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【詩人の読書記録日記】栞の代わりに 4月17日~4月23日

はじめに

こんにちは。長尾早苗です。先週は読書記録日記をお休みしてしまい、すみません!
朗読会の準備・フルタイムでの普段の仕事に慣れるという作業に追われておりました。読書は今週から再開します。早朝から8時間働き、週休二日制にいたしました。ご連絡はいつでもどうぞ!
どうぞよろしくお願いいたします。

4月17日

イースター! 小さなころからお世話になっているみなさんとオンラインで祝いました。
夕方からは千葉までオープンマイク参戦! やっぱり知人がいると頼もしい。
今年度最初のオープンマイクとなりました。電車の中で詩を作ったり。新作1編。また週末のお出かけが増えそうです。
千葉まで行ったので、電車の中で、先日買った詩集を読んでいました。
イベントの様子はこちらから!


・平川綾真智『h-moll』思潮社

現代詩手帖で紹介されていて、本当に気になっていました。
買ってから何度も読んでいる詩集です。
レクイエムや聖書をインターテクストにしながら、記号言語というか、ブログなどのネットの言語を「詩的言語」にして詩に織り交ぜていく。ダンディズムと身体感覚まで表されていて、文字から感じる声の多重性が面白かったです!
平川さんを最初に知ったのは詩誌『数をそろえる』でした。それから何年かたって、詩誌『みなみのかぜ』のメンバーとしてポエケットで2019年にお会いして、2020年になって平川さんが「詩人・あーちゃん」としてイケボアイドルデビューし……とものすごいことになっていまして、本当に活躍されている方です。
もちろんテクストとしての詩も素敵です。
「しんじつ君日和」は熊本の震災、そして昨今の流行り病の情勢の中書かれていて、二段組になっているところも印象的でした。
全体的にページの紙質もよく、すべてページは灰色でフォントはゴシック体。詩集としては画期的なんじゃないかと思います。
普段から配信の音声は聞いていたため、とてもいい声をお持ちの方だとずっと思っていて、配信がとても上手だなあと本当に思っています。そして、声がとてもよいんです。(2回言ってしまうほど……)ナレーターさんのようでした。
自分の問題提起をあらゆる角度から見つめ、たくさんの知識を織り交ぜながら書いていく。わたしも日々勉強だ……!!

4月18日

昨日・一昨日があまりにも楽しくて、そしてよい週末を過ごせたので、仕事も快調に進みました。新作1編。
体も軽くなって、なんだか週末に元気づけられているみたいです。また週末までがんばります。恩師たちとメールしたりなど。

・もり『きみにもらったルマンドが ポケットの中で粉々になっても』

昨日のオープンマイクイベントのゲスト、もりさん。詩集が発売されていたので読んでみました!
朗読詩人のみなさんは比較的に長く、そして音楽性を持ったことばを使われるのだなとすごく昨日のリーディングを聞いて思ったんです。
テキストでももちろん伝わるのだけど、これはパフォーマンスも見たいなあと思ったりします。昨日行ってよかった!
若い男性の悲哀・喜び、それでも歩き出していくという勇気、そして幽かな小さな声に耳を傾ける語り手の姿勢が全面に現れていました。
もりさんは体全体を使って朗読するのがスタイルなのかなと思ったりします。詩の中にいくつも、これは体を使いたくなることばだ! とハッとさせられたことばがありました。
パフォーマンス含め、テキストとしてももりさんの魅力が伝わってきます。

・オーシャン・ヴォン 木原善彦訳『地上で僕らはつかの間きらめく』新潮社

ずーっと読みたかったオーシャンの初邦訳小説!
現代詩手帖2022年2月号でも、アメリカの詩人の邦訳ということについて、現代詩の会でご一緒している佐峰存さんがご活躍されていました。
この小説は文学ラジオ「空飛び猫たち」で知ったのですが、知人から「最高ですよ」とおすすめされ、読んでみました。
詩人の小説なんだけれど、きちんと感情の発露などを論理的にまとめられていて、そして傷つきやすい生きづらさのようなものをきちんと言語化してくれています。
舞台はアメリカなのですが、語り手の「僕」はベトナム系アメリカ人。そして、彼はゲイでもあります。彼の母親は彼を暴力で支配しようとしますが、そんな母もベトナムから渡ってきたことで「英語がうまく話せない」ということに次第に苛立ちを覚えていきます。「僕」はそれでも「ことば」というものに惹かれ、時にさいなまれ、詩人を目指すようになっていきます。
オーシャン自身の私小説なのかなと思うくらい、語り手とオーシャンの背景は似通っているのですが、現代詩手帖を読んでからだとよく見取り図がわかるような気がしています。

・垣谷美雨『老後の資金がありません』中公文庫

わたしはまだ20代なので、空想を膨らませるしかありませんが……。
40代、50代というわたしの母たちの世代がみんな抱えている悩みなのかなと思います。わたしももうそろそろ30代。結婚している子も、出産している子もまわりにいます。
でも、母たちから見たらわたしたち、どんなふうに映っているんだろう。
老後はゆっくりと暮らすと決めていたのに、娘が派手な結婚式を挙げたり、舅のお葬式があったり、夫婦そろって失職してしまったり。
もうこれでもか! というくらい主人公には災難が降り注いできますが、どうなるんだろうとハラハラしながら読んでいくと、落ち着くところに落ち着いてほっとします。
たぶんリアルタイムでこの問題と向き合っているみなさんには響くんじゃないかなと思いました。

・井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫

何度読んでも、名著だと思います。
繰り返し読んでいきたい。わたしたちには、「あの日 あの時」がたくさんあります。そして、それを振り返ることこそが、前に進む勇気を与えてくれたりします。
この著作では主に「原爆」ということ、戦争について述べられていますが、当時の緊迫感もあります。市井の人々は「絶望的なことに巻き込まれてしまった」と思うしかないのかなと思いますし、市井の人々にも悪い所はなく、また同じように他の国の市井の人々にも悪いところはないように感じています。
戦争はその国その国のトップ同士がなぜか争い、それに闘争感を抱いた人々が起こす限りない過ちであるとわたしは思っています。
誰も理不尽に死んでほしくないから。だから、わたしは生きることで対抗します。

・柚木裕子『あしたの君へ』文春文庫

若さ。そして、何かの欠落。
そういうものを常に抱えている彼ら彼女たちのために、望月という家庭裁判所調査官捕は奮闘していきます。
そうだよなあ、この世界にはいくつもの貧困や夫婦問題、何者からも逃れられない気持ちがたくさんあります。
そういったものと、どう立ち向かっていくか。
そんなもろもろを背負った彼ら彼女たちに、どう接していくべきなのか。
望月の答えは、日々仕事をすることで見えてくる感じがしています。
人と人の悩みを日々聞くのが司法に携わる人の仕事と、以前知人が言っていたような気がします。
だからこそ苦しい仕事なのだけど、そんな人々を待っている人々もいるのも確かです。

・中村文則『何もかも憂鬱な夜に』集英社文庫

中村文則さんの作品は、人の心の暗闇をはっきりと出すものだと思っています。それの書き手である中村さんもすごいのだけれど、読んでいるこちらが苦しくなってしまうくらい、暗闇は暗闇として描かれていきます。
暴力、裁判、死刑、罪。
いつもの日常ではほとんど関連が自分にないと思ってしまうことでさえ、その日常の均衡が崩れたら、簡単にその暗がりへ迷い込んでしまう。
自分の暗がりを、どこか相手にも重ねてしまって、暗がりが広がっていく。
そういう時にどこまでもポジティブな光のような人がいればいいのになと思います。そういう人がいることも大事なことだと思うし、光と影があっていいのだと思う作品でした。

4月19日

朝から献本作業にいそしむ。近々舞台でも見に行きたいなあ……と思い、色々探していたら気になる舞台があったので一人分のチケット入手しました! うふふ。また来週末も楽しみだぞ。

・レイ・ブラッドベリ 伊藤典夫訳『華氏451度』早川書房

むかし、ミッション系の幼稚園の紹介で、大学生くらいまで毎週日曜日に教会の礼拝に出ていました。クリスチャンではありませんが、友人たちがたくさんいるので、今は時折YouTube礼拝に参加したりします。
そこの当時の牧師先生が本当に読書好きで、もしかしたら今のわたしを作り上げているといってもいい文庫室があり、小さなころのわたしはそこで遊んでいました。
華氏451度はその先生が教えてくれた本。ちょうど本が燃える温度なんです。
わたしは20代に入って、図書館というもので働くようになり、もっと仕事として本に携わる機会が多くなってきました。
そして、今も。今は執筆者としてですが、本に携わっています。
本が限りなく燃やされてしまう未来。それでも読書熱に脅かされてしまい、苦悩するファイヤマン。先生から教えてもらったのいつだっけ。
紙の本というものと、今は媒体が違うかもしれない、本。火と水には気をつけたいなと本当に思いました。

・赤川次郎『森がわたしを呼んでいる』新潮文庫

赤川次郎さんの本は初夏に読みたい。
さわやかで、りりしくて。解説で金原瑞人さんもおっしゃっていますが、本当にそうだよなあと思います。
『ふたり』も『三毛猫ホームズ』もハマりましたが、若い彼女たち彼らたちをさわやかに描けるの、本当にすごいなと思っていて。
今回の小説では、「森」となくなってしまったお父さん、そして一人で冒険の旅に出る佐知子を軸にした壮大な物語になっています。
国家機密が少女に知られてしまったら。それでもそんな大人の事情と関係なく、彼女は生き抜いていきます。
いいなあ、さわやかだなあと思いながら読んでいました。

・ジョーン・G・ロビンソン 越前敏弥・ないとうふみこ訳『思い出のマーニー』角川文庫

ジブリの映画で見て、本当にハマった本です。懐かしいなあ。
知っている方も多いかもしれませんし、日本版にしたジブリの映画も本当によかったのですが、原作もまた、よいです。
アンナとマーニーの時を超える友情。たぶん二人は二人で少女という時代を一緒に生き抜いていったんだろうなと思います。
マーニーはそれでもアンナと過ごせて幸せだったのかなと思いますし、不遇な少女時代、そして大人になってもずっとひとりぼっちだったのに、孫が生まれて本当に幸せだったのかなとも。
人は人生のどこでひとりぼっちから逃れられるかわかりません。
それでも、生き続けていったらきっと、きっと幸せに出会えるから。

・カズオ・イシグロ 土屋政雄訳『日の名残り』早川書房

ベテランの執事の回想録。
長年お仕えしていた人の所を離れ、少しの休暇に彼はでかけていくのですが、彼にも彼で生きていく道があり。
誰かをサポートするという仕事は本当にそういう「支える」という仕事が好きではないとやっていけないような気もします。
あと、本当に「主人」のことが好きでないとやっていけないのかなとも。
自分の人生は誰のためにあったのか。執事である語り手は、そのことを考えながら、「主人」と執事である自分を重ねていきます。
晩年にさしかかる日の名残りの何年間。人生というものが彩り豊かになっていくと思います。静かに、静かに。

・カズオ・イシグロ 飛田茂雄訳『浮世の画家』早川書房

戦時中に戦争を鼓舞するような絵で人気を博した画家が、戦後になってまたその次の世代を生きていくというストーリーです。
舞台は日本で、カズオイシグロさんのなかでは自分のルーツを探したかったのではないかなと思います。
彼にとってはたぶんもう一つの(ルーツをたどった)故郷だと思いますし、戦中に犯した過ちにさいなまれながら生き続けるとはどういうことなのか、すごく問うていると思うんですね。
これを英語で書いていて、それを邦訳するという何か翻訳文学で描かれる「日本」というものに触れることで、わたしの読書体験もよいものになると思っています。

・村山由佳『はつ恋』ポプラ文庫

女性作家が描く女性の小説家の話を読むとほっこりするようになりました。
トキヲという男性がカギを握ってくるのですが、彼に恋をしたハナという小説家もまた繊細で、想像力だけで生きているようなところもあって。
ハナ自身も千葉の海沿いで暮らしていますが、
仕事としてのこの職業に身を捧げ、それでも恋していたかったからトキヲを選んだんだろうなと思います。
作家にとって、恋をするって本当に大事だと思っていて。ハナ自身も都会を離れたところで生活するようになり、自分の内なる声というか、体が欲していることに何も無理をしていません。
そういう生き方っていいなと思いました。

・カズオ・イシグロ 小野寺健訳『遠い山なみの光』早川書房

訳者あとがきを読んで、おおなるほど! わたしはこれだからカズオイシグロが好きなんだと思ったことがありまして。
薄明。そうなんです。カズオイシグロの物語は強く光るものではないけれど、どこか夜明けを感じさせる光がある。
わたしが本を読む時間や仕事をする時間は早朝なので、日によってはまだ太陽も出ていない時刻だったりします。そういう時にカズオイシグロの著作を読むとほっとするというか。
この本では、悦子という女性が回想している物語です。
娘を失った喪失感、それにさいなまれながらも、どこかに光を見出そうとする。これから歩んでいきだそうとする。
もしも大切な誰かを喪ったとしても、わたしたちはその喪失感と共存・共生しなくてはなりません。そういうことをしっかりとわかって書いているから好きなんだろうなと思いました。

4月20日

今日も献本作業にいそしむ。一日かかってなんとか終わりました!
並べていたら詩人の友達が増えていてうれしいな。やっぱり出かけていって詩をひろめることっていいことなのかも。やっとこさ現実に戻ってきました。明日からもがんばります。新作1編。

4月21日

週末からの疲れが出てしまったのかなと思いましたが、目指している多作な詩人さんの詩集の数を数えて創作意欲がわきました。第三詩集、第四詩集、もっと先まで。新作7編。宮スケ今週本というスペースラジオ、復活!
久々にリアタイで楽しませていただきました。

・佐藤泰志『そこのみにて光輝く』河出文庫

文学ラジオ「空飛び猫たち」で知った本です。
映画化もされたのですが、キャストと人物設定がすごくあっていて!
確かに主演の綾野剛さんも、孤独というものと常に向き合い続けている主人公ととても相性がいいと思います。
舞台は日本で、貧困や暴力などがたくさんある地域のパチンコ屋から始まり、孤独と孤独が惹かれあって「人間同士の親密な関係」が築かれていきます。
あの、詩人としては解説が福間健二さんなのもぐっときます……。福間さんの読み方もとてもよくて、人と人が出会ってそこからどんな関係を築いていくかがこの小説のテーマだと思うんですが、そこに焦点をあてていてよかったです。

・浅田次郎『かわいい自分には旅をさせよ』文藝春秋

浅田次郎さんの小説は読むと必ず心の琴線に触れて泣く。
うん、わたしの中ではあるあるです。でも、そんな彼がいつもどんな考え方で、どんな風景を見ながら小説の題材を思いついているのか、たぶん初めてこのエッセイで知ったんじゃないかなと思いました。
旅というものにものすごく憧れます。わたしは本当に外出できないと困るというか、仕事ができないので……わりとアウトドア派なんです。
その土地、その土地で見える桜も雪も違って、それを巧みにつかみ取っているのが浅田次郎さんだと思うんですね。
『鉄道員』『地下鉄に乗って』などの代表作も、そんな旅の中生まれたのでしょうか。よい作品なので心がたくさん動いて、読むととってもエネルギーを使ってしまうのですが、実際に外に出てみたいなあと思います。

・志賀直哉『城の崎にて・小僧の神様』角川文庫

中学生くらいだったかな。この本を古本屋さんで見つけて、なけなしのお小遣いをはたいて買いました。
そうかあもう角川文庫から新版出ているんだあと懐かしく思ったり。
志賀直哉についてはわたしのゼミの恩師の島村輝先生も言及していますが、島村先生の授業で「小僧の神様」を扱った頃を懐かしく思い出したりします。あれって単に、小僧がいい思いをしておしまい、という物語ではないんですよね。
途中で彼や「神様」と呼ばれる情の深い男が何を食べたかで結構ストーリーラインが変わってくるようにも思うんです。
懐かしいなあ。装幀もきれいですのでぜひ!

・村上春樹『村上春樹雑文集』新潮文庫

作家って原稿料をもらうたび成長する。
パワーワードだ……。確かに村上春樹さんのように若いころから書いているとそうなのかもしれないですね。
カズオイシグロさんについて、カキフライについて、様々な「雑多」な文章が多くあらわれているのですが、確かに「職業」として作家とか小説家を選んでしまうと、どれだけ自分の文章が日々磨かれていって、長くその仕事をできるかがものすごく重要になってくると思うんです。まあ、仕事ですからね……。
同時代の作家についてなどの言及も知りたかったし、村上春樹さんが考える「小説家とはどういう職業か」という言及も面白かったです。多くを観察し、わずかな判断しか下さない。だからあんなに資料を読み込んでいくんですね。しみじみと……。

・沖田円『僕は何度でも、きみに初めての恋をする。』スターツ出版文庫

一日しか記憶がもたない青年ハナと、両親の不仲に悩む女子生徒のセイ。彼らは次第に惹かれあっていくのですが、ハナは一日しか記憶がもたなくて、毎回セイが自分のこと、ハナのことを伝えていくんですね。
あーピュアだあ……
と思いながら読んでいました。確かに一日しか記憶がもたないのはハナが穏やかであるために必要なことだったのかもしれないし、でもちょっとだけ、うらやましい。
自分の暗がりを一日で忘れられるってことですからね。もちろんハナはハナで生きづらいと思うのですが、きっと高校生とか中学生が読んだらハマるんじゃないかなあ。
大人になってくるとこういうピュアな恋愛もできなくなってきます。どこかに今までしみついてしまった汚れとか、そういうものを抱えながら生きていると思っていて。
爽やかでした。あの頃。

・原田マハ『ロマンシエ』小学館

こういう若さをわたしも持っていたし、未だに持ち続けていてもいいのかなと思うのですが、なんとなく脱出してしまった感が……。
挿絵を担当している若い女の子が、画家としてパリでも成長して行く物語です。
20代って特権だと思っていまして。
なんかはちゃめちゃなことをやってもまだ許されるというか。右も左もわからなくても許されるというか。
でも、そんなわたしたちも年齢を重ねて、いつか若かった頃のことを思い出したりして、それでも芸術というものが捉えて離さない。
20代・30代は体力があります。無駄にといっていいくらい。
そんな中で自分の仕事も趣味も恋愛も大変な中、生きていく。
冒頭からすごく引き込まれてしまいました。
最後までノンストップです。

・日高敏隆『人間はどこまで動物か』新潮文庫

『ソロモンの指環』、ハマりましたね、懐かしい。
そうか、その著者の方なんですね。自然界の不思議というものはわたしたちにとって謎でもあるのですが、
それをユーモアたっぷりに描いているのがとても面白いなと思います。
きっとこんな先生が学校にいたら自然科学の道というのも面白かったかもしれないなと思ってしまいます。

・小川洋子『密やかな結晶』講談社文庫

再読になります。
小川洋子さんのモットーというか、すごくわたしが好きな考え方に、「小説家は幽かな弱きものの声に耳を澄ます」というものがあるんですね。
零れ落ちる記憶と、記録していかなければもたない「何か」が一日一つ失われてしまう島。
かそけきもの、というものを思い出します。
記憶はいつか零れ落ちる。その不安定さは穏やかではあるものの危機的で、でもいつか何かを忘れていくというのは不思議な憧れさえ抱いてしまいます。そんなアンバランスを描いた小説です。

・深沢七郎『言わなければよかったのに日記』中公文庫

『楢山節考』については何度も学生時代に授業などで扱っていて読んでいました。先生が実際にギターで弾いてくれたりも。
そうか、華々しいデビューとは裏腹に、「文壇のこと」について何も知らない著者が出会った、いわゆる「アタタタタ体験記」。
この頃の文壇はすごいものがあると思うし、それについていこうと必死でもがく姿が見られていいなあと思います。
「アタタタタ」なので結構笑えるけど、とてもファニーな方なんだなと思います。

・P.L.Travers『Marry Poppins in Cherry Tree Lane』A PUFFIN BOOK

実家の両親の書斎からもらった本です。
2019年にメリーポピンズの映画が実写化され、また2022年にもう一度舞台でメリーポピンズが上演されると聞いて、一人で見に行きたいなあとずっと思っていました。最近一人旅、好きなんです。
英語の教科書としても使っていましたが、パフィンブックとはいえ何年も英語のテキストに触れていないとわかりづらかったりする部分もあるのでしょうか。日本語とは違う読書体験になりました。
なんだろう、縦書きと横書きの違いもあるけれど、とにかく英語は英語として、日本語を介さないでわたしの頭の中に入ってくるんです。
メリーポピンズの少し上気した頬とか、そういう描写が日本語とはまた違って新鮮でした。なんとかチケット取れたので、チケットをデスク前において仕事をがんばろうと思います。

4月22日

昨日の夜、実家に詩誌の新刊が届いた様子。うれしい感想をいただき、応援してくれる家族に感謝。今準備中なのは出版社さんでは第二詩集なのだけど、原稿としては第三詩集のまとめをしているところです。
原稿の量としては第四詩集の執筆といったところでしょうか。
それぞれテーマを違えて書いているのだけど、よい本にしたいと思います。
燕が飛んでいました。燕が飛んだら早苗の季節。冬生まれですが、初夏が好きです。新作1編。

・藤原無雨『水と礫』河出書房新社

先日の宮スケ今週本で渡辺スケザネさんが紹介していた本です。
なかなか入手できず、やっと読めました! わたしの物書きの知人も読書好きなのですが、知人のレビューもとてもよく。
「脚注小説」ということですごく気になっていました。でも、脚注がでてこない!
なんと物語を物語で解説していくんです。すごい。クザーノが誰なのか、父のラモンは、息子は……と追っていくごとに秘密が明かされていきそうで、それでもちゃんとフィクションになっている。
表紙が蜘蛛の巣のような作りになっているイラストなのですが、本文もまさにそうで、万華鏡を覗いている気分になりました。

・見沼夜来『スケープ・ゴースト・タウン』

詩に関わって人と会うと、時々面白いことが起こります。詩ってそういう意味でも、個人の文学ではないんだなと今週もずっと学んでいました。
見沼夜来さんは現在大学生の詩人さんで、山口勲さんや谷原百合さんと開いているオンライン合評に、わたしのnoteを読んで来てくれました。それから文学フリマなどで実際にお会いしたり、なにかとご縁が続いています。
見沼さんの詩は、自らで自らを開いていく力があるように感じます。その力自体はまだまだ10代20代の詩人さんは余りあるほど持っているけれど、その力をうまく使えるかどうかは詩人の裁量です。
この作品と、次に紹介する作品はどちらも賞を取っている詩作品ですが、こちらは夜のバスを彷彿とさせる不思議な街の物語という構成を成しています。
スケープ・ゴーストというものが全ての詩に付けられていますが、そうだよなぁ、街の夜は何か浮遊感があって、それは実体を伴わないものでもあるのかもしれない。何かを探して、何かを求めてみんな彷徨っている。そういう意味でも、「スケープ・ゴースト・バス」は印象的でした。

・見沼夜来『五十億年後の聖書』

この作品群も、文芸賞を取った作品です。
聖書や天使、天国というものはずーっと太古から語られつづけているもので、永遠ですが、それはわたしたち有限の人間が語り継いでいるもの。だからこそ、わたしたちは儚くて、その書物や語り継がれた物語や歴史より遥かに短い期間しか生きることはできません。
もしわたしたち詩人ができるとするならば、自分が生きていたということ、そして誰かが生きていたということを書き残し、記していく。それがいつしか語り継がれていく。そういったことしかできないように思うし、そうあるものが文芸をやっていく意味だと思うんです。真ん中に「福音書」という詩があるのは魅力的ですね。どことなく朔太郎のような趣があります。

4月23日

さあ休日。なんとか晴れてくれるといいなと思い、ヒカリエ。
SHIBUYAのオープンマイクに参戦してきました。昨日からソーダが飲みたかった……!!
レポートはこちら!

今日は一日限りの夜型です。礫の楽音も聴いていました。楽しかった!
夜に発表がありましたが、KSJのスターティングスラム東京大会に出場します!!
20代最後の思い出となるだろうし、たくさんの方にお会いしたいと思います!
きっかけは平川綾真智さんや三木悠莉さん、そうした朗読もされている詩人さんたちのパフォーマンスを見て、でした。
実際に朗読会に出てみると、毎週末がきらきらと見えます。
わたしの詩、そして長尾早苗という詩人を広めていくために、地道に自分の足で今年こそは歩んでいこうと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。



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