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映画雑談『オオカミの家』

おまえ、この子に何をした! 一言でいえば、そんな感想です。
『オオカミの家』は評判通りの、とんでもなく不快で、とんでもなく素晴らしい映画でした。

まずは東京の映画ファンにお礼を言いたいです。
もともと東京では関西より2週早く劇場公開されたわけですが、連日盛況だったということで、関西での公開が1週早まりました。一秒でも早く観たかった私としてはそれだけでもありがたいのに、初日がファーストデイであったおかげで、たいへんお安く観ることができたわけであります。こんな地獄のような映画を安価で観ることができるなんて、まるで天国ではないですか、マリィア~。

東京のみなさん、ありがとうございます。ご自愛ください。

(以下からネタバレあります。けれどこの映画は、ちょっとくらいネタバレしても問題ないですよねえ。観なきゃ凄さがわかんないですから)

ある集団から逃げてきた、マリアという少女を主人公とした映画です。集団のモデルとなっているのは『コロニア・ディグニダ』という、チリに実在したナチの残党による入植者集団(コロニー)だそうです。
そのコロニーで児童虐待や拷問、人体実験、洗脳が行われていた事実を予備知識として持っていれば、映画で繰り広げられる映像のえげつなさがより深く伝わるでしょう。逆にいえば、それを知らないで観ると、何が何やらわからないかもしれません。
しかしこの映画では、コロニー内部の様子は描写されません。逃げ込んできた小屋の中で、マリアと二匹の豚のやり取りのみがストップモーションアニメで映し出されます。

序盤、壁に描かれたマリアがアニメとして動いているシーンから、早速この映画の凄さが発揮されていました。
アニメなので一コマずつ描いて撮影しています。壁に描いて撮影しては消し、また描いて撮影して、また消してから描くのです。このような作業には、効率も合理性もありません。失礼ながら、狂っているのかと思えるほどの執念めいたものを感じました。そしてその感覚こそが、コロニーの異常さを想像させるものとなっています。
その後に続く人形も、形態をグルグル変化させながら動きます。その素材を変え、頭身のバランスを歪め、豚は人になり、みんなゲルマン民族と思われる白人種の姿になってゆきます。この安定感の無さからも、平常心が揺さぶられます。ビビリの私なんかは、不安でしょうがないです。
そもそも人形のような、人の形をしながら人ではないものに対し、誰もが良くも悪くも想像力を働かせてしまうものです。そういった意味で、人形と恐怖は親和性があるのでしょう。
余談ながら私は人間が演じるお化け屋敷より、人形が立っているだけのお化け屋敷の方が怖いと感じます。顔のデザインが雑なものはもちろん、精巧であるならなおさら薄気味悪く思えます。

要するにこの映画は上映中、ずっと不気味なのです。いっそのことスプラッター映画のような血しぶきガンガンの残虐シーンなどがあったなら、明らかなフィクションとしてカタルシスも得られたのでしょうが、この映画は心の壊れた少女の幻視というか悪夢をひたすら見せ続けるばかりです。不気味さが煮詰められてゆくようです。
そしてその心がさらに崩壊するところで件のコロニーが白馬の騎士のように現れて彼女を『救済』するという終わり方をします。醜い世界で苦しむ少女を、清く正しく美しい世界に再び導いてくれました。悪夢は終了です。めでたしめでたし。
いや、めでたしと違うやろ、おまえ、この子に何をした! と、私は心の中でツッコミを入れた次第です。

私みたいに平和な日常をのほほんと過ごしている者は、コロニア・ディグニダのようなヤバい組織などを、往々にしてどこか別次元の存在に思いがちです。しかし同種の悪意は常に私たちのとなりにあって、優しい笑顔で手を差しのべてくるものです。もしかしたら、私も既に洗脳されているのかもしれません。めっちゃいやです。こういう映画を見た後は、とりあえずおいしいものを食べて正気を保ちましょう。私はモンブランを食べました。秋はやっぱり、モンブランですよね。心のバランスがとれたので、めでたしめでたし。なのでしょうかね、マリィア~。



ストップモーションアニメといえば、もちろんヤン・シュヴァンクマイエル監督も大好きです。
私は『アリス』を偏愛しております!
しかし『悦楽共犯者』の変態っぷりもたまりませんよね。


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