見出し画像

ダフネのオルゴール第10話

第三章 愛の夢

「信じられない!」

金切り声が突然カフェテリアに響き渡った。驚いて捨てようとしていた紙コップを落としてしまった。急いで拾い、人だかりができている声の発信源周辺を遠くから覗いた。金髪のポニーテールが少し見えた。同じ女子学生ボランティアのグロリアだ。顔を手で覆って泣いている。

「担当してた患者さんに、介護用の人工知能体だけに看取って欲しいから、君はもう来ないでほしいって言われたらしいよ」

「患者さんって、あの優しそうなお爺さん? えー、意外」

「しかも人工知能体と話したいから、もう君は病室に来ないでくれって言われたって」

「うわー。本当の孫とおじいちゃんみたいだったのにね」

私の近くにいた学生ボランティアの人たちが囁く言葉で、何が起こったのか察した。グロリアは担当の患者さんと最も早く信頼関係を築けたボランティアとして、定期報告会で表彰されていた。患者さんと楽しそうにプラントエリア内を散歩しているグロリアを何度も見かけた。患者さんは穏和なお爺さんで、グロリアにも笑顔を見せていたはず。数週間前から体調が悪化してくると、病室に毎日グロリアを呼んでいた。グロリアも、お爺さんが心配だとずっと言っていたのに。

私もショックだ。自信と期待を打ち砕かれたグロリアの泣き声を聞きながら、ミルクティーが入っていた空のカップをぼんやりと眺めた。

看取りの時の立会人は、患者さん本人によって決められる。医師や看護師以外に数名の立会人が患者さんを囲み、その瞬間を迎えるのだ。立会人を選定する段階に入ったということは、もうお爺さんは長くないのだろう。

「はい!ボランティアの学生たちの休憩時間は過ぎてるはずよ!」

介護士のイーボリックさんが人波をかき分けて近づいてきた。集まっていた学生たちを追い払うと、グロリアをどこかへ連れて行った。静寂が戻っても、彼女の泣き声が耳にべったりと貼りついて離れない。

クロエに選んでもらえるという根拠の無い思い込みが私にもあった。クロエに拒絶される可能性だってあるのだ。グロリアは未来の私かもしれない。重い足を動かして、カップをゴミ箱に捨てた。自分もこのカップのように、あっけなく用済みになるかも。

早足でクロエの病室へと急ぐ。悪い想像だ。そんなことにはならない。でも。たった数歩で私の足は止まった。ポケットからメモ帳を取り出し、今日の午後の予定を確認した。

今日は定期面談の日だ。月に1回、学生ボランティアは担当介護士と面談することになっている。学生がボランティア活動でストレスを抱えすぎていないかどうか調べるための面談で、問題があればボランティア活動は中止になる。私の担当介護士は最初からずっとイーボリックさんだ。今までは何も問題ないと太鼓判を押されてきた。

最近クロエの病状は思わしくない。治験によって深刻な発作が出始めている。そろそろ治験は止めて、穏やかに最期を迎えるための処置を始める段階だと先週、看護師に説明された。近いうちにクロエも立会人を決めるだろう。もしかしたら今日の面談中に、イーボリックさんから伝えられるかもしれない。そうなったら私は、正気でいられるだろうか。

泣きながら家に帰る自分を想像しかけて、また早足で歩き始めた。病室に行ってすぐ、クロエから直接告げられるかもしれない。どうせなら、そうなってしまうといい。


「クレス、最近の気分はどう?」

「気分は良いです」

対面に座るイーボリックさんは私の顔をじっくり見る。私の顔、変なのだろうか。緊張する。この面談室の狭さも緊張に拍車をかけている。イーボリックさんは安心したように息を吐いた。

「良かった。本当に問題無いようね。最近元気なふりをする子が多いから心配だったの。あ、インクが出ない。ごめんなさいね。えーと、ボールペン……」

イーボリックさんが伸ばした腕に当たって、机の上に積まれたファイルの山が崩れ落ちた。反射的に立ち上がってファイル拾いを手伝う。

「ありがとう。書類の整理が追い付かなくてね。今時こんなに紙媒体にこだわる施設はここだけよ」

落ちた書類で机の上に再び山を築いたあと、面談が再開された。いくつか聞き慣れた質問に答えると、イーボリックさんが改まった様子で私に尋ねてきた。

「さぁ、今日の本題に移りましょうか。率直に聞くけど、クレスはクロエさんを看取りたい?看取りの段階に入りつつある患者さんが増えてる。このホスピスの患者さんは家族と疎遠という場合が多いわ。だから打ち解けた学生ボランティアに最期を見届けて欲しがる患者さんも多いの。担当患者さんを看取りたいという子も多いわ。でもね」

イーボリックさんは少し身を乗り出した。

「思い入れのある患者さんと死に別れるということは、本当に辛いことよ。私は何度も体験しているから、今はショックを受け流す方法を知ってる。それでも、いざその場にいると、もう無理だと思うことはあるの。看取りの辛さを覚悟していても、患者さんの死を目の当たりにして心に大きな傷を負ってしまうボランティアの子もいるわ」

私はイーボリックさんのオリーブグリーンの瞳をひたすら見つめていた。これから言うべき言葉を用意しながら。

「私の予想以上にあなたはクロエさんと仲良くなった。2人とも良い方向に変わってる。それは喜ばしい。でも正直、あなたはクロエさんと親しくなりすぎている気がするの。休暇期間にも一度も家に帰らないで、クロエさんと一緒に過ごしていたわね。あなたたちは本当の姉妹のように見える。だからこそ特に心配なの」

イーボリックさんは言葉を止めた。真摯に私を心配してくれている。クロエがいなくなったら私も消えてしまうような気がする。逃げてもいいことなんだろう。でも逃げたら私は後悔するだろう。虚勢を張ってでも、私は宣言すると決めていた。さぁ、息を吸って言おう。

「私は、きっと大丈夫です。クロエを看取ることはずっと前から覚悟していました」

主語を強調しながらゆっくり言う。イーボリックさんを安心させようとしたが、思わずクロエと呼び捨てにしてしまったことに気付いて焦る。

「クロエ、ね」イーボリックさんが不安そうに呟いた。

「親しい人との死別を経験したことはある?」

「ないです」

「…あなたにとってクロエさんはきっと家族同然の存在なんでしょう。愛する家族との死別は、患者さんとの死別とは比較にならないほどの破壊力を持つものよ。並大抵の覚悟は意味を成さない。どんなに強い人でもショックを受けるわ。精神を病んでしまう人もいるの。あなたは本当にクロエさんとの離別に耐えられる?」

イーボリックさんの刺さるような視線と言葉が、私の決意を揺らがせる。しかし、私の口は無意識に動いた。

「耐えられます。私はクロエを看取ります」

妙に大きな声が出てしまって焦る。沈黙が続いたあと、イーボリックさんは穏やかな笑顔に戻った。

「あなたの大声、初めて聞いた。分かりました。あなたをクロエさんの看取り立会人として正式に認めます」

「え?」

「クロエさんはね、あなたにぜひ立ち会って欲しいって随分前から言ってたの。でも私と同じことを心配してた。だから、あなたの覚悟と意思を確認させてもらったの」

呆然としている私の両肩を、イーボリックさんは軽く叩いた。

「お節介だったわね、ごめんなさい。クロエさんは私とカンザキさんとアリサも立会人に指名したの。迷って辛い時は、いつでも何でも私に言いなさい。ちゃんと受け止めるからね。じゃあ、また来月に」

「あ、ありがとうございます。失礼します」

イーボリックさんに頼もしい言葉をかけられながら、面会室を出た。本当は耐えられる自信なんて、あるわけなかった。しかし足を踏み進めるたびに、踊り出したいような、晴れやかな気持ちが湧いてくる。クロエに選ばれた。それだけで私はたまらなく嬉しい。



●ダフネのオルゴール第11話

●ダフネのオルゴール第9話

●ダフネのオルゴール第1話


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。