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ダフネのオルゴール第12話

腫れている目元を気にしながら、乗り慣れたエレベーターに向かう。扉が開いた瞬間、モスグリーンの大きな塊が現れて叫んでしまった。よく見れば植物のようだ。申し訳なさそうなカンザキさんの顔が、塊の横から出てきた。

「クレスさんか、驚かせてごめんね。ちょっと月桂樹の葉を取り過ぎたんだ。おはよう」

「カンザキさん、おはようございます。こっちこそすみません」

ほっとしてエレベーターに乗り、目指す階数の数字を宣言する。月桂樹の枝葉の塊をちらりと見てみれば、薄黄色の小さい花がいくつか咲いていた。

「研究用ですか?」

「いいや、研究はもう一区切りついたんだけどね。プラントエリアで余ってたから、個人的に貰ってきたんだ。葉は入浴剤とか虫除けとかに使えるんだよ」

「そうなんですか。料理にしか使えないと思ってた」しげしげと月桂樹の葉を観察する。カンザキさんは嬉しそうだ。

「ホオノキの果物は残念だったけど、もうすぐ他の植物の実が生りそうなんだ。またクロエさんとプラントエリアにおいで」

3人で食べようと約束していたホオノキの実は、予想以上に早く熟れ過ぎて食べられなかった。クロエと私も残念がったが、一番落胆していたのはカンザキさん。研究者として味も知っておきたいのだろう。個人的に、かもしれないが。

「クロエに伝えておきます。きっとすぐ行きたがりますよ」

言い終えると同時に、エレベーターが大きく揺れた。よろけたカンザキさんの身体を支える。

「ああ、ありがとう。ごめんね。最近エレベーターの電力供給元が変わったから、不具合があるのかもね。早く直してほしいよ」

「確かホスピスのメインシステムと電力供給元が一緒だとセキュリティが弱くなるから、エレベーターの電力供給元だけ別にしたんですよね。イーボリックさんが言ってました」

「そうそう。まぁ、電動の設備のネットワーク忍び込んで、メインシステムを乗っ取るサイバーテロが増えてるから仕方ないけど。エレベーターは快適に乗れるようにしてほしいね。あ、そうだ。珍しい月桂樹の花だよ。僕はもう見慣れたからあげる。クロエさんやリンシャちゃんにも見せてあげて」

カンザキさんは抱えている月桂樹の塊に手を入れた。ごそごそと動かしてから、花が付いている数本の枝を手渡してくる。その間にエレベーターが着いてしまった。慌ただしく降りていくカンザキさんにお礼を言う。月桂樹の枝の束に鼻を近づけると、爽やかな甘い香りがした。

病室に入ってすぐ、カンザキさんから貰ったばかりの月桂樹の花を見せた。上体を起こしていたクロエは枝を抱きしめて目を細めているが、いつもより少し顔が赤い。おでこに触れると熱かった。微熱だろうが、念のため看護師を呼んだほうがいいだろう。ネームプレートについている通信機に口を近づけると、クロエが私の腕を掴んだ。

「大したことないから、いいよ」

「放っておいたら大したことになっちゃうでしょ」

クロエの弱弱しい抵抗を振り切って連絡しようとした瞬間、警報が鳴り響いた。クロエと一瞬目を合わせた後、私は急いで病室の外に出た。多くの職員が病室から飛び出し、私と同じ不安そうな表情をしていた。

「緊急事態です。各職員は速やかに担当患者を」

緊迫感のある院内放送が途中で途切れ、鋭い爆発音が聞こえてきた。各所で悲鳴が上がり、フロア内は一気にパニック状態に陥った。弾かれたように病室に戻ると、呆然としたクロエが部屋の隅のモニターを指差している。「ホルスホスピスに爆弾テロ予告」という大きな文字がモニターに映っていた。


扉の外から警報音と叫び声が聞こえてくる。どんどん身体が氷のように冷たく固まっていった。

「クレス、大丈夫。こっち見て」

振り返るとクロエが両手で狐の形を作っていた。昨日リンシャちゃんと影絵で遊んだ時によくしていた形。氷のような手先に感覚が戻った。すぐに通信機能付きネームプレートのマイクに向かって助けを呼ぶ。何度も大声で呼ぶが、まったく反応がない。

「なんで誰も応えないの……どうしよう……どうしたら……」

「クレス、とにかく避難の準備をしよう。エレベーターの近くまで行けたらきっと大丈夫だから。必要なものを言うから、このフロアのナースステーションまで取りに行ってもらえる?」

「……うん」

「今の私が長距離を安全に移動するには、静脈内注射する強い鎮痛薬と携帯酸素ボンベ、顔に装着する医療用チューブが必要なんだ。もし移動中に私が意識を失くしたら、クレスまで危なくなる。だからどうしても要るんだ。怖いよね。危険なこと頼んでごめん。でも私じゃ早く動けない」

「……怖いけど、行くよ。行かなくちゃ」

「……本当にありがとうクレス。ちょっと待って。薬の番号とかチューブのサイズとかメモするから」

制服のポケットに入れているメモ帳とペンを渡すと、クロエはあっという間に必要なものリストを書き終えた。返されたメモ帳とペンをつかみ、駆け出す。

「気をつけて」扉を閉める直前に聞こえたクロエの小さな声に、頷いた。

エレベーターを目指す人たちの間を縫うように走る。進めば進むほど人気は無くなり、静かになっていく。少し息が切れてきた時、やっとナースステーションに着いた。開け放たれている扉の中は無人で、様々な薬や医療器具が散乱していた。

メモ帳を取り出し、戸棚や引き出しを手当たり次第に開けていく。なかなか見つからない。時間が私を焦らせる。高い位置にある戸棚を開けようと右腕を伸ばした時、ネームプレートが無いことに気付いた。さっきの人混みの中で落としてしまったのだろう。大切な連絡手段を失くしてしまうとは。焦りが自分への苛立ちに変わっていく。奥歯をぐっと噛みしめてから、引き出しを開けて中身を床にぶちまけた。

しゃがみ込んで探していると、真空パックされている注射器とチューブを見つけた。すぐに立ち上がり、まだ探していない戸棚に飛びついた。奥のほうに必要な鎮痛薬があった。扉が施錠されていて開かない。そばにあったスツールを打ち付ける。ガラスが割れてできた隙間に、慎重に片腕を入れた。ぷつり、と腕の内側に小さなガラス片が刺さったが、腕を伸ばし続けた。薬を掴み、慎重に腕を引き抜く。あとは酸素ボンベだ。もう長くクロエを待たせてしまっている。早くしなければ。

リストにあるものすべてを抱えて病室に戻ると、クロエはベッド横に置いておいた車椅子にぐったりと座っていた。苦しそうに荒い息をしている。私の手を少しでも煩わせないために自力で移動したのだろう。介助無しで車椅子に移ることも、今のクロエには苦痛を伴うはずだ。荷物をベッドの上に置いて、少しでも呼吸しやすい体勢になるようにクロエの身体を支える。しかし呼吸がなかなか整わない。

「少し休もうクロエ」

「……駄目だよ。爆弾が、きっとまだある。早く、逃げないと」

肩で息をするクロエは、ベッドの上のチューブと携帯酸素ボンベを指さした。チューブとボンベを手に取り、いつもクロエに装着していた看護師の手つきを思い出しながらボンベとチューブを繋げていく。手が止まると、すぐにクロエが手先だけで指示してくれた。最後にクロエの顔にチューブを装着させる。扉の外から混乱する人たちの声や足音、ストレッチャーの車輪の音が聞こえてきた。

「ありがとう。はぁ、だいぶ楽になった。次は注射だね」

注射器が密閉されている袋を掴んだ。開けようとするが、手が震えて開けられない。落としてしまった、と思ったらクロエがキャッチした。

「ご、ごめん」

「この状況じゃ緊張するよ。気にしない気にしない」

スムーズに袋を開けるクロエに、申し訳ない気持ちになってきた。非常時は私がクロエを守らなくてはいけないのに。明らかにクロエのほうが落ち着いている。やっぱり私は臆病者だ。

「クレス、またお願いしちゃっていい?自力では上手く注射できない。クレス、やってくれない?ちゃんと私が指示するから」

本を取ってくれと頼むような気軽さで話しかけてくるクロエの言葉が、すぐには理解できなかった。

「……注射を、私が?」

「うん。今の私じゃ手が震えて無理だと思うから。クレスなら大丈夫だよ。鎮痛薬たくさん持ってきてくれたから、多少失敗しても平気。ね?お願い」

「む、無理だよ。私、注射なんてしたことない」

「できるよ、クレスは、できる」

大きく深呼吸しながら言い切ったクロエの顔には、一切の迷いが無かった。ゆっくり頷いて、自分を鼓舞する。手先の震えが少し収まった。

「うん。まずは薬を充填して……」

クロエの指示通りに手を動かす。ついにクロエの大理石のような腕に針を近づけた。針の先がとてつもなく鋭いように感じて、私の手は大きく震え始めた。「できない」と言おうとして顔を上げると、クロエの笑顔が間近にあった。

自信に満ちた瞳が、私の恐怖と焦りを鎮めていく。手先に意識を集中させて、息を止めて注射針を刺した。時間をかけて内筒を押していく。薬液は順調に減っていった。慎重に注射針を引き抜く。空になった注射器とクロエの嬉しそうな顔を見比べて、やっと息ができた。



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