春雷の落とす望月
落とし物の山が、今日も雪崩を起こす。
仕分けする前だから崩れても問題ないのだが、その迫力に毎回圧倒される。まずワニのぬいぐるみと傘を手に取って、仕分け用の籠に収めた。
遺失物管理センターで働いていると、毎日驚きの連続だ。予想を超える落とし物、落とした人それぞれの事情。他のセンターの職員も巻き込んでの大捜索。カウンター越しの喜怒哀楽。もうこの春で勤続5年目になるが、退屈だと思うことはない。
「あ、そろそろ受付けの準備しに行かないと。残り、よろしくお願いします」
受付け業務は週ごとの当番制で、今週は私だ。仕分けの作業を同僚たちに任せて、受付けエリアに急ぐ。ファイルやら書類やらを整理して、観葉植物の世話をして、机やカウンターを拭いて。壁掛け時計を睨みながら、お客さん用のドアを開けた。時間ぴったりだ。
「あ!開いた!」
「うわっ!」
目の前の人の顔と叫び声に、私は飛び上がって驚いた。
「すみません!ここに『月人証明書』って、届いてませんか?運転免許証みたいなやつなんですけど。駅の人に、ここにあるかもと言われて……」
「つき、びと?」「はい。月の人と書いて月人です」
「保管室を見てきますので、ちょっとお待ちいただけますか。どうぞ中へ。雨の中お待たせさせてしまったようで、すみませんね。お疲れでしょう」
「いえ、俺が焦って勝手に来ただけなので。失礼します」
両耳にずらりと銀色のピアスを並べている青年は、意外と冷静にドアをくぐってきた。早朝から来ていたのだから、大事なものなのだろう。見つけてあげたい。
「あー、やっぱり無いかー……」
頭を抱えるピアスの青年の前で、私も途方に暮れる。保管室を隈なく探してみたが、見つからなかった。他のセンターにも問い合わせてみたが、結局見つからず。
電話で連絡すると約束して一度帰ってもらったが、青年は夕方に再びやって来た。いても立ってもいられないのだろう。無慈悲な報告をした途端、青年は酷く落胆した。雨が酷くなっているのか、青年の両肩は派手に濡れていた。
「お力になれず、本当に申し訳ございません」
「ああ、いえいえいえ、こちらこそ、お騒がせしました。探してくださってありがとうございます。感動しました。月だったら、こんなに親身になって探してもらえません。証明書は、また発行できますから大丈夫です。3回目だから、かなり、叱られるだろうけど……」
笑顔に戻ったものの、また暗くなった青年の顔をじっと見る。ピアス付き耳が2つ、鼻と口が1つ、黒い虹彩の眼が2つ。地球人だろう。どうみても地球人の若い男性だ。月人証明書ということは、この人は月の人なのか?
個人的なことを、根掘り葉掘り聞いてはいけない決まりだ。しかし、好奇心に抗えそうにない。
「あの、失礼ですが、お客様は」
思い切って口を開いた途端に、ピシャーンと大きな音がして、真っ暗闇になった。目の前から、ひゃー!という叫び声。
「お客様?!」
慌てて懐中電灯を手に取り、カウンターの中から出て、青年に駆け寄る。その場にしゃがみ込み、震えていた。
「いいいい今のは電子雪崩で起きる雷というやつですね。漂ってる電子が大気中の分子とぶつかって、ぴょーんって、ぽーんって跳ね飛ばされちゃったんですね。その電子が他の電子と、またぶつかって。原子核の周回軌道上から電子が跳ね飛んで。それが連鎖して、電子雪崩になって、雷になるって」
早口で雷の説明を始めた青年の背中をさする。相当、驚いたのだろう。
「大丈夫ですよ。雷で停電しただけですから。すぐに明るくなります。雷、怖いですよね。私も苦手なんです」
ちょっと青年の表情が柔らかくなった。
「すみません、取り乱して。月には雷という現象は起きないので、驚きました。仕組みはしっかり予習しておいたんですけど、いざ目の当たりにすると、こんなに恐ろしいとは……」
「あの、月に住んでらっしゃる、んですか?」
「はい。研究系の仕事で、初めて地球に来たばかりで。月にいる仲間と特殊なテレパシーを送りあって、どう届くか実験するんです。今回は、俺は受け取る側で。月から満地球が見える新月の夜に、実験する予定なんですけ」
またピシャーンと雷が派手に落ちて、青年がひゃー!と叫んだ。
肩をさするが、ブルブルと震えて黙り込んでしまった。さっきの青年の「満地球」という言葉で良いことを思いつく。懐中電灯で、すぐそばの白い壁を照らした。壁に、即席の満月が現れた。
「ほら、見てください。満月そっくりですよ」
青年は、壁の満月を見ると静かになり、耳を塞いでいた手を下ろした。良かった。落ち着いてくれた。
「満月の夜は、地球側にいる仲間がテレパシーを月に送るんです。月ではずっと、地球からの信号を受け取ってました。地球から月は、こんな風に見えてたんだ……」
青年が見つめる壁の満月に、私は満地球を想像する。青く光る満地球の想像図は、照明のスイッチが入った瞬間、消えた。