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海の花〜最終話〜

「ん…」

目が覚めて、知らない白い天井が、視界に広がる。

「私……そうだ!赤ちゃん!!」

ガバッと起き上がると、側にいた看護師さんらしい女の人が瞬く。

「あら、気づかれました?良かった。」

「あ…あの、ここは…」

「病院ですよ。寒いのにあんな路地裏の冷たいとこにいて…通りかかった人が119番してなきゃ、流産してましたよ?」

「あ…」

赤ちゃん…無事なんだ…

お腹に手を当ててとりあえずホッとしていると、頭によぎったのは、隆の姿…

「あ、あの、私の側に、同じ歳くらいの男の人、居ませんでした?」

その問いに、看護師さんは小首を傾げる。

「いえ。いたのは、あなた1人ですよ。」

……えっ。

じゃあ、隆は、隆はどうなったの?

ポロポロと涙が溢れて来て、看護師さんは瞬く。

「大丈夫ですか?警察に、連絡しましょうか?」

「…はい。お願いします。名前は、秋永隆。私の、夫です。」

でも、2か月経っても、半年が過ぎても、十月十日が過ぎて子供が産まれても、隆の消息は分からなかった。

以前聞いた先島弁護士事務所や光涛組の事務所を調べて尋ねてみたけど、どちらももぬけの殻で、手がかりは何も無いまま、2年3年と月日が流れ、とうとう、私と隆の娘…隆枝たかえは、小学生になった…

「お母さんお母さん、ランドセル、似合う?」

「うん。とっても似合ってる。素敵なお姉さんよ?隆枝。」

「へへっ!」

そう言って鼻の頭を掻く仕草は、幼いあの頃の隆にそっくりで、思わず涙が溢れる。

「お、お母さん。どうしたの?」

「ご、ごめんね。お母さんなのに、泣き虫で…」

「お母さん…」

悲しくて、悲しくて、声を殺して泣いていると、玄関のインターフォンが鳴る。

誰だろうと、涙を拭いてドアを開けると…

「えっ?!み、みっくん?」

そこにいたのは、少し痩せて小さくなった、幼馴染で隆と同じ光涛組の組員、八谷光男君。

「久しぶり…元気?」

「なによ…今更何の用!?私と隆枝から、隆取り上げて、めちゃくちゃにしておきながら…」

「隆枝…それが、隆の子?」

「違う!私の子!!隆はもう、私たちの事はどうでもいいんでしょ?!私たちより、あなたやあのジジイとの絆が大切なんでしょ?!もう帰って!!顔も見たく無い!!」

そう叫んで扉を閉めようとしたら、みっくんに小さなメモを渡される。

「何?」

「…隆のいる、療養型の病院の、住所。」

「えっ…」

瞬く私に、みっくんは続ける。

「隆、ちゃんと足洗って、真っ当に生きてる。けど、赤ん坊がダメになったって思い込んでて、守ってやれなかったって、ずっと自分を責めてて、親父の呪縛から解放されたのに、夏樹に会いに行くの躊躇ってて…だから、迎えに行ってやって、くれないか?」

「でも、私…会うの怖い…隆、自由になったって事は…目を…」

そうして言い淀む私に、みっくんは静かに笑う。

「その先は、自分の目で確かめて。じゃ、父さんにバレたらヤバいから、これで…」

扉を閉めて去っていくみっくん。

恐々メモを開くと、住所は富山の海沿いの街だった。

ここに行けば、隆に会える。

隆枝に、会わせてあげられる。

隆枝にも、お父さんよと、言ってあげられる。

けど、隆の目は、もう私の姿を写す事はないし、産まれて来た隆枝の姿を見ることも、出来ない。

真っ黒な世界で、一人ぼっちで生きている隆を、あの時ただ救いを求めていた私が、救ってあげられる?

愛してあげられる?

けど…

「お母さん?」

呆然とする私の元に来た隆枝に、在りし日の隆がダブる。

「隆…」

「なによお母さん、さっきから変よ?私は隆枝!隆じゃないわ。」

「う、うん…そうよね。ごめんね、隆枝…」

そう言ってぎゅっと、隆との愛の証を抱きしめる。

会いたい…

喩え、もう目が見えなくても。

変わらず愛して、支えていきたい。

もう、一人にしないからね?

タカちゃん…

春の富山は、まだ雪が残っていて、日本海の荒波が激しく打ち付ける丘の上に建てられた、色とりどりの花に囲まれた、小さな病院。

ここに、タカちゃんがいる。

クッと息を呑んで、隆枝の手を握りしめて、私は受付に行く。

「あの…ここに、秋永隆って男性、入院してますか?」

「あ、はい。あの…どう言ったご関係の方ですか?」

その言葉に、私はニコリと笑う。

「妻です。夫に、会わせていただけますか?」

看護師さんに先導されながら、柔らかな日差しの差し込む廊下を、隆枝と共に歩いていく。

タカちゃん…

タカちゃん…

早く、会いたい…

好きよって、言ってあげたい…

あの時は、一緒に戦ってあげれなくてごめんねって、言いたい…

タカちゃん…

家族、出来たんだよ?

名前、勝手に決めちゃって、ごめんね…

けど、きっと、気に入ってくれるよね?

あなたと私の名前を組み合わせて付けた、名前なんだから。

タカちゃん…

込み上げてくる思いを胸に秘め、秋永隆と書かれた個室の扉の前に立つ。

ゆっくりと引き戸を開けて中に入ると、海と花が揺れるベランダに置かれた木製の揺り椅子に座る、出会った頃と変わらない、広い背中。

一歩、また一歩と歩いていき、ベランダの戸を開くと、目元に痛々しい傷跡と、サングラスを掛けていたけど、気持ちよさそうに眠る、タカちゃん。

…こう言う時は、こうよね。

小さく笑って、そっと…眠る私の王子様に、キスをする。

「ん…」

ピクッと、タカちゃんの目が開く。

唇が離れた瞬間、久しぶりに聞く声が耳をつく。

「とも、え?」

「えっ!?」

な、なんで…

見えないはずなのに、何で私だって、分かったの?

「なんだ。夢か…そうだよな。こんなとこに、お前がいるはず、ないよな…」

「ち、違う!私、智枝よ!!タカちゃん、見えるの?!」

「えっ!?ほ、ホントに、智枝…か?」

「うん、うん!」

何度も頷き、手を握りしめると、タカちゃんの目から涙が溢れる。

「俺…あの時無我夢中で、目をやったんだ。深く抉ったつもりだったけど、眼球は無事で…リハビリで、少しだけど、見えるんだ…」

「タカちゃん…」

「智枝…」

見つめ合っていると、隆枝が不思議そうにこちらを見ていた。

「お母さん…その人、だあれ?」

ああ…

そうだった。

肝心な事、忘れてた。

泣きながら、私は手招きする。

「おいで。随分待たせたけど、この人が、あなたの、お父さんよ…」

「えっ?」

重なる二つの声。

ゆっくり眼前にやってきた隆枝の顔を、隆は両手で包む。

「智枝…名前は?」

「…隆に枝で、隆枝。正真正銘、あの時お腹にいた、赤ちゃんよ?」

「隆枝…」

「おじさん…私のお父さんて、本当?」

涙を滲ませ問いかける娘を、タカちゃんは抱き締める。

「ああ…そうだよ。今まで、寂しい思いさせて、ごめんなぁ…隆枝…」

「お父さん…お父さん!!」

「隆枝!たかえ…」

泣きじゃくる2人をぎゅっと抱きしめて、私はタカちゃんに告げる。

「これからは、ずっと一緒よ。愛してるわ。私の、タカちゃん…」

…それから2年後。

私は、再びタカちゃんの子供を身籠った。

性別は、男の子。

産まれたらキャッチボールするんだって、タカちゃんは今から張り切ってる。

隆枝も、いいお姉さんになるんだって張り切ってるけど、赤ちゃんがどこから来たのって聞かれるのが、目下の…幸せな悩み。

タカちゃんは、小さな弁護士事務所に就職し、真っ当に働いている。

でも、みっくんとだけは、時々連絡取ってるみたい。

来年、この子が産まれたら、タカちゃんは家を買おうと言っている。

私たちの思い出の詰まった、広島呉の街の、海の見える土地に、小さくもなく大きくもない、普通の家を。

花を沢山植えて、海を見ながら、幸せになろうって…

バカね。

私、もうとっくに、幸せよ。

小さい頃から、一途に愛し愛されて来たあなたと、再び巡り会えたあの時から、ずっと、ずうっと…

大好きよ。

私のたった一人の、素敵な、王子様。

タカちゃん…

泣かせていいから、ずっと側にいてね?

ゆびきりげんまん

うそついたら針千本のーますっ!

ってね。





海の花 了

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