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【エッセイ】いつでも帰ってこれる場所 家族・創作・表現・詩誌・場としての詩について

こんにちは。長尾早苗です。

今日は書くことをお休みしようかなと思っていましたが、ちょっとだけ。わたしが「いつでも帰ってこれる場所」について、休みの日を使ってつらつら書いていきます。

家族・創作

家族は今、いくつかあります。
……と書くとおかしいかもしれませんが(笑)
実家にいる家族、夫婦として暮らしている家族、創作の授業をとっていた同期・表現の授業をとっていた同期や先輩。
今少しずつ制限がほどけてきた中で、そういった家族(たち)に会う機会が多くなりました。

昨日は神楽坂で新しいご縁としてコ本やさんに伺い、詩人の友人がまた増えつつあるように思います。
そして、わたしが忘れかけていた心を取り戻せた朗読会がありました。

体調の波は今でも

わたしはお腹がすいたり疲れて来たりすると、記憶をいつまでも保っていられなかったり、判断力が鈍ったり、体の調子がおかしくなったりします。
今はそんな体質と闘いながら、以前は働いていた場所があり、「職」というものがありましたが、今は「詩人・作家」という呼び名でフリーランサーとして、コワーキングスペースに出勤しています。

わたしは詩が好きだから

わたしができること。前の職をやめたとき、とても考えたことでした。
わたしのような体質を持っている人でも、ある程度は自分で働けたりするのですが、それこそ家族に「詩人・作家」として歩むことをすすめられ、今この道が、ありがたく与えられています。
わたしは詩が好きだから。
それだけではもちろん食べていけないけれど、女性として生まれたこの体や揺らいでしまう心まで、一心に受け止めてくれたのが今いる詩誌や同人誌、そして文学フリマやポエケット、書店という場所でした。

そのご縁があり、ありがたいことに今週末は詩誌La Vagueの朗読会で朗読したり、イベントゲスト講師を勤めたりします。


Twitterスペースで朗読します!
まち歩きをしながら詩作するイベント講師に招かれました。
渡邊さんといつかご一緒出来たらと思っていたのでうれしいです。
お申し込みはこちら

さなえちゃんはさなえちゃんだから。
さなえさんはさなえさんだから。
そのことばに、何度救われたことでしょう。

以前、こういわれたこともあります。
さなえさんはたんぽぽの綿毛のような繊細さがあるのに、なぜかちゃんと根を張って生きてる。
そのことばに、はっとしていました。

昨日の朗読会では、あまりにも身近になって忘れそうになっていた活版印刷の魅力をもう一度思い出し、「物語の向こう側」「詩の向こう側」というあたたかい「人」のことを考えていました。
打ち上げは体調の波が来てしまって最後までいられなかったけれど、産後少したってからの友人と数年ぶりに抱き合ったり、少しは休めとあたたかいことばをかけてくれたみなさんと、お茶一杯で乾杯をしました。あの夕方は、ちょっとわすれがたい。


今週末のまち歩きと詩のイベントも、もうご予約が入っているようです。とてもうれしい。

みなさんと詩を作る喜び、創作する楽しさ、生きていく実感を、分かち合いたいと思っています。
かつてそれが、わたしを救ってくれたように。

あなたの帰ってこれる場所を、少しずつ広げるお仕事ができるように、わたしもがんばっていきます。

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