見出し画像

『聖なるズー(集英社学芸単行本)』を読んだ感想

『聖なるズー(集英社学芸単行本)』
濱野ちひろ著 2019.11 集英社

性やセックスについて語ることができるようになるため「動物性愛(ズーフィリア Zoophilia)」の研究を始めた著者が、主にドイツで出会ったズーファイル(動物性愛者(Zoophile)以下、ズー)当事者たちに取材して回ったノンフィクション。著者が自身の体験を交えつつ、ズーの人々と関わって考えたことが中心となっているため、研究書然とした読みづらさはない。しかしセックスにまつわる数多の考察が、私が今までに考えたこともない観点からすさまじい熱量で描かれており、頭がくらくらするほど価値観が揺らぐ経験となった。

今や男か女かという単純なセクシュアリティの構図は崩れ去り、まだまだ理解は進んでいないものの同性愛・両性愛という言葉も耳に馴染む世のなかになってきた。しかしここで動物(主に犬や馬)を愛し、セックスをすることもある「動物性愛」という性の在り方が語られることは(個人的に)衝撃的であった。異性愛ではなく異種愛とはどのようなものか。今まで一度として考えたことがなかった問いが本書には詰め込まれている。

著者の凄惨な性暴力経験が語られるプロローグの後、著者の取材はドイツのズーたちの団体「ZETA(ゼータ)」のメンバーとの交流からスタートする。

「獣姦」と「動物性愛」は似て非なるものだ。獣姦は動物とセックスすることそのものを指す用語で、ときに暴力的行為も含むとされる。そこに愛があるかどうかはまったく関係がない。一方で動物性愛は、心理的な愛着が動物に対してあるかどうかが焦点となる。

本書を読んでいて驚いたことは、ズーの人々は必ずしもパートナーの動物とセックスしているとは限らないということだ。上記の定義通り動物への愛着が重要となっていることがよくわかる。またズーの人々が自分たち人間と動物を同等・対等の存在として扱っていることを著者は作中で何度も記している。多くのズーが動物たちのパーソナリティを感じ取っており、「動物の方からセックスを誘ってこない限りしない」など動物たちからの誘いを理解しているというズーがたくさんいたことにも驚かされた。私は動物を飼った経験がないため疑いの持ちようもなかったが、動物に性欲があるか否か、これも考えたことのない問いであったことは間違いない。

最初にこの本を手に取る人の多くはある種の「怖いもの見たさ」が動機になっているかもしれない。しかしセクシュアリティの在り方を再考する手段として、この本が伝えてくれる情報と考察は非常に示唆に富んでいると言える。

しかしタイトルの「聖なるズー」とはズーのなかでも聖人君主と呼ばれるZETA(ズーの団体)メンバーたちのことを指しており、それ以外のズーの人々に関する取材は(作中に)まだ少ない。ズーにも多様な人がいて、(僭越ながら)著者の研究・取材もまだそのとば口にいると言えるだろう(例えばズーにもセックスにおいていわゆる受け身の「パッシブ・パート)」とその逆の「アクティブ・パート」がいるなどの違いがある)。もちろん著者は多くのそれをすでに記しているし、今後の取材・研究がどのようなものになるか、期待せずにいられない。

最近不調に喘ぐ私が以前から書き溜めてあった読書感想文である。正直に言ってこれほど作品のよさを紹介できないものかとショックを受けた文章はない。必ずしも自分の腕の話に限らない気もするのだが、それゆえ公開をためらっていた。私の稚拙な文章では表せないほどの傑作だと思っている。通読することが辛くなる部分もあるが、ぜひとも読んでいただけると嬉しい。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?