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「普通」に生きるという才能

 当たり前を生きることの出来る人達は凄いと、私は思う。23歳になった今でもまだ、当たり前に普通に社会にとけ込めない。週5で働けばストレスで体調を崩し、月に何日も眠れない日をすごす。仕舞いには仕事に行けなくなる。私だって生きるために働かないといけないし好きで行けないわけじゃないのだ。誰も理解はしてくれないが。

 この歳になると周りの大人は口を揃えて「就職しろ」だの言う。フリーターだと言われれば卑下される。髪を染めてピアスをあければ冷ややかな目で見られる。この生き方を見て将来のことを考える気がないのかと問う人さえいる。考えてないように見えるのだろうが私だって悩んだ末の選択だ。彼らは髪を黒く染めろという大人の言葉に苦しむことは無いし、スーツを着る意味も、定職について毎朝満員電車に揺られる事にも疑問を持ったことがないのだろうか。

 誤解される前に弁解をしておきたいのだが、定職に付ける「普通」の彼らを馬鹿にしたいわけじゃない。寧ろ尊敬に値する、と思う。堅苦しい格好をして、責任を持ち、週に5日休まずしっかり働けること。これは才能だと思う。私には持てなかった才能だ。決まった土日の休みもボーナスも祝日も、その才能を持って頑張ってる人の為のものだと。きっとそうだと思う。

 だけど、社会に適応する才能を持たずそれを理解されなくても生きなければならない。
きっと他者から見たら私の考えは甘えでしかないのだ。そう見られることは理解していて、でも努力してもどうしようもなくて、続かなくて上手くいかなくてでも死ぬ事も出来なくて生きなきゃ行けない。そういう人間はどうしたら良いのだろう。

 未だに答えは出ないままで、今日も無理やり生きなくてはならないのだ。

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