想起と発想の双子はダージリンの記憶を
「ダージリン、満タンで」
「ここは紅茶専門店でもガソリンスタンドでもないよ」
務めている研究所からの帰り道。見慣れた小屋のようなカフェ兼バーのドアを開ける。
カウンターを拭いていた姉は、こちらを見ずに鋭く言い放ちながら、店の奥に消えた。水曜日の閉店時間ギリギリだからか、貸し切り状態だ。
「はい、ダージリン」星形の焼き菓子が、紅茶の受け皿に1つ乗っている。
「ビスコッティってやつ。試作品。ちょっとスパイシーにしてみた。食べてみて」
紅茶を飲んでから、星型のビスコッティをかじる。ホロホロと崩れる軽い食感。シナモンの香りが、ダージリンの爽やかな香りと調和する。
「うん、いいんじゃない。でもちょっと、食べずらい」
「やっぱ、そうだよね。可愛くしたくてさ。思い付きで星形にしちゃったんだ」
「長方形にしたら?片手で持ちやすいし」
「そうね。妹の意見を採用しましたって、カフェメニューに書いとく」
「やめてよ」
「顔写真も載せておこっか?」
笑いながら、姉は店の閉店準備に戻った。常に黒の短髪、パンツスタイル、お店ではバーテンダー姿の姉は声も低めなので、乙女な嗜好を知らない初対面の人からは男性に間違われやすい。
小さい頃から男っぽい外見だった姉に憧れて、私もかつては男の子のような恰好を好んでいた。兄弟だとすっかり信じ込んだ人に、実は双子の姉妹ですと明かすドッキリが楽しかった。
成長と共に、自然と、男性と間違われるのは姉だけになって。そして、2人でいると恋人同士に間違われるという、さらに面白い状況になり。
あ。
思い出して、鞄を開ける。クリップでしっかり留めた紙束を取り出し、カウンターの机に置いた。
「大事な書類じゃないの?大丈夫?紅茶零したら、シミが」
「大丈夫。論文の下書きの下書きの控えだから。拙者も、試作品に対するご意見を姉上に賜りたく」
脳科学の研究者として、まだまだ実績が乏しい私は、不安定な立場にある。今、実績になる論文を書けなければ、私の希望の道は断たれるだろう。
「承り申したでござる」
「時代劇口調はいいから。あのね、今度の論文で、脳の記憶領域をテーマにしようと思っててさ。お姉は、思い出す瞬間と、思いつく瞬間がさ、似てるなって思ったこと、ない?」
姉は、目を閉じ、腕を組んで考え込みだした。3分経過。姉の目がゆっくり開く。
「今、新メニューが閃く瞬間を思い出してた。そうかもね。言われてみると」
「そうでしょ。ふわって、浮かぶ感じがさ、似てるんだよね。もしかして、人間って生涯の記憶をストックしてる状態で、生まれてくるんじゃないかって。必要な時に、人の脳は思いつくふりして、思い出してるんじゃないかって。こんなテーマ、変かな?やっぱり、うさんくさい?」
「なかなか、面白いよ。脳科学ってのは、まだ得体の知れない脳を研究する学問なんでしょ。なら、むしろ変なほうがいいんじゃないの?私は、あんたの論文、読んでみたいと思う」
しぼみかけていた研究への情熱が、爛々と輝き始めた。姉に背を押されると、いつもそうだ。
「あ」
姉が思い出したように、店の奥に消える。しばらくしてから、戻ってきた。
「ロングアイランドアイスティー。最近知ったカクテル。紅茶好きでしょ。飲ませたくてさ。カクテル言葉は希望。どうぞ」
ヒトが生まれた時点で、完全な記憶を持っているのだとしたら。双子の私と姉は、ほぼ同時に今日の出来事も知ったことになる。
ちょっと感動しながら、紅茶の香りがするカクテルを受け取る。一口飲む。
「うん、すっきりした紅茶の味と香りがいいね。おいし」
「ふっふー。度数高めだから気を付けて。あと、紅茶、一滴も入ってません。ふふふ」
してやったりという顔で笑う姉につられて、笑いが止まらなくなった。
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