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【詩人の読書記録日記】栞の代わりに 3月27日~4月2日

はじめに

こんにちは。長尾早苗です。
今週はわたしの個人的に仕事も仕事以外のことも忙しく、読めるかどうか心配でしたが読めました!お付き合いよろしくお願いします。

3月27日

今日はラジオを聞いたり、YouTubeのアーカイブを聞いたりして勉強、勉強!
能、礫の楽音YouTubeアーカイブ、小川洋子さんの読書ラジオ、そして勉強したいといつも思っているKSJ。
せっかく新年度からオープンマイクにチャレンジするので、詩人さんのリーディングを聞いていました。
途中、聴覚を休ませるためと心を潤すため、そして体を鍛えるため、歩きに行きました。


去年第一詩集を出したときに来た桜を見に。
どこもかしこも桜だねえ。
もう少し!
のところでぱしゃり。

今日聞いていたKSJのYouTubeでのパフォーマンスで、何回も泣きそうになりました。

・ボードレール 福永武彦訳『パリの憂愁』岩波文庫

海外の翻訳された詩において、
わたしは韻を踏んだものしか読んでこなかったなあと自分の至らなさに気がつきました。
韻を踏んでいなくても、
ことばは散文詩として詩行を構築していきます。
ボードレールについては、わたしの後輩にあたる年齢の詩人たちが好きでよく読んでいると聞いたため、チャレンジしてみました。
実は先日ランボーの詩集を読んだとき、隣にあったのがボードレールだったのですよね。
どんな詩人なんだろう、と思いワクワクしながら読みました。
やはり時代に名を残してきた詩人だと思います。
どこまでもアンニュイなのですが、
指摘が詩的というか。流れていく雲に美しさを、人の業を永久に変わることがないものとして見出していることにも感動をおぼえました。

・ボードレール 堀口大学訳『悪の華』新潮文庫


詩人の心の内で起こっている孤独な闘いは、
常に暗闇と共にあります。
しかし、それが読者に届くとき、
それが美しいと言われる。そのギャップに、ある種詩人は生涯苛まれてしまいます。
だからこそ、詩人は生きにくいし、長生きしながら詩を書いている先輩たちをどれだけ讃えてもキリがありません。
この詩集でも、その暗闇をよくぞ言語化してくれた!
と思うくらい、暗いです。
わたしたち詩人も、果てしのない暗闇の中生きているのですが、
それを文章や詩という文藝にしていくことで、自分の中にも光を見出してまた書けるのかなと思っています。

・ジュンパ・ラヒリ 中嶋浩郎訳『わたしのいるところ』新潮社

ジュンパ・ラヒリの才能はすごいと思っていて、
わたしは『停電の夜に』を読んでハマりました。
彼女の感受性もさることながら、
彼女の生きてきた半生もまた、自分自身のルーツを常に探しているようで好きです。
母国というもの、母国語というものを常に追い求め、
自分の居場所を彼女はみつけたかったのかもしれません。
だからこそ、彼女の本を図書館で読みたかったのには訳があって、
図書館ではその作家の国籍ごとに置かれる場所が違います。
ジュンパ・ラヒリについて思うのですが、彼女の作品がイタリア文学に入っていて、少し安心したというか。
イタリアというやっと彼女の居場所を求めることができた場所で、彼女がひとりの作家として生きていくこと。
それは、女性の作家としてわたしにおいても重要なことだったりするのかもしれません。

・カズオ・イシグロ 土屋政雄訳『忘れられた巨人』早川書房


カズオイシグロという作家が好きです。
この静謐な文体で、ことばや事象を見ている作家って少ないと思います。
ここまで静謐かつ、さまざまな「時間」や場所を行き来しながら書いているのも珍しいと思います。
わたしが狙っているのは『クララとお日さま』なのですが、それもアンドロイドという未来を書いたものですよね。
『わたしを離さないで』もまた、違う時代を描いた物語。
しかし、忘れられた、かつてあった、そして今もある、永遠にあるものって、もしかしたら昔の出来事かもしれないんです。
それをイングランドという舞台で、騎士たちの物語をちゃんと小説にしてくれていて、
もちろんエンターテイメントとしても面白いのですが、それ以上にもっとこれからの文学を考えさせられるものでもありました。

・アーネスト・ヘミングウェイ 高見浩訳『日はまた昇る』角川春樹事務所


今日は翻訳文学ばかり読んでいるのですが、
わたしは時折旅をしたいと思うときに翻訳文学を読みます。
それはとても楽しい読書体験で、この文章を書いているのは外出した先なのですが、それと共に帰った後にとても不思議な気分になります。
自分が今までいた場所の視点が少し、変わる。
ヘミングウェイというともうすごい文豪ですが、彼がこういう群像として若者を描いているという点にだけでもとても救いを感じてしまうんですよね。
若い人たちにはこれから生きていかなければいけない未来があって、それだからこそとても悩むんです。
もちろんわたしも若いと言われる年代ですが、そういうことを時折考えたくなります。
それは、今直接若い人たちの悩みを聞くとか、そういうことができないからでもあります。
そういう意味で大学時代は楽しかったし、あのときどうしてこんなことで悩んでいたんだろう、お互いバカだったよね、と笑い合いたいのです。
いつかそんな日が訪れるといいな。

・W.B.イエイツ 井村君江訳『ケルトの薄明』ちくま文庫


イエイツが口伝から書き起こしたケルトの神話、
それによる妖精の伝説や伝承から見えてくる
ケルト、もしくは、アイルランドという地域から見えてくるもの。
そして、過酷な戦争やその場所に代々受け継がれてきた物語について。
わたしたちは、わたしたちの国そしてわたしたちの話すことばについて、
今ということと未来ということはきちんと見ようとしていますが、
それには過去や場所を振り返ることも大事であるとわたしは考えています。
今いる場所、そして過去に起こったこと、伝承は語り継ぐもので、
未来へつなぐものでもあるのです。

3月28日

新作を2編作り、今日はゆっくりとポエトリーリーディングイベントの配信を聞いていました。
7月あたりからの英語の学びを終えました。まさかこんなご時世になって、世界中の人とつながることに挑戦していきたいと思うことができるなんてと思います。
あの頃はとにかく、学ぶことに自分の場所を見出していきたかったようにも思います。今は、英語で読まれる詩、そして声で届ける詩と出会ってきました。
個人的にとてもうれしいお知らせも舞い込み、本当にうれしくて、落ち着くために語られていく詩を聞いていました。

3月29日

新作を2編。いきなり寒くなったり暑くなったりで大変ですが、一応仕事としては大きめのものはゲラを戻したのでちょっと落ち着きました。
今度はまた外回りを固めて。がんばるぞ。
あと一つゲラが届きます。
今日もリーディングの勉強をしていました。読書ができない時、そして4月にオープンマイクにチャレンジするので、こういうアーカイブを日々聞いて少しずつ勉強できることがうれしいです。
今関わっている仕事が終わったら、また原稿に取り組みたいと思います。
一年間かけて、リーディング、声というものとテキストというものを、考えて原稿を書きたいと思っています。
一年間の宿題という感じ。そのテーマに沿って書いていこうと思います。

3月30日

今日、16年通っていたある場所から卒業しました。最初にわたしに詩作を勧めてくれた人がいたところです。ありがとう。新作2編。
「リーディングという誘惑」という先輩詩人のみなさまのオンラインイベントのアーカイブを見ていました。普段音声でしか聞けなかった方も多かったので、どんな衣装で、どんなテキストで、どんなパフォーマンスで読まれているのか非常に気になっていました。

3月31日

明日のことでどきどきしていました。新作1編。昨日のアーカイブのテキストがメールで送られてきて、やっぱり詩が好きです。

4月1日

もろもろあって頭がぼうっとしていました、いつものラジオにとても勇気づけられました。ラジオを配信してくださるみなさま、ありがとうございます。ライターの宮崎智之さんがこのnoteをラジオで言及してくださいました! とってもうれしいです。新作推敲。

4月2日

メール連絡業務など。新作3編。復活したので宮スケ今週本で紹介されていた吉田健一について学びに行こうかな。来週は仕事が落ち着いたら神奈川近代文学館に行きたい!

わたしの住んでいる地域では一気に読める本というものが書物の箱の図書館で6冊限りでしたが、今年度から10冊になります! とってもうれしい。張り切って勉強し、満足な思いで帰ってきました。

・吉田健一『吉田健一 新潮日本文学アルバム』新潮社


煙草や葉巻を吸っている写真が多いなあと思います。本当に文学者だなあとも。
時に、当時の文学者のかっこよさはどこにあるかというと、ウイスキーや葉巻が挙げられるのではと思うのですが、そうか、吉田茂の長男だったんですね。
そんな大変な時代や家庭の背景があったにも関わらず、
文筆というものを選んだ吉田健一。
確かに彼は再評価されてほしい作家です。独特の文体、そして彼の文学的知識が家庭的な背景を持ちつつあったこと。
そういう面で、とてもかっこいいなと思いました。

・河上徹太郎,吉田健一,山本健吉,江藤淳集『現代日本文学大系 66』筑摩書房


個性が様々で、4回美味しいと思えるような文学体系でした。
わたしは吉田健一の短編も読んで見たいと思い、
先日ラジオで紹介されていた『酒宴』も納めされており、とても嬉しかったです。
なんだろう、とても個性的な作家たちばかりなのですが、彼らの問題提起もとてもよくわかるような気がしています。
その中でもやっぱり異色ですね、吉田健一。
もっと知りたくなりました。神奈川近代文学館、行きたいなあ……。

・エドガー・アラン・ポー 吉田健一訳『赤い死の舞踏会 付・覚書〈マルジナリア〉』中公文庫

すごく不思議な作家だなぁと思うポー。
そしてなんというか、吉田健一の訳し方も独特な感じがして、それもまた魅力の一つになっていると思うんです。
わたしはあまり怪奇小説というものに触れずにきたのですが、ここにきてやっぱり吉田健一という作家、翻訳家、評論家と多彩な顔を持つ文筆家に触れる時に、読みたいと思ったんですね。
確かにこの作品や吉田健一自身が再評価されるのはとてもいいことだと思うし、
ポーの小説には、人間がいつか持ってしまうかもしれない危うさの中の狂気が潜んでいるようにも思いました。
短編の中でそれが出てくるって、すごいです。

・吉田健一『英国の文学』岩波文庫


多分、なのですけど、わたしは吉田健一に白洲次郎のような面影を感じるのかもしれません。
なんでだろう、何かダンディズムと言い切ってしまうことはできないのだけど、しっかりとした根幹として知識を彼は持っていながら、
観察眼鋭く英国の文学を指摘します。
わたしは大学時代にそんなに翻訳を読んできませんでした。
しかし、日本文学を学んでいたため、それから派生して読書というものが好きになって、作家さんとつながるようになって、さらに読書が好きになって、知識を広げていくにつれて読みたくなったのが吉田健一です。
彼のデビュー作であるこの作品は評論集ですが、そのことばの使い方に圧倒されました。

・ヘンリー・ミラー 吉田健一訳『暗い春』福武文庫

ヘンリー・ミラーについては初読だったのですが、吉田健一の訳し方だとすっと入ってくるようにも思います。
アメリカの作家なのに、なぜかどこか極端にアメリカから外れている。
それは彼の文学的な知識がヨーロッパからきているからだと吉田健一は指摘します。
確かにこれを読んだ時、当時のアメリカの作家だとは思いませんでした。
当時はO・ヘンリーなどの作家の方がメジャーだったと思うのですが、それともどこか一線を画すような文体の違い。
そうかそうだよなあ、気だるい暗い春と思う気持ちは、アイデンティティをどこかに求めつつ、何かを探しているからかもしれないなと思います。

来週もがんばりますので、どうぞみなさんお付き合いくださいませ!


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