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美術展雑談『大阪の日本画』

私は大阪で生まれてからそれなりの年月をこの地で過ごしてまいりましたが、今日に至るまで「でんがな」「まんがな」なんて言葉を冗談以外で使っている大阪人に会ったことなどありません。
どちらかといえば「ごめんなあ」「ありがとうなあ」など、気遣いや感謝の言葉のほうが日常的に使われています。大阪は早くから都市として発展し、義理と人情を重んじる人たちが支え合って生活している文化レベルの高い街なのです。
しかしそれでは他の地方の方々は納得しないようです。大阪人はガサツでガメつくて図々しくて、大声で漫才のように喋っていなければ大阪らしさを感じられないかのように言われることも多々あります。いやいや、それは偏見でんがな。誤解でおまんがな。

そんな私のプンスカな憤りを堂島川の穏やかな流れで濯ぐかのように開催されたのが、中之島美術館『大阪の日本画』です。しゅっとした絵画が勢揃いの、素晴らしい美術展でした。

「しゅっとした」とは「クールでスマートな」といった意味です。
私もしゅっとした生き方をしたいものです。

作品は大阪出身の作家のものや大阪の風景を描いたものなど、タイトル通り大阪にまつわるものばかりです。幕末から昭和中期までを揃えていましたが、とくに大正時代のものが充実していました。ちょうど大阪が『大大阪だいおおさか』と呼ばれ、当時の東京市を凌ぐ近代化を遂げていたころです。
ところで大大阪とは素晴らしいネーミングではないですか。大に大を重ねるなんて、センスが無双すぎて大好きです。いや、大大好きです。大大阪。いい響きです。大大阪! 大王イカ!

写真は大阪歴史博物館で常設展示されている大大阪の様子です。
私も雰囲気を味わいに、ちょくちょく行って、うろうろしてます。

展示は人物画や風景画、文人画などジャンルや形態によって6つの章にカテゴライズされており、丁寧な解説をつけるなどして、最後まで興味を失わせないよう工夫されていました。
全体の印象としては、モダンさと懐古趣味が同居しているといった感じです。
人物画には立体感を出す重ね塗りやペインティングナイフの使用などの洋画の技法を取り入れたものもあり、新時代到来の勢いを感じました。
個人的には中村貞以さんの『失題』が好きです。題名もスカしていて洒落てます。

『失題』が使われた東京展のフライヤーです。これ、めっちゃいいです。
なんだか、小池栄子さんにも似てますよね。ワンナイのころの小池さんです。

かしこまったモデルではありません。挑発するかのような不敵な笑みを湛えています。顔も体も丸みがあって肉感的です。浮き上がるようなドレーブの着物はコウモリ柄で、世慣れた悪女の魅力を感じさせます。しかしけっして下品ではなく、むしろ鑑賞者の品位を見定めているかのように思えます。北新地や宗右衛門町のクラブではなく、古川橋のスナックにいそうな女性です。口は悪いけど悪口は言わない、人気のママ風です。週7で通う常連がいますね、これは。

モダンさを求める一方で、風景画には近代化によって失われてゆく大阪の情景を留めおこうとする懐古な趣がありました。
そういった風景や動植物の絵は、パトロンである商家の床の間に合うように、あっさりすっきりとしています。
品評会に出品するような大作、力作で研鑽してきた中央画壇に比べて、大阪では商家の需要に応じるという独自のマーケットがあった分、作風はガラパゴス的に発展していったようです。関西風の、ダシのきいたうす味のうどんを思わせます。シンプルな見た目の中にひそんだ、奥深い味わいを楽しみたいところです。

ラスト近くになって、私の愛する島成園先生の『祭りのよそおい』が待っていました。中之島美術館開館記念のコレクション展でも展示されていた、大好きな絵画と再会です。

貧富の差を描く社会的な側面を持ちながら、それを声高に告発するわけではなく、見え隠れする少女の表情からその内面を想像させる傑作です。私はこの子を助けることはできません。社会の不条理を正す力なんかありません。ただこの子の心に、そっと寄り添っていたいと思いました。

そんなこんなで、楽しい美術展でありました。
実は訪れた日は午後に別の用事があったことから1~2時間ほどの鑑賞予定だったのですが、気がついたら4時間も滞在していました。用事は、もちろんキャンセルです。まあ、私が楽しめたのだから、何も問題はありません。享楽的で楽観的なのも大阪人の長所なのですよ。しらんけど。
そういうわけで、キャンセルで迷惑かけたみなさん、ごめんなあ。いつもありがとうなあ。ほな、さいなら。


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