未明

想ったことをつらつらと。吐き溜め。

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想ったことをつらつらと。吐き溜め。

最近の記事

花緑青

※注意※ この記事は【自死】について、個人的な考えを述べています。苦手な方はお控えください。 私を含めて人間は【死は悪】だと考えすぎだと最近感じる。それは人間の本能的なものだと思うから仕方がないのかもしれないが。 例えば、人が自死をしたとする。すると大体の人は「何故そんなことを」とか「ちゃんと話をすれば止めることが出来たのではないか」だとか、自分や故人を責めるようなことを言う(本人は責めているつもりは無いのだと思うが)。そして【死は悪】となる。でもそれって死んでいない人

    • 花丁子を掲げて

       バスに揺られて約15分、青い海が広がる閑散とした駅にたどり着いた。この街に住んで約10年になる。駅前に溜まるヤンチャな中学生も夜21時には電気を落とす赤い看板のコンビニも、ドーナツ屋さんも体にまとわりつく潮の香りも、私からすれば退屈な景色だ。高校生だった私は空に駆ける飛行機を目にするたびに東京への思いを募らせた。絶対にこんなところから出ていってやる、そう思った。当時はこんな田舎町だから早く出て行きたいのだとばかり思っていたが、今思えば家庭環境が他とは少し変わっていた。  

      • 軽薄

        母の子宮を経つ日 私はきっと死刑を執行をされる罪人のような顔をしていたと思う 眩しく温かい地獄で 産声をあげる 白いチューリップが一輪 音も立てずに散って 無垢な私 壊れる 甲高い耳鳴りが 日常に解けてゆく 涙を流す暇(いとま)は 夏の夕暮れの菫(すみれ)色の空に消える 薄い紙切れで滲む 嗚呼、雑なものだ 君たちを愛したかった 幸せだと思いたかった 凪いだ冬の海を見ていたかった 綺麗だと思いたかった 紙一重のところに終わりが居る

        • バイトのババアになる前に

          高校生の頃、クリープハイプの「踊り場から愛を込めて」というアルバムが好きだった。 そんなことを26歳と6ヶ月の私はふ、と思い出した。 このアルバムを聴き始めた頃、私はまだ何者でもない無垢な高校生だった。 世の中のことなんて何も知らなかった(知ったつもりにはなっていたと思うが)。 ただ音楽が好きで不自由な田舎の、何かになりたいと嘆きながら努力が苦手な無知な子供だ。 でもきっと、あの頃は頭の片隅にまだほんの少し「何者かに慣れるかも」と希望を持っていたんだと思う。 当時、このア

          Todeswunsch

          今日は些か生きることが困難だ、と思う。 低気圧、ストレス、生理前、自律神経失調症、流行病の後遺症、etc... 色々と困難の原因を見つけるべく頭を巡らせるが、明確な理由を見つけられる事は滅多にない 私の“生きることが困難”は“死にたい”と同義ではない。近からずも遠からずと言ったところだ。 具体的にどういうことかというと、例えば周囲の人間(自身を含む)や愛猫の死を連想してしまったり、動物性のものを食すことに罪悪感を覚えてしまうなど、生命の死について深く考えすぎてしまうのだ。

          Todeswunsch

          none

          母の体温も語りかける声も 覚えてはいないの 子宮の中で 柔らかい朝日 眩しい 産声を上げて落ちたのは 造り物の世界だった ほらみて、みんなが笑っているよ 全身に浴びた祝福も 刺すような日差しも きっと忘れてしまうよ 少年は言うの ああ、また壊れてゆく 繰り返される日々に いつだったか滅びるはずの世界は 呑気に息をしているじゃない 汚いものは全部燃やして 気が付かない様に 気がつけない様に 羽の生えた君が 振り返る事もせず お別れみたいねって 笑顔のままで ああ、また

          眩暈

          たまに、宙に浮いたような感覚に陥る それは楽しい時でも、悲しい時でも同様に この当たり前の生活が果たして、本当に当たり前なのだろうか 自分で選んだ道なのだろうか 誰かに進まされた道なのではなかろうか はたまた、自分で選んだのならこの道は正しいのか そう思った時、ふっと、わたしの体は宙に浮く 「正しさ」などという曖昧な表現に踊らされて 「常識」などというどこの誰が決めたかも分からない概念を守り続けて 「正義」などというあまりに偽善的で暴力的なものを振りかざして わたしは

          黒い鯨と夜の歌

          潜水艦で潜る 潜水艦で潜る 潜水艦で潜って 消える 八月の街は 海の底 失った貴方は 今は何処へ 声が聞こえないわ 何も見えないの 遠くの方で鳴ったチャイムに 懐古するあの夏 彼方に見える 漁火が綺麗 貴方も見ているのかしら 解らない 深い夜の色が 一面に溶けだして 凍え切った身体では もうどこにも行けない 潜水艦で潜る 潜水艦で潜る 潜水艦で潜って 消えた

          黒い鯨と夜の歌

          「普通」に生きるという才能

          当たり前を生きることの出来る人達は凄いと、私は思う。23歳になった今でもまだ、当たり前に普通に社会にとけ込めない。週5で働けばストレスで体調を崩し、月に何日も眠れない日をすごす。仕舞いには仕事に行けなくなる。私だって生きるために働かないといけないし好きで行けないわけじゃないのだ。誰も理解はしてくれないが。 この歳になると周りの大人は口を揃えて「就職しろ」だの言う。フリーターだと言われれば卑下される。髪を染めてピアスをあければ冷ややかな目で見られる。この生き方を見て将

          「普通」に生きるという才能

          ラベンダーの花言葉

          ラベンダーの香りを嗅ぐ。 この花を見ると、どうしても私は貴女のことを思い出すのだ。 20年前に病気で旦那を亡くし、ただ広いあの家で今は1人で暮らしている。 90年間という歳月をどのような想いで過ごしてきたのだろうとふと思う。 私はそこまで生きたいとは到底考えられない。 結婚願望もなく、子供を産み、育てたいとも思えない私にとって長生きは恐怖でしかない。 身体も自由に動かなくなって、周りには誰も居なくなって。 独りになるのは怖い。嫌だ。 人の死について考える。 そして、考え

          ラベンダーの花言葉