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マイノリティーの生きづらさ。当事者意識の大切さ。



人種差別についての記事を読んだので。



初めて「日本人」というだけで差別体験をしたのは、高校2年生、アメリカ留学中でした。
人生で初めてマイノリティーとしての生きづらさを体感しショックだったのを覚えています。


歩くだけでジロジロ見られたり、バスの中で中指を立てられたり、お店を追い出されたり。
以来、自分がいかに他人を思いやれていなかったのか、当事者意識を持っていなかったのか恥ずかしいと思うようになり、マイノリティーの生きづらさについて考えるようになりました。


私は今14人の国際シェアハウスに住んでいます。ヨーロッパ、アメリカ、ラテンアメリカなど、色々なバックグラウンドを持つ人がいて本当に面白いです。
このシェアハウスはただ楽しいだけではなくて、私になり常に学びが多いと感じます。


彼らの普段の勉強や仕事、転職活動などのを話を聞くたびに、まだまだ見えてずらい生きづらさは隠れているなと思わされます。
(今関心が強い、今後将来取り組みたい課題は、「日本在住外国籍の方の転職、就活支援」です。皆優秀なのに、日本のキャリアに自分のスキルを活かせず困っています。アニメの世界に憧れ日本に来たものの、「日本では働きたくない」と口をそろえて言う彼らを見て、悲しいです…)


外国籍のハウスメイトと一緒に歩くと、今まで気にすることがなかった「周りからの視線」を感じるようになりました。
一緒に歩いていた彼らには言ってはいませんが、「お前らみたい外国人がいるから、コロナはなくならないんだよ!」と通りすがりの人に言われたこともあります。
私は聞こえていましたが、おそらく彼らは気が付いていません…。


よく、「外国人にインタビュー」するテレビ番組を目にしますが、最近はどうなんだろうか、、と思うことがあります。
仲良いラテン出身の友人と歩いていると、「日本語上手いですね」と言われることがありますが、毎回「友人がもし日本生まれ日本育ちの日本人だったらどうするんだろう」と思ってしまいます。
もちろん話しかけた方は優しさのつもりで話しかけたのだと思いますが、、


そんなこんなで、以前普通に歩いていた道が何か違う、見方が変わったような気がします、、
とても繊細で難しい問題だからこそ、常に学ぶ姿勢を忘れたくないです。
当事者意識を持たず、学ぶことを止めたら、いつのまにか誰かを傷つけていると思うようにしています。



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