スルーする力が下がるのはなぜ?
■
こんにちは。今日は、ハロウィンですね。散歩したら、ジャックオーランタンのカボチャがたくさん飾ってある家がありました。
私は、仮装する元気もないので、普通に過ごしています。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
■
病気で憔悴していったとき「自分にとってよくない言葉や情報」をスルーする力も、弱ってしまったことがあって、それは、なんでだろうって思いました。
そのことで、考えたことがあるので、頭の整理と、忘れないようにするために、ちょっと書かせていただきます。
ニュースでもSNSでも、悲惨だったり悪質だったりする事件や事故の言葉や情報が心に突き刺さってしまっていました。
そういうものが、辛いのは普通のことはずなのですが、度を越していました。
頭はガンガンするし、体がビリビリ反応している感じ。
事件や事故だけじゃなくて、乱暴で悪意のあるSNSの言葉なども、過剰に目に止まってしまう。
そういうことがありました。
広域水害の時などは、すべてのメディアが聞けなくなった。
家族から言われるつまらないことも、スルーできなくなった。
そういうとき、友人からアドバイスをもらったのです。
「右の耳から聞いて、左の耳から抜けていくようにするんだ」と。
「気の持ちよう」
言ってることはわかるけど、でも、できない。
■
体調が悪ければ「注意力が落ちて何かを見落とす」というのはわかりやすいのですが「情報をスルーできなくなる」というのは、どういうことなのか。
たぶん、いくつか要因があるとは思います。
一つは、人間は危機的状況だと情報をたくさん拾ってしまうのだそうです。命が危ない時に、情報をたくさん拾い過ぎて、風景がゆっくり見えたりというようなことがありますね。
それから、異常な緊張による疲れだということ。それで、少しでも危険を回避しなければならないから、なんでも悪いことに関連づけるよう即座に、被害妄想的に脳が反応してしまう。そういうこともあるかもしれません。
■
それと、もう一つ。「前後関係を見て大意をつかむ力が弱っている」というのもあるのではないかと感じたのです。
人間は五感全ての情報を意識しているわけではありません。
例えば、壁の時計を確認しようとしたら、その視線を動かす途中にある、窓だったり、本棚だったり、壁紙だったりというものは、ちゃんと見ないで、時計に大部分の意識を向けて、見る。
なんとなく全体を見て感じてはいるんだけど「どこに意識を向けるか」言い換えると「今の自分には何が大事なのか」を理解して、凄いスピードで意識を集中する対象と、集中する必要のない対象を見分けて区別している。
だから、頭が情報でパンクしない生活ができる。
スルーできなくなる状態は、これも、ダメになっているんじゃないかと思いました。
フィルターをかけて主要な情報だけに絞る全自動機能がダメになっていて、注意を向けなくていい情報まで拾ってしまう。
「注意すること」だけじゃなくて、「注意しないこと」も滑らかにコントロールできることが重要で、それがダメになるのではないか。
それと、先ほど言った要因、異常な緊張による疲労は、危機回避本能を暴走させて、いろいろ怪しいもの(自分が不快なもの)を拾う注意力を上げてしまうのではないか。
これらの複合で「スルーできなくなる」ということが起きるのではないかと思いました。
■
今、特に……SNSを見るとき、何のテーマで流れてきたのかとか、アカウント名の雰囲気、投稿の最初の行、写真や画像などを、ざっと見ただけで、内容を細かく読まないで、これは読んでもいいか、読まない方がいいか、だいぶ、それがわかる力が復活してきました。
病気になる前は、全然、こんなこと、適当にできていたことでした。
■
認知力、思考力が落ちてしまうと「これは自分にとって好ましいものか」「自分が不快なものか」ということが、ぱっと見てもわからず、解読するために必死に読みとらなければいけない。
言葉だけじゃなくて、日々、人やモノにぶつからないようにとか、生活を営んでいく上で必要なことを、物凄く必死にならないと頭で処理できないので、つまらない情報も一生懸命受け取ろうとしてしまって、エネルギーを失う。
あるいは……
もう、全部、情報を遮断してしまうとか、強烈な情報で埋め尽くしてしまうとか。
(動画をずっと見続けるとか、ゲームをやり続けるとか、あるいは……)
■
それと抽象的な言い方になりますが、
たぶん、心の中心みたいなものが、しっかりしていると、それに沿うものは拾うし、沿わないものは捨てる。
心の中心が、崩れかけていると、何を拾ったらいいのか、拾わなくていいのか。
わけがわからなくなる。だから、極端な不安を感じ、いろいろなものが突き刺さる。
たぶん、その世界に近い所に行っていた気がします。
とても怖かった。
■
言われて辛かったことがあります。
「いろんなことが気になるくらいだったら、大したことはない」
とんでもない。
「拾ってはいけないとわかっているのに、情報をスルーできない」のも、凄く辛くて危険な経験でした。
■
「大雑把に見て雰囲気をつかんで、つまらないものだったら、スルーする」
これも、相当、健康じゃないとできない。
そういう気がします。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?