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ダフネのオルゴール第6話

ホルスホスピスにいる女子学生ボランティアは数人ほどだ。いつも同じ時間にランチ休憩を取るため、必然的に昼食は女子学生同士でまとまって取るようになった。テンポの速い会話についていけない私はできるだけ気配を消し、カフェテリアの隅に表示されている巨大なホログラフィックモニターを見ながら昼ご飯を食べる。

いつもの地味なニュース番組は、地球で生まれ育った子どもとムーンヴィレッジで生まれ育った子どもを対象にした統計結果を比較して報じていた。どうやら地球の子どもたちよりも、ムーンヴィレッジの子どもたちのほうが他人を差別しないらしい。そのニュースのあとには、ムーンヴィレッジを褒めたたえるようなニュースになった。

モニターから目線を目の前の照り焼きチキンサンドイッチに戻した。美味しいのだが大きすぎる。なかなか減らない。また一口かじって、顎を動かす。

ムーンヴィレッジが完璧な理想郷と信じて疑わない人は、地球にもムーンヴィレッジにもまだ多くいる。私の両親もそうだ。ムーンヴィレッジへの移住を希望する人は全員、全地区で共通語に指定されている言語を習得しているか、偏った思想に染まっていないか、ムーンヴィレッジ政府に念入りにチェックされる。そのためムーンヴィレッジには「国」や「宗教」という区別がない。地球で大きな火種になることが多かった2つの概念がなくなったことで、地球で繰り返し勃発していた大規模な戦争はムーンヴィレッジでは起きていない。だからここは人類の理想郷なのだと、母と父も私に言い聞かせるのだ。

しかし、ここでも命が失われる悲惨な事件は数え切れないほど起きている。国民を奪うだけでなく、月の地下深くにある資源を独り占めしているムーンヴィレッジ政府に、地球の大国たちは敵対心を剥きだしにしている。いずれ地球のようになってしまうだろう。そんな風に想像してしまう私は、ここが本当の理想郷だとは思えない。

「そういえば聞いたことなかったよね?クレスちゃんは好きな人いるの?」

特別元気で綺麗な白人系の女の子、グロリアからの急な質問に私は首を大きく横に振って答えた。

「あらそうなの。恋愛はいいよ。どんどん恋愛したほうがいいと思う。片思いだとしても元気の源になるし。私、付き合ってた男の子いるんだけど、このボランティアに全力出すために別れたんだ。もう恋愛はしばらくいいかなーって思ってたんだけど、気づいたらまた恋しちゃってるんだよね」

グロリアのポニーテールにした明るい金髪が、白を基調にした広いカフェテリアの内装に溶け込むように輝いている。私以外の女の子は前のめりになり、グロリアに色々な質問を投げかけた。グロリアは好意を向けているらしいボランティアの男子学生について、自信満々に語り始めた。

やっぱり私くらいの年頃の女の子は、みんな恋愛に興味津々なのだろうか。私は「恋愛」というものが、さっぱり理解できない。母は年頃になれば自然に分かるようになると言ってくれた。しかし年齢を重ねていくごとに「恋愛」の不可解さは増していく。

私は恋愛にまったく興味が無い。この先ずっと、女性も男性も好きになれる気がしない。15歳になってコルプスクラスのスクールに入り、休み時間に幼馴染の女友達とお喋りしていた時、打ち明けたことがある。まだ初恋を経験していないだけじゃないの?と笑いながら指摘された。その日以降、その子はよそよそしくなって疎遠になった。あの子は私を嫌悪したのだろうか。今も時々考えては、眠れなくなる夜がある。

あの時から私はもっと無口になり、自分自身を知るために色々な情報を集めるようになった。どうやら私は恋愛自体が理解できないわけでなく、ただ性愛が理解できないアセクシャルという少数派に属するらしい。私が勝手に思っているだけだが。情報を集めていく中で、ムーンヴィレッジでもアセクシャルへの理解はまだ浸透していないことも知った。根強い差別や偏見、それに苦しむ人々がいることも。ここが理想郷だと言う両親に、強い反発心が芽生え始めて素直になれないことが多くなった。ただの反抗期。周囲の大人たちが囁く言葉を自分に言い聞かせて、泣き叫びたいような気持ちをごまかし続けている。

「ちょっと予定があるから、先に行くね」

話題が理想の彼氏像になってきた頃に、残っているサンドイッチを口に詰め込んで席を立った。トレイを片付けながら顎を動かす。ペットボトルのお茶を飲んで、クロエの病室のほうへ歩き出した。自然と早足になる。

病室の扉の前に立つと、中から子どもの澄んだ高い声がかすかに聞こえてきた。ドアの横にあるパネルに右手首をかざす。パネルが入室の許可を示す緑色に光ってから、スライド式のドアが開いた。すぐに私と目が合ったリンシャちゃんは、固い表情になり俯いてしまった。

「いいところに。さっきリンシャが来てくれてさ、ちょうど今クレスの話をしてたんだよ。ねー」

クロエが顔を覗いて同意を求めると、リンシャちゃんはこくっと頷いたあと、私のほうを向いて笑った。ふっくらした頬が赤くなり、丸い瞳が明るくなる。クロエの言う通り、とても可愛い子だ。見舞い客用の椅子に座っているリンシャちゃんに近づき、屈んで目線を合わせた。

「初めましてリンシャちゃん。クロエの担当ボランティアのクレスです。よろしくね」

リンシャちゃんは私の顔をじっと見ながら数回頷いた。私が手を差し出すと、しっかり握ってくれる。歓迎してくれているようだ。初対面の人には緊張で目も合わせられないと聞いていたから感動だ。

「うん。やっぱり2人は上手くやれるよ」

私たちの様子を見ていたクロエが自信たっぷりに宣言した。クロエのベッドテーブルには、色とりどりの折り紙や刺繍糸が散らばっている。クロエは細かい作業が得意だ。棚に綺麗に収まっているケースの中には、飾っておきたくなるような刺繍やワイヤーアートの作品が入っている。テーブルの上にはリンシャちゃんが作ったと思われる折り紙の作品がいくつかあった。

「リンシャちゃんも手先が器用なんだ」

「初めて会った日にダリヤの花の折り方教えたら、次の日にはダリヤの花束くれたんだよ。しかも、次はバラの花の折り方を教えて欲しいって。ものすごい向上心」

「すごい。私、折り紙苦手なんだ。花なんて折れたことない。リンシャちゃん教えてくれる?」

嬉しそうなリンシャちゃんは、私のために折り紙を取ろうとしてくれたが、長いパジャマの袖が邪魔そうだった。クロエが自然な動きで袖を軽くまくり上げてあげると、リンシャちゃんの手の甲と手首が見えた。子ども特有のふくふくとした腕と手に、似つかわしくない酷い火傷の痕がある。

明らかな虐待の形跡だ。私は息を飲んだが、リンシャちゃんとクロエはまったく気にしていない。2人の明るい声が私の中に生まれかけた毒々しいものを力強く流し、私はなんとか平常心を取り戻せた。

私のための折り紙教室が続く。リンシャちゃんの希望で、途中からミサンガ教室に変わった。天窓からは夕日が差し込む。月の神様がいるなら、この時間を永遠にしてほしい。



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