないが、キラキラしていて、いい香りがした。
生徒設定は、無理だな…。
これはもう無理やり先生同士あるいは、保護者として接するしかあるまい。
彼女は涙を浮かべながらコメタの帰りを喜んでいた。
目の端の壁の上にも白い影があり、それがピョンピョコと壁を降りて庭を駆け抜けたのを見て、何匹猫がいるのだろうか?
と、頭の端で考えた。
「警察にも届けたんですけど…、ちょっと諦めてたんです!この子ったらどこにいたんですか?」
純度100%の泣き笑いに心がくじけそうになりながらも、
その話題は外せないよな…。
と、覚悟を決めて丁寧に話した。
「え?!と、東京…ですか?!嘘?!」
自分も嘘だと言いたいが、仕方ない。それが事実なのだから。
ー鎌倉の自分の呪いのために
という考えも過る。
とりあえず、東京の地元の獣医さんからの診断結果を渡して現実味を出しつつ、業務的に話を進めようとした。
ーこんなに可愛いんだから仲良くなれよ!
もう一人の自分がそう叫んでいるが、待て待て。
猫をダシに使う下種モッサリ野郎と思われたくないだろう。
大体、この子に釣り合う容姿をしていないし、心が清くない。
「獣医さんにまで…!!ありがとうございます!!お礼をさせてください!とりあえず、うちにどうぞ!上がってください!両親や祖父母もこの子の無事を心配していたので…」
「いやいやいや!!大丈夫ですよ!!ここには別の用事もあって来たんです。この後もありますので」
「そんな!獣医さんにかかったお金もありますし!!名前も聞かなかったら叱られてしまいます!!」
「いえ!大丈夫ですから!早くその子を他の猫ちゃんと顔を合わさせてください!!本当にお構いなく!」
結論から言おう。
逃げ帰ってしまった。
無理だ。いきなり両親、祖父母に会うなんて。
しかも、労われまくるのもその間どうしていいか分からない。
ー俺には無理だ。恐い。
恐いと言えば…。
あの家から去ろうとした瞬間、横目でちらりとしか見てないが…。庭の奥に個人用の稲荷の社があったような…?
ーまさかな。関係ないだろう。
兎に角疲れた。猫もいなくなったし、飯でも食べよう。
そう思いつつ長谷駅へ向かった。
先ほどの玄関先では、コメタを抱きながらまだ神楽を見送っていた。
「他の猫ちゃんって…、何の事だろうね?コメタ。それよりあんた、どうしてというか…どうやって東京に行けたわけ?!ありえないんだけど!セコムどう掻い潜ったっていうの?!忍者猫?!天才!!」
「ニャ」
2人は扉を閉め、家の中に入っていき、また日常に戻っていった。
長谷駅の先の長谷寺前交差点に近い場所に、「鎌倉季草庵」という食事処がある。そこはお蕎麦屋さんのようなのだが、丼とセットで1200円ほどのランチが食べれる。そしてなにより佇まいが良い。
木の造りで、提灯が下がっていて、背の低いショーケースの上は暖簾付きの窓口になっており、そこから団子が頼めるようになっている。
中のおばちゃんが一人でフロアと窓口をこなしており、尊敬の念を抱かずにはいられない。
団子も一風変わっていて、なんと焼き団子に七味とネギの乗ったものが売っている。正直興味があったが今は先を急ぐ身。早くしないと1日なんてすぐに終わってしまう。
それに、日没が恐い。
もう手元に猫はいないのだ。
温かい蕎麦も、ネギトロ丼も滅茶苦茶に旨かったが、今度またゆっくり来るとして…。
ーさて、どうするか。
ここは何かとしつこかったワードを思い出そう。
湘南
いや、やめとこう。メンタル的に
兎に角ここは旅の始まりにして、鎌倉の本拠地と言ってもいい鎌倉駅に戻り、鶴岡八幡宮あたりにでも行ってみよう。
混んでるのは…仕方ない。
これだけ昨日に引き続き寒いのだから人もまばらだろう。
そう高を括り、鎌倉駅に着いた瞬間の絶望と自分の浅はかな考えに呆れた。
年末、12月31日なのに混んでないわけがない。
溢れかえる人、人、人。
楽しそうな顔、浮足立った行動は観光客で、
忙しそうにしているのは恐らく地元民なのだろう。
「いっ?!」
しかも、雪まで降ってきた。
広げる掌に雪の粒がふわりと落ちて、そして手の中で溶けて無くなる。
『そういえば…クリスマスと正月って時期なんだったな…」
忙しくて忘れていた。
勿論、このところの怪奇現象や猫のこともだが、
教職というのは本当に目まぐるしくて、辞めていく人も沢山いる。
体を壊してもなお働いて、短命に終わる人、突然亡くなる人もいる。
行事を追いかけて、毎日起こる生徒同士や先生と生徒のゴタゴタに、理不尽な管理職を含めた大人同士の諍い、あら捜し、噂、それに加え、日々の業務に、部活、委員会、テスト、授業…。
1人が何役もこなし、様々なことに心を配り、砕かなければならない。
それで、人々には「聖職なんだから」と言われる。
聖職、って、何なのだろうと思う。
誰もがこの地球で、色々な形で生きるために働いている。
人間を育てるのだから「聖職」
そうは言っても、人間という生き物は失敗する。
完ぺきにこなすは聖職うんぬんではなく、もはや神だろう。
だから親も悩む。完璧な親になろうとする。
そうすると、学校も家庭も完璧に囲まれて子供も悩む。
完璧でなければ、「社会適応力のある人間」ではない。と。
インドだったかの一般家庭の教えで、
「人は迷惑をかける生き物なのだから、他人の事も許してあげなさい」
「人に迷惑をかけてもいい。その代りに迷惑をかけられたら助けなさい」
という下りがある。
ここは日本だという人もいるだろうが、日本はそもそも中国に学び、イギリスに、アメリカに、他国に学んできた。
プロの手を見て技を盗む伝承法だ。他国に猿真似と言われようが、元々器用でオタク気質があるものだから独自の文化にまで発展させていった。
相手を尊敬し、敬いながらもいい所を真似して伝える。
それは、大きく考えると人間の文化の発展につながると推測する。
そもそも・・・
ーって、何センチメンタルから脳内議論をしているんだ。今そんな暇ないだろう。馬鹿か俺。
今日東京へ帰らなければならないのだ。時間は限られている。この宿泊施設の少ない鎌倉で宿がこの年末に見つかるわけないし、横浜だって同じことだ。新年こそはちゃんと祝いたいからカプセルホテルなんざにも泊まりたくない。
いや、カプセルホテルも便利で綺麗なんだが…。それに先ほど教職の事をうんたらかんたら言ったが、自分の学校がそうなだけで他は違うかもしれない。他校から来た先生が「ここは見てきた中で最も酷い」と辟易していたから。
自分論で、超余談だが…、文房具を個人で買わせるところはブラック企業と相場決まっている。そうでないホワイト企業があったら申し訳ない。
さらり。
足に何かがすり寄って…
「うぉわあぁ?!」
小町通りの入り口で一人大声を出してしまった。
あの心霊少年かと思ったからだ。
黒い猫が1匹、足元にすり寄ってきていた。
「ナ~ォ」
人懐っこい猫のようで、金色の目をくりくりと自分に向けて甘えて来る。
くるくると猫は足元にすり寄っている。
ー俺はいつから猫に好かれるフェロモンを出すようになったんだ?猫じゃなくて、理想的な女の子に好かれたいんだが。
最早、理想的なと言っている時点でヤバいなと思いつつ猫を一撫でして鶴岡八幡宮へ向かった。猫を置いてきたのに、また猫連れになってしまったらたまらない。
それに構っている時間はない。
日没まであと3,4時間しかない。
雪柳の下の白い骨と皮だけの足を思い出して
ゾッ
血の気が引いた。
あの白さ。絶対に生きてない。
蝋燭より無機質な白で、歌舞伎役者が塗る白粉より青白い。
幽霊なんて馬鹿らしい。脳内の錯覚だ。
そう、文系には珍しい理系な考えを持っていたが最早そんなこと絶対に言えない。いるのだから。生きてない何かが形を成しているのだから、もう幻想とか甘っちょろいこと言っている場合ではない。
ただ、
この焦燥が殺されるから…という感じではない気もするのも確かだ。
勿論、鬼気迫ったものを感じるので死に近い切迫を感じる。
だが、何か非常に言いたいことがある。
そんな雰囲気だ。
「ニャ~ン」
だが、自分は霊能者でもなんでもない。
ただ会社に雇われているサラリーマンで、
平凡な家庭の兄と姉と弟と妹がいる大家族の真ん中で、
毎日上下の仲裁をしていた、学校でも職場でも「オカン」と呼ばれる
「ゥナ~ン」
影の薄い、声だけ良いエロ顔モッサリドタキャン野郎…
「ニャーゥ」
「にゃーんじゃねぇ!この!!」
しゃがみ込んで、猫の顔をワシワシと撫でまわした。
猫は「違う、近いけどそうじゃない」という顔をしている。
我儘な奴だ。
・・・猫は我儘な生き物だったな。
しかし、
猫にも憑りつかれている…クリスマスも年末も、恐らく正月もちゃんと迎えられない哀れな男なんだっていうのに…どうしろっていうんだ。
雪も積もってきてるし。
鶴岡八幡宮の境内につながる長い石の階段の上にうっすら雪が積もってきている。これは本格的にまずい。鎌倉って、どれぐらい雪が積もるのだろうか?
「あら?!」
明るい声がした。
聞き覚えのある声だ。
顔を上げると、
「あ!貴女はあの時の…?!」
鎌倉に帰るおばあさんが石段の上にいるではないか!
ーこんなことってあるのか?!
両親にも、あの江ノ島に行くと言った美容師彩夏にも会わないのに、赤の他人の彼女に会うなんて…。
「まぁ、まぁ、まぁ!また会えるなんて…!」
彼女が着物のまま急ぎそうなそぶりだったので、自分が慌てて駆け寄って、広い石段の端で彼女の前に立った。
「お兄さん、元気だった?また会えて、嬉しいわぁ…」
どうして彼女の姿を見ると心が温かくなり、泣きたくなるのだろうか?
下手したら自分の母親より親切にしたくなるレベルだ。
「俺もですよ。とりあえず、下に降りるんですよね?危ないので降りましょう」
というのも、この階段。広い上に手すりは中央にしかなく、かなり急。
良く今まで死人が出なかったな、と思うほどである。
おまけに雪だ。
多少でも滑りやすくなっている。
草履では危険だ。
「また貴方に会いたいと思ってたのよ、私」
にこりと微笑みかけると彼女は階段を見ながら聞いてくる。
「今日は年越しをしにここまで来たの?」
それには少々戸惑ってしまう。
良い神社か寺でも紹介してくれないだろうか?
しかしそうなると自分の現象を言うことになる。
受け入れてくれるのか?
という疑問と、
受け入れられたところで怖がらせてしまうのでは?
という疑問。
それから、
貞子ではないが、知ったら関わり合いになってしまう…
などと言うことはないのだろうか?
この人を巻き込みたくない。
そうは思うが…。
石畳を白くしていく雪を見ながら、子猫の話をとりあえずした。
階段を降り切ると支えていた手を離してお互い向かい合う。
変わらない笑顔で安心する。
「あなたってば、本当に良い人なのね。猫の為にわざわざ長谷まで行くなんて…」
これにはさすがのおばあさんも驚いていたが、それに至るまでの経緯を離していないのだからそりゃただの「いい人」にもなってしまう。
とりあえず話を合わせておこう。
「あはは…。そのつもりはなかったんですけど…神社巡りしようと思ってましたし…。しかし、猫を預けてきたのにまた猫に付いてこられちゃって、猫に好かれる体質になったんですかね?」
未だ足元にすり寄っている黒猫に目を落とす。
が、
おばあさんは驚いた顔をした。
今度は先ほどと違う驚いた顔だった。
嫌な感じはしないが、どうも引っかかる表情だ。
「あの、あなた猫って…!」
突然、階段の上から声をかけられた。
数段上から声をかけた女性を見上げると、
色は白いが迷子の小狸のような顔に柔らかい雰囲気の女性が、
慌ててこちらに来る。
「貴方その猫が見え…」
グレーや白、黒などの縦縞の粋な着物に、白い梅の咲く抹茶の色のよな帯。そこに目の覚めるような鮮やかな黄色の帯留め。着物に合わせた白い梅の揺れる飾りが可愛い。
緩く結った髪にシンプルな漆の簪が差してある。
本当に現世の人なのか?時代劇から抜け出してきたのではないだろうか?はたまた、アニメの中から抜け出してきたのか?
そう思っていると
「どぅわ?!」
着物を着た、大人しそうな困った狸顔が慌て顔になって足を滑らせた。
叫び声は可愛くない。そうとう面白いが。
そうとうなドジ属性なのか?
そう思いながらもあと3段とはいえ、着物では着地が上手くできるか分からないだろうと、手を貸した。
彼女は手を取られる事に大変驚いてしまい、受け身も忘れて突っ込んできた。
「はぶっ!」
「あでっ!」
彼女のおでこが思いきり心臓らへんを直撃した。
結構地味に痛い。
「だ、大丈夫?お兄さん、小舞千(こまち)」
おばあさんがそう言って自分と小舞千さんと呼ばれた女性の腕を支える。
「自分は大丈夫ですが…」
「あぁ?!」
小舞千さんが自分の胸から離れようとした瞬間叫んだ。
はっきりと、
口紅が、綺麗にニットのカーディガンを避けて、明るいグレーのタートルネックに付いた。
所謂、キスマークという奴だ。
はじめて付いたことに、本当にあのよくある絵のようになるんだと思いつつも、女性陣は慌てふためいている。
「あああご、ごめんなさい!洗いますから脱いでください!」
ここにもおBAKAがいたか。
困り顔の狸が目をぐるぐるして、まるでアニメのように焦っている。
「早く落とさないと!口紅って落ちにくいのよ?」
「マジっすか」
お気に入りだから失いたくないが、キスマークを失うのももったいない気がする。そして、口紅が落ちにくいというのも初めて知った。
思わず砕けた物言いになってしまった。
頭の端では古い漫画とかでシャツにキスマークを残すというあれは、落ちにくいからマーキングに丁度いいということなのか?
というのと、
早く寺社仏閣へ行け。
という言葉が流れてきて、脳内は完全に某ニコニコ動画のような勢いで文字が流れてきており、忙しくて追いつかない。
あの女性落ちる寸前に不穏なこと言ってたし。
「おう!じゃあこれから飯食いに行くぞ。付いてこい兄さん!」
「誰っ?!」
行き成り肩に腕を乗せてきたおじいさんが、何の前ぶりも無く現れ、脈絡もなくじゃあと飯を誘い出した。
おじいさんというのにその力は強く、なおかつ背もそこまで自分と変わらない高身長。
おまけにだ。
ダークブラウンの着流しに、黒い足袋。鼻緒は白黒の市松文様。茶色のハットに洒落た木の杖に、丈の長い真っ黒なローブ調のコート。
目鼻だちも整っていて、ハットから見え隠れする白い髪はどうやら感じ的にオールバックのようだ。
ーえ?何この完璧な紳士
「おじいさんだめよ。年末は家で過ごさないと。お約束でしょう?」
おばあさんがおじいさんをそう窘める。
ということはだ。
「藍子、少しだけだ。少しだけ」
「だめです。お洋服の事も、八幡様の事もありますし、返りますよ」
先ほどの威勢をすっかりしょぼくれさせておじいさんは項垂れた。
「さ、神楽さん。行きましょう。貴方の今の悩みを、うちなら解決できるかもしれないわ。猫ちゃんのこともあるし」
と、おばあさんは相変わらずの優しい口調と笑顔で背中を押してくれるが
「あ、あの…自分、名乗りましたっけ?」
沈黙が訪れた。
女2人が「あ」という顔で止まっている。
その顔、そっくりだ。
「男が細かいこと気にするな!八幡様とその使いと、そのー兄さんの親族縁者と、おー、拾いものの奴はどうにでもなる!さ、酒だ!今日はめでたい!帰って熱燗で新年を迎えよう!!な!」
かなり重要なことを言われたのに、このおじいさんのノリと勢いとパワーが凄すぎて、反論する余地もなく…。
自分は思った以上の厄介ごとを抱えているらしい予感を胸に、
自分は他所の家でゆく年くる年をすることが決定した。
ご興味頂きましてありがとうございます。書き始めたきっかけは、自分のように海の底、深海のような場所で一筋の光も見えない方のために何かしたいと、一房の藁になりたいと書き始めたのがきっかけでした。これからもそんな一筋の光、一房の藁であり続けたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。