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【Podcast書く人の気まぐれラヂオ】#42 昭和から平成を彩った詩人スペシャル④

はじめに

こんにちは。長尾早苗です。

ドイツ語の歌曲のコンサートに行った日に録音しました!


season1、最終回!

来週から模様替えしてお送りするPodcast「書く人の気まぐれラヂオ」

年度末みなさまおつかれさまです!

年度初めも大変だと思いますが……どうぞゆっくり、疲れの出ないようお過ごしくださいね。

今回は「俳句」「短歌」という詩のかたちをおもに朗読してみました。五七五やみそひともじで紡がれる世界を、どうぞ楽しんでみてくださいね。


◆横光利一

1898-1947 大正-昭和時代の小説家。
明治31年3月17日生まれ。大正13年川端康成らと「文芸時代」を創刊,新感覚派の旗手となる。のち心理主義に転じた。昭和10年純文学と通俗小説の融合をとなえた「純粋小説論」を発表。11年の渡欧をきっかけに長編「旅愁」にとりかかったが,昭和22年12月30日未完のまま死去。50歳。福島県出身。早大中退。本名は利一(としかず)。作品はほかに「日輪」「上海」「機械」など。
【格言など】純文学にして通俗小説,このこと以外に,文芸復興は絶対に有り得ない(「純粋小説論」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

横光利一といえば小説を上げる方が多いように思います。それでも、彼の遺した俳句を読んでいると、横光利一がどういう視点でものをみていたのか、風景を見ていたのかを知ることが少しできたように思います。
誰の目にも同じように映らない景色。俳句を作るとはその中からことばを選んで、感覚を研ぎ澄ますことだと思っています。

気に入った俳句を三句朗読しています。

白鳥の巣は花に満つ春の森 横光
春暁や罪ほの暗く胃に残る 横光
天井に潮騒映る昼寝かな 横光(二月の上海にて)

◆石川淳

1899-1987 昭和時代の小説家。
明治32年3月7日生まれ。昭和12年「普賢(ふげん)」で芥川賞。「マルスの歌」が反戦的とされ発禁処分をうけ,江戸文学の世界にこもる。戦後は「黄金伝説」「焼跡のイエス」で新戯作(げさく)派とよばれ,ついで「紫苑(しおん)物語」「狂風記」と旺盛な創作力でかきついだ。芸術院会員。昭和62年12月29日死去。88歳。東京出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。号は夷斎(いさい)。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

石川淳もまた、小説家として有名な側面がありつつ。今回は『酔ひどれ歌仙』(青土社)から、彼の発句を選んでみました。
歌仙とは、一同に会した人々が捌きと呼ばれるリーダーのもと、五七五と七七を春から新年まで連ねて繋げて行く遊びです。「裏」に入ったらお菓子を食べたりお酒を飲んだりしてもいいことになっているため、食べたり飲んだりがやがやと楽しくできる知的な遊びでもあります。

市に五虎の巻から、

市に五虎いでや茶番の涼しさよ 夷斎

旅衣の巻 

旅衣愁そぞろに霞むにや 夷斎

◆種田山頭火

1882-1940 大正-昭和時代前期の俳人。
明治15年12月3日生まれ。山口県の大地主の長男。荻原井泉水(せいせんすい)に師事し,「層雲」に投句。大正14年熊本の報恩寺で出家,放浪の托鉢生活のなかで独特な自由律の俳句をつくる。のち山口県小郡(おごおり)に其中庵(ごちゅうあん)をむすぶが,遍歴をやめず昭和15年10月11日松山市一草庵で死去。59歳。早大中退。本名は正一。別号に田螺公。法名は耕畝。句集に「草木塔(そうもくとう)」など。
【格言など】歩くこと―自分の足で。作ること―自分の句を(「其中日記」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

種田山頭火も生きにくい人だったのではないかなと思います。
でも今でも読み継がれているということが素晴らしいですね。斬新で自由。彼の自由律俳句は、何物にもとらわれないからこそ、誰もわからない彼の闇などが現れ出てくる気がします。

絵本見てある子もねむげ木蓮ほろろ散る 山頭火

沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ 山頭火

お日様かたむきとんぼの眼玉がひかるぞい 山頭火

◆与謝野晶子

1878-1942 明治-昭和時代前期の歌人。
明治11年12月7日生まれ。鳳(ほう)秀太郎の妹。与謝野鉄幹主宰の東京新詩社社友となり,「明星」に短歌を発表。明治34年第1歌集「みだれ髪」に奔放な愛の情熱をうたって反響をよぶ。同年鉄幹と結婚し,ともに浪漫主義詩歌運動を推進するかたわら,社会問題の評論,文化学院の創立など多方面に活躍した。長詩「君死にたまふことなかれ」は反戦詩として知られる。昭和17年5月29日死去。65歳。大阪出身。堺(さかい)女学校卒。旧姓は鳳。本名はしょう。現代語訳に「新新訳源氏物語」。
【格言など】なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜(ゆふづくよ)かな(「みだれ髪」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

与謝野晶子も教科書で出会った歌人です。
彼女の訳した源氏物語の良さがわかるにはそれから数年を要しましたが、彼女の訴えたいことが今になってはとてもわかると思ってしまうことも。
そして、彼女のように生きたら少し生きにくいのかなと思うこともあります。激情、激昂を自らのうちに秘めながら生きた歌人、晶子の激しい恋のうた三首を読んでいます。

今はゆかむさらばと云ひし夜の神の御裾さはりいてわが髪ぬれぬ 晶子

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 晶子

文字ほそく君が歌ひとつ染めつけぬ玉虫ひめし小筥の蓋に 晶子

◆小野十三郎

1903-1996 大正-平成時代の詩人。
明治36年7月27日生まれ。詩誌「赤と黒」に参加し,萩原恭次郎,壺井繁治らを知る。大正15年「半分開いた窓」を刊行,昭和5年詩誌「弾道」を創刊。8年郷里の大阪にかえり,戦後,「詩論」で短歌的叙情の否定を提唱。50年「拒絶の木」で読売文学賞。帝塚山学院短大教授,大阪文学学校校長をつとめた。平成8年10月8日死去。93歳。東洋大中退。本名は藤三郎。
【格言など】「批評」の要素に於て妥協した抒情に真実の歌がこもる筈がない(「詩論」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

小野十三郎は最近知った詩人です。
彼の詩を読んでみよう! と思うことは、この企画がなければできなかったことかもしれません。
年度末で慌ただしく、誰の持つ影にも触れたくなかった時に、そっと触れてみたらやさしい影だったのが小野十三郎です。物事を「思う」のではなく「見る」こと。それは詩にも俳句にも言えることで、観察眼がすぐれていないとこの詩は書けないように思いました。


放送では「やくそく」という詩を読んでいます。

終わりに

わたしの普段の事務仕事はとても英語的です。

日本語を母語として使っていますが、語学について考えることがあったため、英語を会話として学ぶラジオを聞き続けていました。

ラジオを聞き続けてしまったため、一人でいるとき気がつかなかったのですが、変に耳がよくなっています。

英語をしゃべることは来年度からやってみよう。(毎年言ってる)

英語を聞いていると、とても理屈っぽいです。雰囲気で伝えようとしない。

文章にしてみるとアルファベットと数字だけの組み合わせですので、英語の文章を表現しようとすると語順と配置に重きを置くというのがよくわかります。理由をきちんと述べますので、丁寧に伝えようとするとどうしても英語的になります。

さらに前はドイツ語も好きでした。とても簡潔でいさぎよいことばなので、怒っているように聞こえるのですが、さっぱりしたい日に「野ばら」を歌うとリズムに慣れてきます。(そちらも歌から入りました)

ゲルマン語系のことばが好きなんでしょうか。ことばを扱う・ことばの音を作るのが仕事だから好きなのかもしれないです。

俳句・短歌という詩形はかなり音数制限や文字数制限が強いので、どこかしら簡潔なことばの裏側を考えてしまいますね。

夕方からあるマンガの読書会でした。

お仕事を以前ご一緒した、赤坂にある書店、双子のライオン堂の店主・竹田信弥さんの『読書会の教室』(晶文社)を読んでいて本当に助かりました。

心構えなどを実際の経験から語られています、当日の朝は緊張していましたが、よい語り合いの時間になってよかったです。


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