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『性風俗シングルマザー 地方都市における女性と子どもの貧困』を読んだ感想(再掲)

※この記事は空冷がnote内の別アカウント(すでに削除)にて2020.2.25に公開した記事を再びアップしたものである。

『性風俗シングルマザー 地方都市における女性と子どもの貧困』
2019.12 坂爪真吾 集英社

坂爪さんの著作を読むのはこれでおそらく5冊目。最初のうちは発売するたび追いかけていたが、『はじめての不倫学』(光文社新書)あたりから執筆スピードが早くなって完全に置いていかれてしまった。
本書は貧困や就労といった現代社会の問題の集積地といえる「地方都市の風俗店で働くシングルマザー」に焦点をあてている。実際に彼女らの生活とその背景を見ていくなかで、本当に必要なものは何か? 単なるルポも制度論も越えて、具体的な知恵を導き出していく。

第一章「地方都市の風俗店で生きるシングルマザー」ではひとりのシングルマザーの事例からその実情を探る。あくまで一例ではあるものの、シングルマザーが風俗店で働くことになった理由や、ひとりで子どもを育てている理由などが紹介される。またこれ以降のすべての章でも同様だが、扇情的なイメージで語られがちな「風俗嬢」や、自分勝手とバッシングを受けがちな「シングルマザー」への偏見と現実の違いも正されていく。

第二章「生活と子育てを安定させるために」では(道徳的な是非を排するならば)「社会資源」として機能している「風俗」を確認する。ここではデリヘルで働くことで生活と精神状態が安定したシングルマザーの例が挙がる。

第三章「義実家という名の牢獄」では夫婦の関係不和や家庭内の問題によって事実上のワンオペ育児を強いられている「隠れシングルマザー」について見ていく。残念ながらこの「隠れシングルマザー」は「(当該市の)デリヘルの待機部屋では日常的に出会う存在」だという。離婚しようにも夫に「仕事を親戚にばらす」と脅される、独身ではないために「児童扶養制度」が利用できないなどの問題を抱え、「自分一人が我慢すれば」と追い詰められてしまう女性の例も紹介される。

第四章「たった一人の自宅出産」では社会からの孤立により、「ひとりで自宅出産する」という高リスクを取ってしまった女性のケースが挙がる。出産や育児に関する行政サービスが充実していてもそれが届かない女性がいるのはなぜなのか。そのような女性・まちはどうしていけばいいかを考える。

第五章「彼女たちが「飛ぶ」理由」では社会資源としての風俗のリスク・ジレンマが語られる。ここでは風俗の仕事が耐えられなくて逃げてしまった経験のある女性が例となっている。これらの仕事が劣悪な環境であるために、また逆にその職についたゆえに生活が安定し、過去のトラウマのフラッシュバックに耐えられなくて「飛んで」しまう人がいるという。性暴力や虐待を受け、男性への不信が強いにもかかわらず「男性を相手に仕事をするしかないジレンマ」を抱える女性のケースにも言及している。風俗を社会の敵扱いするのではなく、また安易に貧困女子のセーフティネットとしてもてはやすこともせず、それらの抱えるジレンマを抑えながら最適解を探っていく必要があることが示される。

第六章「「シングルマザー風俗嬢予備軍」への支援」では、地方都市の風俗店で働くシングルマザーが、親との関係悪化や虐待などを理由に流れ着いてくること(が少なくないこと)から、適切なタイミングで適切な支援を届けることで、これらの貧困の連鎖を断ち切る方法を考える。ここでは「子どもシェルター」を例に挙げ、その果たすべき役割や問題点を探っていく。

第七章「風俗の「出口」を探せ」では逆に風俗から出ていく人たちの支援について紹介している。ここでは「デリヘルで働くシングルマザーたちがその受給対象者でありながらなぜ生活保護を受けないのか?」という観点からスタートし、社会制度側の問題点なども見ていく構成となっている。そして当該地方都市のシングルマザーにとって本当に必要な支援はなにかを追求していく。

第八章「「子どもの貧困」と闘う地方都市」では当該地方都市で策定された「子どもの貧困対策推進計画」を材料に、子どもを貧困からひとりでも多く救い出す行政側のアプローチを考える。やはり財政難の地方都市の事例ということもあり、問題は山積している。しかし様々な支援のかたちが紹介されており、すべてがダメという話でもない。「策定して終わり」にはしないという未来に向けた提言の章と言えるだろう。

終章「「家族」と「働く」にかけられた呪いを解く」ではシングルマザーに限らず、私たち一人ひとりにかけられた「呪い」を解くことを指摘する。この呪いとはふたつあり、ひとつは自ら育った家庭環境を「当たり前」だと思ってしまう「家族の呪い」である。人は自分の育った家庭以外のことを知らない。他にどのような家族観があるかを知らなければ結婚して家庭を築いていくことは難しいだろう。またDVが当たり前に行われている劣悪な家庭に育てば、それが当たり前と親の家族観を受け継いでしまいかねない。ふたつめの呪いは生活するために充分な収入を得られない「働き方の呪い」である。はびこる貧困を救い出す行政サイドの支援ももちろん必要だが、会社に雇われる従業員としてしか働けない多くの人々の「労働観」を変え、現状を打破していくという一考察が示される。

本当に一部しか紹介できていないが、やはり本書の一番のポイントはインタビューしたシングルマザーたちに「デリヘルで働くシングルマザーにとって必要なものはなにか?」などの改善点を聞いていることだろう。デリヘルで働く貧困女性に話を聞くルポは数多いが、それを今すぐ・少しでも改善していこうとする姿勢のものはなかなかない。『「身体を売る彼女たち」の事情』の比較的序盤で、派遣型リフレで働く彼女たちが一番欲しがっているものは「スマホを充電できる場所」と意想外の結論を出すなど、著者が性風俗にかかわる女性たちについていかに本気で考えているか節々から伝わってくるものである。

「性風俗」という言葉にはどうしても扇情的でネガティヴなイメージがつきまとう。「あの娘は(男を体で誘惑する)風俗嬢や」という暴言は存在しても、「あの娘は風俗嬢みたいやね」という褒め言葉は存在しない。その烙印に問題を見誤らせている一面があることに疑いの余地はないだろう。しかし、じゃあ「デリヘルで働いている女はどうなってもいい」のだろうか?
シングルマザーの問題でもそうである。第三章「義実家という名の牢獄」を見ればわかる通り、このような男性と出会ってしまった人に「そんなものは自己責任だ」と咎めることに意味はあるのだろうか? 男を見る目がないと言ってしまえばその通りなのかもしれないが、人が人を好きになってしまう理由なんて環境次第でいくらでも変わってしまうものである。
逆に「女性たちを追い詰める男たちがクズだから悪い」、「性風俗を利用する男たちを罰せよ」と言ったところで(感情的には同意だが)何も解決はしない。貧困を理由に性風俗の門を叩いてくる女性たちにとって、男性に性を売ることは手段でしかないのである。結局生きていく術がなくなるだけの話といえる。

これまで生きてきたなかで、家庭内暴力や性犯罪被害に遭った女性を何度も見てきた。本書に出てくる女性たち同様非常に過酷な家庭に育った人もいて、そういう人には自己肯定感が極端に低く、男性に対する恐怖心が強い人もいる。逆に女性を搾取する「ぶん殴ってやりたい」ほどのクズ男も何度も見てきた。しかし私が彼らに怒りを覚えたところで何の解決も生まなかった。
実際「ろくでもない男に制裁を加える」ことも必要なのかもしれない。しかしそれらは我々第三者の溜飲を下げる意味しか持ち得ないのではなかろうか? 以前の職場で話していたことなのだが、「女性を性犯罪から守るためにはどうしたらいいか」という問いに対し、同僚が「性犯罪を犯した男を死刑にすればいいんですよ」と答えた。これも感情的には同意するが、せいぜい僅かな抑止力だけだろうと思われた。実際には効果はあるのかもしれない。しかしこれでは性犯罪者の命を刑罰で奪う頃に、ひとりの性犯罪被害者が生まれていることになる。加害者はこの世から消え去っても、被害者はいなくならないのだ。
このように女性を搾取する男性を許す気にはなれないし、実際目の前に「本書に出てくる女性を苦しめる」ような男が現れたら、多くの人が怒りで掴みかかりかねないだろう。だが、救済されるべき貧困の渦中のシングルマザーたちは私たちの義憤では救われない。感情とは別のところで問題を解決していく必要がある。
「性を買う側」の男性をなんとかすべきという意見ももちろんあり得るだろうが、それは貧困で苦しむシングルマザーの生活の改善とは直接に関係がない。道徳的に見れば「風俗嬢として働くことのリスクは自己責任として引き受けるべき」なのかもしれないが、貧困を理由に望まずに性風俗の世界に入っていった人々の動機を思えば、自己責任論を適用するのは酷とは言えないだろうか。
いつかの女性たちが救われるのであれば、世の男性が糾弾されようが構わない。おかしな理屈なのはわかっているが、それぞれと近しい関係にあった私はそう思ってしまう。しかし救われないのならばそんなものに意味はない。今すぐにでも彼女らの環境がよくなる解決策を差し伸べてあげてほしい。
 自分勝手な意見を述べてきたが、私が坂爪さんらの活動を支持したい理由はこのような理由のためである。

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