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ダフネのオルゴール第8話

官僚試験に合格したけれど、あえてこころざしを優先して国語教師になったこと。それが父の一番の自慢だった。若い頃から自信家で気まぐれな性格だった父。周囲の人には紳士的に振舞っていたが、私と母には横暴で冷たかった。裕福な家庭の中で神経質な祖母に過保護に育てられた父は、母親から期待されたことは何でも完璧にこなしてきたらしい。父と祖母は親子というよりも、舞台監督と役者のような関係であったように思う。

祖母は父に学校という舞台では優等生を、社会という舞台では良識のある優秀な国語教師を演じさせたのだ。舞台が家庭になれば、良き夫、理想的な父親の演技を当たり前に強制した。父は自信満々で演じるつもりだったのだろう。しかし予定は狂った。場面かんもく症と共に生まれた私によって。

3歳までの私は幸せな子どもだった。しかし翌年に幼稚園に入ると場面かんもく症であることが発覚し、父からの暴力が始まった。泣くとより酷く折檻されることを覚え、学校に通う頃には不自然なほど泣かない子供になっていた。

目の前で私が手酷く殴られていても、母は無関心だった。問題の無い幸せな家庭の主婦であると思い込み続けたかったのだろう。髪を掴まれて引きずり倒され、お腹を何度も蹴られても、足の甲に煙草の火を押し付けられても、親を困らせるためにわざと外で話さないんだろうと言われても、泣かずに耐えた。

学校でも教師や同級生たちから白い目で見られたので、ほぼ毎日何かに耐えていた。思うように言葉が出ないことの悔しさも私の精神を蝕んでいった。そして父の「困った娘に手を焼く良い父親」という見事な演技によって、助けを求められそうな場所や人はどんどん消えていった。さらに私自身も父に影響され、自己嫌悪に苛まれていた。

唯一の希望は母方の祖父だった。私に家族らしく接してくれた唯一の人。祖父は私が生まれるとほぼ同時に亡くなった祖母のことを生涯ずっと想っていた。寡黙だが行動で私に愛情を示してくれる祖父と一緒にいる時だけは、幸福で素直な子どもに戻れた。

両親からの虐待を打ち明けてしまいたいと思ったことは何度もある。しかし身体の弱い祖父を心配させたくなかったし、もしかしたら祖父からも嫌悪されるのではという恐怖と不安もあったので、かたくなに口を閉ざしていた。

この世で唯一の安全な拠点である祖父を失えば、当時の私に生きる道はなかったろう。祖父に嘘を吐き続ける罪悪感と、真実を打ち明ける恐怖の狭間で幼い私は揺れていた。

もはや習慣になっていた父からの殴打と罵詈雑言に耐えていた8歳の誕生日の夜に、私は初めて家出をした。3歳の頃までは父と仲良く手をつなぎながら歩いた橋まで走り、橋の下を流れる川を覗き込んだ。夜の川は墨のように黒く、荒々しく流れていたが不思議とまったく怖くなかった。祖父と観たプラネタリウムを思い出していたから。上映前に真っ暗になる会場に驚いたけれど、あの時は祖父が隣の席に座っていたから怖くなかった。

祖父が恋しくなり、橋の冷たい欄干から身を乗り出した。黒い川に飛び込めば田舎の古い家で独り静かに暮らす祖父の元へ、本当に行ける気がした。両足の力を抜く寸前に、落ちていく自分の涙に気付き、立っていられないほどの疲労を感じた。しゃがんで泣きじゃくった私は、結局家に戻ったのだった。

初めての家出が失敗した翌日から、私は同級生たちの話し方や身振り手振りをよく観察し始めた。そして13になった時には声が出るようになった。話すことよりも、他人に擬態することを意識したおかげかもしれない。スムーズに話せているかのように振舞えるようになった私を、父と母以外の人々は手のひらを返すように受け入れた。演技が得意なのは父譲りだったのかもしれない。

結局最後までねじまがった親子関係は直らなかった。少しでも気に入らないことがあれば、父はそれを私のせいにして殴ってきたし、母は私の傷を見て見ぬふりをし続けた。

人とのコミュニケーションがスムーズになればなるほど、演技を見抜かれるかもしれないという不安が強くなっていった。生身の人間と向き合うことに疲弊した私は、自然と本を読むようになった。ジャンルは気にせず、興味を持った本は何でも読んだ。読書が好きだからというよりも、家族や自分自身のことを考えないために常に頭の中を本の文字で満たしておきたかったからだろう。

読み漁る中で偶然見つけた精神医学に関する本で、場面かんもく症の存在を知った。衝撃的だった。ずっと自分だけの問題だと思っていたものが、詳しく記されていたのだから。

その日の夜に本の著者である精神科医に送る手紙を書いた。医師の目に留まりやすくなるようにメールではなく、あえて古風なアナログの連絡手段にした。祖父が切手や便箋をたくさん持っていたし、家のパソコンは父の許可なく触れなかったという理由もある。

まず両親に理解がなく直接診断を受けることはできないので、自分は場面かんもく症だったのかどうか、この手紙の内容から診断してほしいと書いたところで深呼吸した。幼い頃からの辛い体験を書くのは苦しい作業だったが、できるだけ客観的に冷静に、細かく書いた。

手紙を郵便ステーションに出してから1週間後、奇跡的に返事が来た。祖父の住所を書いておいたので、祖父の家で医師からの手紙を受け取った。帰り道で読んだ手紙の内容は予想通り。「場面かんもく症であったある可能性は極めて高い。できれば対面での詳しい診察を勧める」美しい筆跡の文字を読みながら、私は静かに泣いた。嬉し泣きだったと思う。両親が壊れたのは私のせいではない。初めて第三者にそう認められた気がしたからだ。

それから私は冷静に現状を捉え始め、どう生きていきたいかと初めて自分自身に問うた。すぐに答えが出て、時間が許す限り本を読み、あの家と両親と完全に決別するために必要な情報を溜め込んだ。ムーンヴィレッジという人類の新天地と本の中で出会った時、私の心が決まった。その瞬間から壮大な家出計画を練り始めた。

当時は月と地球を繋ぐ軌道エレベーターの進歩のおかげで、一般人も週末の旅行感覚で月へ行けるようになっていた。しかしムーンヴィレッジへの移住には、それなりに費用がかかる。ムーンヴィレッジに根を下ろして生きていくとなると、移住費用以外の問題も出てくる。ムーンヴィレッジで生きるために必要な家や仕事をどうやって得るか。身元を証明するための書類はどう準備するか。そもそもどうやって移住費用を賄うのか。あらゆる本を読み、どうにか問題をクリアしようと思ったが、まだ10代だった私には限界があった。

頼れる大人はただ1人、祖父だけだった。本気で家出するならば、祖父を頼るしかない。しかし祖父を巻き込んでしまうのは嫌だった。祖父の安寧と自分自身の未来を天秤にかけたまま、私はしばらく途方に暮れていた。

祖父と会えるのは年に数回だけ。あまり頻繁に行こうとすると父に折檻されるからだ。祖父の家は古いけれど温かみがあって好きだった。祖父に会いに行くたび、あの家にずっといたいと願ったものだった。相変わらず父に怒鳴られながら過ごした16の誕生日の夜、私は窓から入ってくる春の生暖かい風を浴びながら決心した。

毎年お盆の時期になると、母と祖父と私で母方の先祖たちの墓参りに出かけていた。祖父の家で一泊してから帰るのが恒例行事だった。母と祖父は実の親子なのに、どこか互いに遠慮しているような雰囲気を常にまとっていたと思う。冷たいわけではないけれど、埋められない深い溝がある関係性。2人のやり取りを見て、そう感じた。

祖父に家出計画を打ち明けたのは、そのお盆の帰省の時だった。夕方に庭で皿に乗せた麻の茎が燃える様子を眺めるという、私と祖父の夏の大切な行事。その最中だった。今もよく覚えている。皿の中で黒く焦げていく麻の茎を祖父と静かに見ていた。夕方の少し涼しい風が庭でしゃがんでいる私たちの間を通り抜けて、焦げる匂いが鼻を刺激した。祖父に一大決心を伝えるつもりだった私は、やけに喉が渇いていて。

私が小さい頃は麻の茎の代わりに花火を燃やしていたこと。はしゃいだ私が花火を振り回して大変だったこと。目尻を下げた祖父が優しい声で話していてくれたのに、私はうわの空で聞いていた。落ち着かない様子の私に気付いた祖父は黙り込んでしまって。意を決して口を開いた。

「おじいちゃん、私ムーンヴィレッジに行く。行ったらもう家には帰らない。もう決めたの」

固い声で私がはっきり宣言すると、祖父はゆっくりと頷いた。祖父の目線は燃える麻の茎に向いたままだった。庭に植えてある夏の花々が、穏やかに揺れていた。

「誰かと行くのか?お金は?」

祖父は私の顔を見つめて、事務的な確認のように尋ねてきた。父と母のことを聞かれたり、反対されたりすると思っていたので驚いた。動揺を抑えながら、1人で行くこと、必要になるお金を借りたいこと、父と母には絶対に言わないでほしいことを時々詰まりながら伝えた。黙って私の話を最後まで聞いた祖父は、無言で家の中に入っていった。祖父に呆れられたのだと思い、絶望感に浸りながらぼんやりと麻の茎を眺めていると、しばらくして祖父がまた戻ってきた。通帳を片手に持って。

「これから下ろしてくる。明日の帰り際に渡すからな。見つからないように気を付けなさい」

祖父は小声で言うと、にかっと笑って私の頭を撫でた。強烈な安堵と驚きで固まった私は、喉をこじ開けるようにして感謝を伝えた。涙を止められなくなった私の背を、祖父の硬い手が撫でていて。ヒグラシの鳴き声と私の泣き声が混ざって聞こえた。

翌日、祖父は本当に厚い札束が入った封筒を渡してくれた。母に隠れて忘れ物を渡すように、私の手にさり気なく封筒を握らせた祖父は、いつも通りの優しい表情だった。きっと無言で励ましてくれたのだろう。

大きな問題をクリアしたものの、ムーンヴィレッジの共通語の勉強、住居選びや仕事探しなど、やるべきことはまだたくさんあった。未成年の私では用意できない必要書類もあったので、祖父とは頻繁に郵便で連絡を取った。父や母に見つかれば、祖父も危険に晒される。祖父とのやり取りの証拠は、絶対に残さないようにした。神経をすり減らしながらも妙な充実感を味わっていた私は、計画の最終段階で最大の危機を迎えた。



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