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ダフネのオルゴール第11話

クロエの病室の隅に浮いている半透明のモニターには、ニュースが映っている。ムーンヴィレッジで最近起きた事件を深刻そうに伝える声が、病室の今日のBGMだ。クロエとぼんやりニュースを観ていると、病室の扉が開いた。リンシャちゃんが人工知能体のアリサと手を繋ぎながら嬉しそうに入ってくる。

「はい、到着~。クレスさん、しばらく見ていてもらえますか?何かあったらネームプレートに付いてる通信機で呼んでくださいね。では、よろしくお願いします」

「うん。お疲れさまアリサ」

アリサの手から離れると、リンシャちゃんはすぐにクロエのベッドに座った。足をぶらぶらさせながら、頭を撫でるクロエの手に目を細めた。

午後の自由時間になると、リンシャちゃんはクロエの病室によく来る。今は病状が安定しているようで顔色も良い。私の視線に気づいたリンシャちゃんは、ちょっと恥ずかしそうにはにかんだ。

「今日は何して遊びたい?折り紙?お絵かき?あ、ミサンガ編みの続きしようか」

こくっと頷いてくれたので、サイドテーブルの引き出しから色とりどりの刺繍糸を取り出した。ハサミやセロハンテープなど、よく使う道具をまとめた箱も引っ張り出す。

「……クレス、ありがと」

小さな声にはっとして振り返る。俯いているリンシャちゃんを思わず抱き締めた。

「こっちこそ、ありがとう。わ~感動しちゃうよ」

初めてリンシャちゃんが名前を呼んでくれた。安心できると感じてもらえたのだ。喜びで顔がにやついてしまう。

「ふふふ、やっぱりリンシャは可愛いでしょ?」

「うん。本当に。妹にしちゃいたいくらい」

「じゃあ三姉妹ってことにしよう。私が長女でクレスが次女で、リンシャは三女ね」

「いいね、それ。三姉妹かぁ」

当たり前にそばにいる私たちは、もう本当に家族なのかもしれない。三姉妹として暮らす私たちの想像に浸っていると、モニターから聞こえるアナウンサーの声が急に大きくなって我に返った。

「また爆弾強盗……」「先月もあったね」

腹部に爆弾を巻き付けて役所に立てこもっていた男が、今さっき警察隊に射殺された、とアナウンサーが早口で説明している。先月の爆弾テロの模倣犯の可能性が高いとも。クロエは眉をひそめながら静かにモニターを見ている。死を連想させる内容のニュースを避ける患者さんは多い。しかしクロエは特に避けようとはしない。

「……火薬はムーンヴィレッジ政府が厳しく管理してるはずだよね。危険な薬品も手に入れるのは難しいから爆弾を作るなんて無理だし。地球から爆弾を持ってこようとしても、ムーンヴィレッジの入国チェックで絶対引っ掛かるだろうし。どうやって爆弾なんて用意したんだろう」
ずっと気になってきた疑問が自然と口から出た。

「ルールを破れば簡単にできちゃうんじゃない?もしかしたら、こっちのルールを決める側に本当の悪党がいるのかもよ。ルールの抜け道を作って、同類の人間を利用して、爆弾を作らせてる。使わせても、いるのかも」

リンシャちゃんから白と黄色の糸を受け取り、ハサミで適度な長さに切っていく。セロハンテープで糸の端をベッドテーブルに固定すると、リンシャちゃんはミサンガを編み始めた。昨日教えた編み方を迷いなく実践していく様子に驚いた。もう教えることはなさそうだ。クロエはリンシャちゃんの頭を撫でて微笑んでから、また顔を曇らせた。

「地球にはムーンヴィレッジを混乱させて、あわよくば乗っ取りたいと思ってる国がたくさんある。そういう国から送り込まれた人たちが、爆弾作りに関わってるのかもね」

「……クーデターとかテロとかを起こすために?」

「もし本当にそうだったら、そうかもね。まだ犠牲者は出てないけど、不穏な爆弾事件が立て続けに起きてる。恐怖と不安でムーンヴィレッジの住民たちを操って、秩序を乱したところで国家転覆を狙って……っていう算段なのかも」

「怖いね……ムーンヴィレッジの地下資源が目的なのかな」

「ムーンヴィレッジへの移民が増えてる国はどんどん貧しくなってる。地下資源を採掘する権利は喉から手が出るほど欲しいだろうね。実際に政治の世界では採掘権を取り合う争いが絶えないみたいだし、国民を横取りされたってムーンヴィレッジに噛みつく国も多い。いつ大きな衝突が起きてもおかしくないだろうね」

私は政治や経済のことがよく分からない。でもなにか恐ろしいことが起こりそうな予感はする。ここはやはり本物の楽園ではないのだ。

「だからこそ、今をしっかり生きなきゃ。わっ!リンシャもう作っちゃったの?もうミサンガ職人だね。私も同じの作ろ。水色と白にしよっかな~」

あっという間に完成した螺旋模様のミサンガを見せてくれるリンシャちゃんは、満足そうに笑っている。クロエの言う通りだ。どんなに不安でも、今の一瞬を逃すわけにはいかない。

「じゃあ私は黄緑と白にしよっと」

「ふふ、お揃いの螺旋模様のミサンガになるねぇ。ミサンガ三姉妹だ」

私たちの笑い声とBGMが重なっている。


オルゴールの少し固いネジを慎重に巻く。星明りだけで照らされている病室内は静かだ。最近クロエは夜になると、ぐったりした様子でベッドに身体を預けることが多くなった。発声も辛い時があるようで、ほとんど沈黙しているクロエに私が一方的に話している夜もある。

無理に会話をさせて疲れさせてしまうのなら、私は病室にいないほうがいいのでは。そう思ってしまうが、クロエは夜もできるだけ長く一緒にいてほしいと私を引き留める。クロエの意思を尊重したい。しかし安静にさせて、少しでも命の期限を引き伸ばしたい。そんな葛藤が常に私を苛んでいる。

「コルプスクラスの1年生だった時ね、特別課外授業で美術館に行ったの。人体の造形美と地球の海をテーマにした企画展がやっててね、有名な彫刻をいくつも見て回ったんだ。サモトラケのニケの像とか、すっごくリアルな人魚の像とか綺麗に展示されてて感動したよ。地球の海に潜って熱帯魚とかイワシの大群を眺める仮想現実体験コーナーもあってね。帰りのバスの中で、本当に地球の海を泳いでみたいねって友達と話が盛り上がった」

ネジを巻き終わったオルゴールをベッドテーブルに置いた。愛の夢の冒頭の旋律が、静かな海のように流れ始めた。

「そういえば今日、海の夢を見た」クロエが不意にささやいた。

「どんな海だった?」

「夕方の砂浜に独りで立っててね、生暖かい潮風が吹いてた。海は一面オペラ色なの。オペラ色って知ってる?ピンクに近い赤紫色。ヤドカリとかカニとかいて、潮の香りもすごいリアルだったんだ。地球の海なんて一度も行ったことないのに」

「想像上の海か。不思議だね」

「クレスは行ったことある?」

「小さい頃に両親に連れられて何回か。でも生臭い匂いと砂浜が熱かったことしか記憶に残ってない」

2人で笑う。クロエは笑ったあと、深呼吸した。

「……一緒に海に行ってみたいね。リンシャちゃんもカンザキさんもイーボリックさんもアリサも一緒に」

「行きたいね。綺麗な島の海に行こう。はしゃぎ回って、皆で南国のフルーツを食べて……でも地球かぁ……地球には、戻りたくないなぁ……」

また無神経なことを言ってしまった。押し黙る。月には静かの海や春の湖、霧の入り江など水に関する地名がたくさんあるが、実際の月の地表はどこも岩だらけだ。ムーンヴィレッジの外れにだけ人工の湖がある。水の確保のために、月の内部の氷河を掘削した時にできた穴を湖にしたものだ。生き物たちの宝庫のような海は、地球にしかない。

瞼が下がってきたクロエの表情からは、何の感情も伝わってこない。急にクロエが遠くに離れていってしまうような気がして、クロエの胴体にゆっくり抱きついた。クロエの掛布団を少しずらして、右耳をクロエの胸部にぴったりとつける。目をきつく閉じた。クロエの心臓の音を、鼓膜に刻み込みたい。

私の頭をクロエの手が撫でていることに気付くと、涙が出てきて止まらなくなった。涙がクロエのパジャマに染みてしまう。分っていても止めることができなかった。声を完全に押し込めて、泣いていないふりをする。オルゴールの音色はもう聞こえなくなっていた。

その日の夜、私も海の夢を見た。小さいボートを2人で懸命に漕いで、海の真ん中に辿り着いて。空も海もオペラ色に染まり、上下左右の感覚も怪しくなる光景は壮観だった。両足をかかえながら座っているクロエは、空に指を差して微笑んでいる。その姿は寒気がするほど美しかった。



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