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「運動ができない」を考える(1)~トラウマ


長い間、エッセイ的なものを書いていなかったのですが、取り合えず書いてみようと思いました。
テーマは「運動」。私は、病気をしていて、リハビリをしている人間なので、自分にとって結構大事なテーマなのです。
多くの人が「運動は大事」とわかっているけれど「運動不足」の人が多い。
私も、その一人です。決して、健康的な検査数値とはいえません。
でも、なぜ「わかっているけれど、難しい」のか。
運動もスポーツも私は、素人ですけれど、自分が経験したことを思い出しながら考えてみようと思いました。

一つには、子どもの頃から「運動は辛く悲しくみじめなものだ」という経験をたくさん積んでしまったということがあります。

私は、子どもの頃から、体の動きに対して記憶や理解が、非常に悪い人間でした。平たく言えば不器用。
授業中、集団で同じ体操をしているのに一人だけ間違えたりする。
そうすると笑われる。
先生からも注意される。そうすると、ますます緊張してできなくなる。

それから、チームスポーツをすると、みんなに迷惑がかかる。
チームスポーツは「点数」というものがあるので、誰でも負ければ悔しいです。子どもなら、その気持ちは露骨になります。
そうすると、自分が悔しいだけではなくて、同じチームの人も「なんでお前は!」という気持ちを向けてくるのは自然なことです。
こうやって「運動やスポーツは、自分にとって悲しいもの」という学習が繰り返し行われてしまいました。

今の小学校、中学校の運動教育がどうなっているのか、私は知らないのですが、こんなことを考えました。

・苦手な子どもが「競技スポーツ」を経験しつつ――経験をするのはいいことだと思うのです。やってみたら、その競技は結構できたということもあると思うので――逆に「苦手」でも「運動自体が悲しい」ものだというふうにならないためには、どうしたらいいのだろう、という問題。
運動に関しては、ほかの分野の教育よりも、この問題の程度が酷く出るのではないか。

・運動が苦手な子どもが、体を動かすことができる運動の機会は作れないのか。運動は決して悲しいものじゃなくて
「体を動かすことは、体調や心の状態を良くするものだ」
とわかるようにするには、どうしたらいいのか。
実際、大人になって、いろんなことを経験して、運動は悲しいものではなく、体や心の状態を良くするものだとわかったので。

そんなことを考えました。

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