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【秋田】水に浸かったふるさとを助けたい【豪雨】


私の「何もない秋田」

遊ぶところも、買い物するところも、何にもない。
仙台まで行かなきゃ何にもない。
秋田には何もなさすぎる高校生までの私はそうだった、
大学進学とともに「何もない秋田」から愛知県へ引っ越しをした。
「何もない秋田」には就職することもなく、東京でOLをしていた。
OLをやめて、テレビの制作会社の使いっぱしりや、ライターの真似事、
学童保育に、家庭教師と様々な仕事をして、「何もない秋田」に戻ることは一切考えることはなかった。
しかし、だんだんと東京という大きな都会に息苦しさや人間関係にも疲れ
「何もない秋田」に帰ることになった。

「何もない?秋田」

帰って半年は無職でそれから観光客のよく来るお店でアルバイトを始めた。
お客様から「秋田の見どころは?」「観光にお勧めの場所は?」
初めはまともに答えることができなかった。
しかし、だんだんと先輩の受け答えを聞いてるうちに「千秋公園」「日本国花苑」「ねぶり流し館」「秋田県立美術館」と私にとっては当たり前で
退屈な返答をするようになった。しかし観光客の方は
「そんな素敵なところがあるの?」
「行ってみたい!」
「男鹿半島はどう回ればいい?」
 
などとても秋田を大切にしてくれていた。

秋田には魅力がありすぎる

段々と積極的に県外のお客様と接していくうちにどんどんと
自分の住んでいる秋田に誇りを持てるようになった。
そして再度上京し、大阪や東京で仕事をしていると思うことがあった。
秋田には何もないんじゃなくて自分が知らなかっただけ。
気づいたころには私は秋田が大好きになっていた。
「いやー、でも秋田に比べたら○○県は全然ですよ!」
なんて言葉も出るようになっていた。
大変失礼な奴になっていた。
その際は本当にすみませんでした。
でもその言葉の裏には秋田が好きすぎて秋田に帰りたくなっていた
という気持ちもあった。

同僚には日本酒や、地場野菜、名産品、
魅力的な観光地を紹介し、地元の自慢までするようになっていた。
「何もない秋田」と言っていた私はどこかに行ってしまった。

そして秋田は大雨災害にあった

令和5年7月秋田県は大雨災害に見舞われた。
頭が真っ白になった。私の知っている大好きな秋田が。
プールのような秋田市。
私は秋田を救うことだけを考えた。最初は母と炊き出しに行き、
Amazonの欲しいものリストを作り、配布場所を提供してもらい、
今でも大好きな秋田のために走り続けている。
地元のテレビ局でも取り上げていただきました。
https://youtu.be/M3_wwPUXslc?si=EkdJmXmVU-txE4O_

【秋田を助けてください】

私は毎週土曜、日曜、月曜日に三皇熊野神社さんで
災害支援物資のお渡し会を行っております。
パリオリンピックのボランティアに行く予定だった
貯金もすべて使い果たし今はボランティア一本で
様々なところを走り回っています。

今日も秋田県には大雨が降っています。
災害にあったお宅はまだまだまだ復旧していません。
皆様からの優しい善意をお待ちしております。
もうすぐボランティア団体も立ち上げます。

サポートやこのAmazon欲しいものリストからぜひ支援してください。
皆様どうかどうかよろしくお願いいたします。

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/2792N6UUDTMN7?ref_=wl_share

たかはしさつき


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