見出し画像

人と比べることはやめなくていい

あなたは他人と自分をよく比べるタイプだろうか。

優れている人を見て劣等感を抱いたり、時には「あいつさえいなければ」と疎ましく思ったり、「他人と比べること」は人を不幸に導く行為だとされている。

「人と比べることをやめれば幸せになれる」
「自分らしく生きることができる」

この類いの文句はTwitterを眺めていれば腐るほど目にする。

しかし、あえて言いたい。

人と比べることはやめなくていい。

劣等感はなりたい自分の指針である

自分は創作活動を10年近く行っている。

なぜ飽きもせず続けているのかというと、その根源のひとつは「劣等感」なんだと思う。

自分の場合は音楽だが、素晴らしい作品に触れた時、感動と同時に強烈な嫉妬と劣等感を抱き、「どうして自分には作れないんだ」と苦しくなることは日常茶飯事である。

プロのミュージシャンでもないのに何を一丁前に劣等感を抱いているんだ、と自分でも思うが、なぜ悔しいかと思うとそこに「憧れ」があるからである。

例えば、自分は全くスポーツに興味がない。(というか大の苦手である。)

Jリーガーやメジャーリーガーは凄いと思うし尊敬もするが、別に自分と比較して落ち込んだりはしない。

あなたの友達が生き生きと仕事をしている話を聞いて劣等感に苛まれるのは、自分も生き生きと仕事をしたい(現状がそうではない)という思いの裏返しである。

つまり、劣等感は自分のやりたいことやなりたい姿の指針となってくれる可能性を秘めている。

他人と比べて悔しいと感じたなら、内なる自分の声に気づくチャンスだと思おう。

多様性を認めることは比較そのものである

見方を少し変えてみよう。

「他人と比べること」が良くないとされているのは、そこに「優劣をつける」というニュアンスが含まれているからである。

つまり、比べること自体が悪いのではない。

優劣という価値判断を持ち込むと不幸な結果に繋がる場合があるというだけだ。

近年、「多様性」を重視する社会になってきた。

個性を認め合い、多様な価値観を受け入れ共存しようとする理念である。

個性とは他人との「違い」であり、比較することで浮き彫りになるものである。

あなたはどんな能力を持っているのか?どういう性格なのか?何を考えて生きているのか?と、それぞれが持つカードを比べ合うことがコミュニケーションであり、多様性を認める第一歩でもある。

つまり、多様性を認めたい(或いは認められたい)なら、自分と他人を比べる勇気を持たなければならないのだ。

他人と比べることで自分の個性に気付くことができる、そう思わないだろうか? 



自分よりも結果を出している人を見て落ち込んだり、時には理想と現実の大きな隔たりに傷付くこともあると思う。

ましてや、人に比べられ貶されるのは最悪だ。

しかし、他人との比較は自分らしさに気付くきっかけでもある。

憧れのあの人になりたいと願っても、自分は自分にしかなれないことに気づくのだ。


この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?