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小池昌代『幼年 水の町』を読んで

小学生だった頃。小池さんも大変な思いをされたそうで、彼女の詩の原点がこのエッセイの中に多分に含まれていました。

怒りは、創作のガソリン。私は少なからずともそう思っています。

小池さんの怒りは私が小学生の時に持っていた怒りとなんだかそのまま合致するような気がしていたし、小学校時代からの抑圧のようなものが防げず、今に至って詩を書いているような気がしてならなかったです。

このエッセイ、最初の方を読んだ時は、生々しいほどの読者の血のたぎりがあり、私も些細な生活のことで怒ってしまって、読み進めるのが大変な時もありました。

それでも、大先輩の詩人の方の原点を知らなければ、私はきっと前に進めない。そう思った土曜日に、このエッセイを読み切ることができました。

不和。環境や状況との不和。かなりストレスです。私も本当にリアルタイムでその不和を感じていた時期があり、いろんなことが重なって、私も爆発してしまいました。

その後、自分を本当に苛み、責め、怒り、どうしてあんなこと言っちゃったんだろう、と自分を責め続ける日々が続き、私が取った行動は、短編小説を書くということでした。

小説なんて書けない、と私自身思っていましたし、小説のようなものを一時期書いていましたが、なぜか今回は初期衝動に任せて書いていたら、一日に原稿用紙二十枚を書き、今のところ二編できあがっています。(一編は昨日小説を書いている家族に読んでもらいました)

これは発表するのがとても難しいので、私のクリエイターとしての道のりの中で、いつか発表できたらと思っています。

創作は、他者から何かを受け、自分の中で考え、自分と向き合って、必死で無から有を生み出すことです。生半可なことじゃない。

怒りとか、不条理とか、失ったものとか、歓びとか、感情の二極にふることができないと、詩人は自身の中に住む狂女を解放させてあげられず、不機嫌に飼いならしていくしかないのかなと思います。

私自身、詩とは違うジャンルで、営業時間以外に書くということはチャレンジ以外なにものでもありませんでした。そして、それは小池昌代さんもきっと同じだろうなあということも。

詩人は自らが狂ってはならないものだと私は自分自身に言い聞かせています。ただただ、狂っている己の中のもう一人の「わたし」を冷静に見つめる目がなければ書けないとも思っています。

私の試練はまだまだ続きますが、このエッセイを読み切ったことで、また何か新たな創作に向かえそうな気もしています。

精進いたします。これからも応援よろしくお願いします。

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